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ケネディが尊敬した日本人

2006年12月09日 10時21分23秒 | 日本人のDNA

アメリカのケネディ大統領が、就任のとき、日本人の報道陣から「日本人の政治家で尊敬する人は、誰ですか?」の質問に、「上杉鷹山」と答えたということです。
日本人の報道陣には、誰もその「上杉鷹山」を知らなかったと伝えられています。

現在、あちこちの知事が、談合等で逮捕されています。
この人達は、「上杉鷹山」の存在を知っていたのでしょうか?

      上杉鷹山像

「上杉鷹山」は、江戸時代の米沢藩15万石を、九州の高鍋の小藩から養子に入り17歳で名門の上杉家の藩主になりました。
当時の上杉家は、破綻寸前で、藩政を返上するか、自滅するかの境目にあり、困窮を極めていました。
と言うのも、上杉謙信の時代は、会津120万石であったものが、関ヶ原の合戦で破れ米沢30万石に減封されたのですが、家臣団の人員整理をせず、120万石のままの定員を、そっくり米沢に連れて行きました。

それに輪にかけたように、4代藩主が急逝し相続人がおらず、領地は半分の15万石に減らされ、あの吉良上野介から養子を迎えました。
それでなくとも過剰人員を抱えた藩財政は困窮し、15万石のうち家臣の給与はその88%を占め、その負債は、六代から九代まで借金の利子は雪だるま式に増え、その状態で藩を受け継いだのが上杉治憲(後の鷹山)でした。

その上杉鷹山が、財政再建のため藩政改革をし、赤字を黒字にしたのです。
その政策については、後日に譲るとして、彼の詠んだ歌が、
「なせばなる なさねば成らぬ 何事も 成らぬは 人の為さぬなりけり」

この歌は、誰もが知っているのですが、彼の詠んだ歌であることを知る人は、少ないのではないでしょうか?


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