黒門市場は、地名ではないのですが、大阪では、特に年末ともなれば、テレビや新聞紙上で大きく取り扱われますので、ほとんどの大阪の人は知っていると思われます。
が、大阪近郊の人は、存在は知っていても、どこにあるのか、案外知らないようです。
そこで、日本橋の近くと言えば、あっ、あそこらか・・・・となればいいのですが、その日本橋も影が薄くなっているのが現状のようです。
では、なぜ、この黒門市場が有名なのでしょうか?
また、その名前はどこからきているのでしょうか?
マスコミで取り上げられるということで有名であるのは、冒頭に述べた通りですが、最大の理由は、大阪の「食い倒れ」の最大拠点であるミナミを支えてきたのが、この市場だったからなのです。
つまり、ミナミの繁華街の胃袋は、黒門市場から仕入れた素材で満たされているのです。
今も、黒門市場の客層は、ミナミの人が約7割を占めているとか。
売れ残りの魚を安く売りさばいていたのが評判になり、盛り場として流行り出し、明治35年には、公設市場として認可されました。
当時は、「圓明寺市場」と呼ばれていました。
近くの日本橋二丁目にあった圓明寺という大きな寺にちなんで名付けられていたのですが、それよりもその寺の山門が黒塗りであったため、それが印象的で、次第に「黒門市場」と呼ばれるようになったそうです。
しかし、明治45年の難波の大火災で圓明寺も山門も焼失してしまいました。
写真も残されていないので、実体の程は不明です。
名前については、諸説があります。
「火事で門が黒こげになったから」とか「もともと黒門筋と呼ばれていたから」とか「町木戸が黒かったから」とか黒門を巡る異説も少なくないようです。
黒門市場には、150店舗以上が営業していますが、もっとも目につくのが「ふぐ専門店」です。
全国の水揚げ量の約6割が大阪で消費されています。
大阪では縁起を担いで、「ふぐ」を「ふく(福)」と呼び、毒に当たれば死ぬことから「鉄砲」ともいわれ、略して「てつ」ともいいます。
従って、鍋料理を「てっちり」、刺身を「てっさ」と呼ばれて、大阪では、冬の料理に欠かせないようです。
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