徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

数字の付く銀行とは・・・・

2006年09月11日 17時15分37秒 | 独り言・社会・ニュース

日本の銀行名で数字が銀行名となっているものがありますが、それらは、1899年(明治15年)以前に出来た銀行で、「国立銀行」と言うのがあり、設立順番に番号を行名としていました。(ちなみに日本銀行ではありません)

  第一国立銀行

1873年(明治6年)に第一国立銀行が設立されました。
この国立というのは
国が経営しているのではなく、「国立銀行法」が公布され、発券銀行としての私立の商業銀行です。
本来なら「国法銀行」?と言うべきものです。

  
   当時の1円兌換紙幣        5円兌換紙幣

2番目に設立されたのは、「横浜第二国立銀行」ですが、第三は大阪の鴻池家が認可を受けますが、計画が中断し、空き番号になっていましたが、それを安田善次郎が買取り、安田銀行(後の富士銀行)を明治9年に設立しました。

4番目は「新潟第四国立銀行」で、現存している銀行では最古で、新潟市の指定金庫として新潟県最大の地方銀行です。

「第一国立銀行」は、渋沢栄一が発起人で頭取となり、我が国最初の銀行として誕生しましたが、この銀行は、後に第一銀行となり、戦後、日本勧業銀行となりました。
2000年には富士銀行、日本興行銀行と3行が合併して、今日の「みずほ銀行」が出来ました。 従って、今はこの”第一”の名称はありません。

日本には、この「国立銀行」は121行ありましたが、今は6行が残っています。
岐阜の「十六銀行」、長崎の「十八銀行」、仙台の「七十七銀行」,三重県津の「百五銀行」、高松の「百十四銀行」、これに第四銀行を加えて六行です。

しかし、これらは明治初期に設立された「国立銀行」が今日まで受け継いだものですが、そうでない銀行も3行あります。
長野に本店を置く「八十二銀行」、三重県松阪にある「第三銀行」、富山の「富山第一銀行」
が、明治以降に「国立銀行」ではないのに数字を銀行名にしています。

   


虎、快勝、福原、完封を逃す

2006年09月10日 21時11分34秒 | 野球・タイガース

中4日も、関係なく、福原が完投し、6対1で横浜に快勝しました。
打っては矢野が、14号、15号の2発で援護しました。

   矢野、15号ソロ

まず、初回に浜中、鳥谷の連続タイムリーで3点を先取したのが、この試合を決定づけ、2回に追い討ちの矢野の14号ソロで、益々福原を楽にしました。

   
    ヒーローインタビューの福原と矢野

5回には、シーツがタイムリー、7回に矢野の15号と着々と加点して、優位に試合を進め、8回まで完封ペースでしたが、9回に捕まり1点を失うも、結局6対1で勝利を手中しました。

しかし、中日も広島に大勝し、マジックは一つ減り、20となりましたが、ゲーム差は変わらず、今週の広島、中日、ヤクルトの8連戦に虎の運命が決まりそうです。

今年は、横浜に18勝4敗と大きく勝ち越し、今虎がこの位置にいてるのは、横浜さまのお陰です。 感謝、感謝。

               


虎、諦めないHRの金本3ラン。

2006年09月09日 22時19分23秒 | 野球・タイガース

1対1の同点から五回に金本の18号3ランが試合を決めました。
この回、下柳、赤星の連続ヒットで1,2塁となりましたが、関本、シーツが倒れ、2死となり、次の金本が快心の当たりが、左翼席に飛び込みました。

   金本、18号3ラン。

先発の下柳は、初回に1失点し苦しい立ち上がりでしたが、3回に赤星のヒット、関本の2ベースで赤星が帰り、同点。 こうなれば、下柳のペースで7回まで2失点に押さえ今季10勝目を上げました。

   林の代打4号ソロ

7回には、下柳の代打の林が4号ホームランで加点し、勝利を近づけました。
8回には、藤川が2三振を奪って安定した投球を見せましたが、9回のウイリアムスがピリッとしません。 2安打で1点を入れられるも、5対3で逃げ切りました。

藤川、ウイリアムスと最近、不調でしたが、藤川は従来のキレの良いストレートに今回は変化球も混ぜ、安定した投球でした
が、ウイリアムスは、7日の巨人戦でも無得点に押えましたが、今ひとつ調子が良くなく、今日もイマイチで調子が出ません。

8安打で5得点は、効率良い攻めで逆転勝利し、試合後のヒーローインタビューの金本も、一時は9ゲームと空けられたが、中日のつまずきもあって現実味が増してきたとまだまだ諦めませんと確認宣言しました。

                  


重陽の節句

2006年09月09日 09時21分18秒 | 今日は、何の日

節句とは、行事と関係する植物の名を冠して呼ばれることがあり、重陽も然り、その花は菊です。 称して菊の節句とも言われています。

   

この重陽の節句は、五節句の一つで、
 1、人日   正月7日   七草の節句
 2、上巳   3月3日    桃の節句
 3、端午   5月5日    菖蒲の節句
 4、七夕   7月7日    笹の節句
 5、重陽   9月9日    菊の節句

中国の重日思想から発し、月の数と日の数が同じ数字がめでたい特別の日と言うもので、重陽の節句は、9の数字が重なることから「重九(ちょうく)の節句」とも言われています。
重陽の陽は、中国の陰陽説によれば、奇数は陽の数字偶数は陰の数とされ、九は一桁の奇数としては一番大きな数で「陽の極まった数」として陽数を代表する数と考えられました。

平安時代、宮中では、杯に菊の花を浮かべて、酒を飲み詩歌を読んで楽しんだそうです

民間では「お九日」と呼ばれ、これが後に音便変化して「おくんち」と呼ばれ、現在では「おくんち」は新暦になった事により、必ずしも陰暦の9月9日に行われず、地域によっては、10月~11月の適当な時期に行われ、収穫を祝う「秋まつり」としています。

    
  パスポート(旅券)の菊の紋章        永平寺・勅使門の菊の紋章

ちなみに、菊の花言葉は、高貴、高潔、真実で、皇室の菊の紋章は、16葉8重ですが、パスポートに描いている菊の紋章は、16葉1重です。

なぜ、皇室の紋章が菊の花になったのか、またパスポートにはなぜ菊の花が描いてあるのか、色々と疑問が出てきますが、これは又次の機会に調べてみたいと思います。

                  


トラ、井川の天敵、李に降参!!!

2006年09月08日 14時33分19秒 | 野球・タイガース

昨日、久しぶりに甲子園に行きましたが、散々な結果に終わりました。
中日が川上で破れ、ヨレヨレの状態の中、負けられないトラが、エースと呼ばれる井川が、李一人にやられました。
それも、昨日だけではなく、これで井川は李に今季12打数6安打、8打点で5ホームランと完全に鴨にされています。
全く、学習能力がないと思わざるを得ません。

    李に2HRされた井川(日刊スポーツ)

それに反して、トラが前回打ち崩したグローバーに完全に押えられ、井川との差が出てしまいました。
打線にも責任がありますが、初回の李の2ランがこの試合を決めてしまいました。

8回には、満塁の好機に1点も取ることが出来なかったのは、今後の占いが凶となる兆しのように思いますが・・・・・
この8回には、雨が少し激しくなり、暗雲が立ち込めたのは、舞台装置として出来すぎでした。

昨年の月別成績を見ると、
         
            2005年         2006年

    4月   13勝12敗1引分    13勝10敗1引分
    5月   15勝10敗1引分    15勝9敗
    6月   14勝7敗1引分     13勝10敗1引分
    7月   14勝8敗1引分      9勝10敗1引分
    8月   12勝11敗1引分    12勝13敗1引分
    9月7日  4勝1敗          3勝1敗    (9月7日現在)

     計   72勝49敗5引分     65勝53敗4引分(9月7日現在)

これで見ると7月の成績が、今の2位に甘んじているのがはっきりします。
特に7月は巨人に連敗したのと中日に3連敗しているのが響いています。

対戦成績も、昨年の巨人戦は、14勝8敗、中日戦は11勝11敗であったものが、9月7日現在、巨人に8勝10敗中日には4勝11敗1引分両チームに大きく負け越しています。
優勝するには、お得意さんも必要ですが、苦手を作らないというのが鉄則です。

残り巨人戦の4試合、特に中日戦の6試合を全部勝たなくては、優勝の二文字が見えてきません。 
まぁ、奇跡でしょうが・・・・・・
他力本願より、自力で勝つと言う強い気持ちで戦って行かなくてはなりませんが・・・・

                


仏教と神教(神道)-2-

2006年09月07日 10時41分48秒 | 宗教を考える

昨日は、雨で甲子園の讀賣戦は中止になりました。
今日も今(午前10時半現在)も雨がシトシトと降っています。
今日は、キップがあり、見に行くつもりなのですが、今日も中止になるのでしょうか?
予報では、昼から雨が上がるとなっていますが、如何に水はけの良い甲子園でも昨日からの雨でグランドコンデションも気になります。
虎にとっては、雨で流れたほうが良いかも知れませんが・・・・
中日が昨日負け、ゲーム差が5.5と縮まりましたので、今日もヤクルトに頑張って貰って果報は寝て待った方が良いのかも・・・・

                      

さて、昨日の続きですが、日本に仏教が浸透していった大きなカギは、仏教が中国や朝鮮を経て伝わったことにあると考えられます。

つまり、仏教が日本の神道の「自然の万物に霊魂が宿る」という考え方に共通することにあったのです。
日本が外来宗教である仏教を受け入れたのは、中国や朝鮮を経る間に儒教や道教の考え方、民間宗教などが混ざり、日本の神道にも共通する考えが含まれていたという訳です。

仏教伝来の時は、当時の実力者の曽我氏と物部氏の間で仏教をめぐって激しく争っていました。
曽我氏は新たな外来文化である仏教を崇拝し、物部氏は、異国の神を拝むと、国つ神の怒りをかうと主張し仏教に反対します。

   飛鳥寺

物部氏との勢力争いに勝って実権を握った曽我氏は、馬子の時代に飛鳥地方に氏族の先祖を弔い、法興寺(のちの飛鳥寺)を建て、これをきっかけに、各地に氏寺が建立され、貴族や豪族のあいだに仏教が受け入れられていったのです。

しかし、その外来文化の仏教を日本式に作り上げたのは、例えば、インドでは荼毘にふされた遺体は川に流されますが、日本では山岳信仰もあって山への土葬とし、日本人が、インド仏教の浄土観を日本流に変えたのです。

平安時代に描かれた「阿弥陀来迎図」は、雲に乗った阿弥陀仏が山肌に降りようとしています。 これは浄土が山の頂上にあることを表してます。

   高野山・金剛峯寺

さらに10~11世紀には、高野山の僧たちが、遺骨を高野山に納めれば、間違いなく浄土に行くと説き、これが山へ納骨する習慣が始まりました。
さらに、江戸時代には、檀家制度が確立し、寺と墓が結びついた日本独特のシステムが出来上がりました。

 


仏教と神教(神道)-1-

2006年09月06日 21時01分51秒 | 宗教を考える

日本は神道の国でありながら、外来の仏教をどう受け止めたのでしょうか?
これを調べる前に、神教(神道)について調べてみました。

神道には、皇室神道神社神道教派神道民間神道などがあります。
皇室神道は、言わずもがな天皇家の神道で、神社神道氏子を中心とする組織的に祀るもので、教派神道は、教祖、開祖を祀るもので本来の神道とはことなりますが、民間神道は民族神道とも言われ、古くから民間で信仰されていたものです。

しかし、神道に言う神とは「八百万(やおよろず)の神」と言われる通り数多くの神があり、元々多神教です。

   
  阿弥陀来迎図       神話の主人公 天照大神

多くの神は、人と同じように姿や人格を有する「人格神」であり、現世の人間に思考を与える「守護神」でもあると考えられています。
「神」は大別して
① 自然物や自然現象を神格化したもの。
② 思考、災いといった抽象的なものを神格化したもの。
③ 古代の指導者、有力者などを神格化したもの。

日本では①は一番古くからあり、③は現人神といわれましたが、昭和天皇が否定し、科学的に全く根拠のないものでありますが、神道にとっては天皇の存在がかなり重要であることも事実です。
しかし、今でも古くは、菅原道真の天満宮や近代には豊臣秀吉の豊国神社、徳川家康の東照宮もこの類です。

元々は、五穀豊穣を願っての自然界を恐れる、畏怖する気持ちが祈りに通じ、その自然を祀ることから始まりました。
現在も、神道とは、分からなくとも日本人の生活の中に浸み込んでいるものなのです。 
従って、神道の本質は、区分から言えば、民間神道が元にあって、その上に神社神道が組織化されたものと思われますが、さらに「神」とは自然現象を神格化したものが妥当でしょう。
その中に「神話」で出てくる神々が生まれてきたものなのです。
ついでながら、古事記や日本書紀などにより語られる「高天原神話」(天孫降臨)などは、キリスト教の天地創造などと良く似ています。
神話は、なにも神が出てくるとは限りません。 
多くの国にそれぞれの神話があります。 それぞれの国で根強く語り継がれ、日常の生活の中に生きているのです。

その中で日本に仏教が伝承されますが、この仏教を巧く取り入れ、神道と共有して、日本のオリジナリティな仏教が生まれてくるのです。

 


虎、今季初の6連勝、福原が完投

2006年09月06日 08時57分22秒 | 野球・タイガース

昨日、勝って今季初の6連勝。
中四日の福原が完投勝利で10勝目。
先発全員安打で毎回安打は、なんと球団60年目の記録。

       
  ハイタッチの福原・矢野   好投の福原 左写真2つはサンスポ提供)

しかし、中日も勝ってマジックは23となりました。
残り試合が25試合、中日のそれは32試合。
ゲーム差が6。 そして一番の難関は負け数が10も差があること。

この現状では、逆転優勝するは奇跡に近いでしょう。
今の阪神は、救援投手陣の崩壊、今岡の戦列離脱など、万全の態勢とは言えません。
その中に置いて、虎は精一杯の抵抗をしています。

この姿があればこそ、虎に後、一踏ん張りも二踏ん張りもして欲しいものです。
そして、竜を追い詰めて、可能性のある限り、頑張って奇跡を引き寄せて欲しいものです。

この夢もいつまで見られるか・・・・出来るだけ長く見たいですが・・・・・

            

P,S 僕のPCのTVはアナログ放送しか見れません、その上讀賣TVだけが見れないのです。 従って昨日の讀賣TVの放送ではキャプチャー出来ないのです。
昨日は、ハイビジョンで放送していたので、それで見ていましたが、出来るだけ讀賣だけは見たくありませんので、PCも分かっているのでしょうかネエ?


ヨーロッパの国旗に三色旗が多いのは・・・・

2006年09月05日 16時18分13秒 | 独り言・社会・ニュース

世界の国旗には三色旗がやたらと多いですですが、特にヨーロッパ諸国に多いのは何故なのでしょうか?
西欧では、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、アイルランド、などが三色旗で、東欧ではハンガリー、ブルガリア、ルーマニアなどが三色旗です。

三色旗でもっとも有名なのは自由、平等、友愛を表すフランスの旗ですが、これの影響で広がったのではないようです。

  
    オランダの国旗            フランスの国旗

三色旗を広めたのは、実はオランダだそうです。
16世紀、当時の世界の先進国だったオランダが三色旗を国旗として定めたことから、他の国もそれに続いたというのが真相のようです。

しかし、オランダよりも先に三色旗を国旗としていた国があります。
それは、オーストリアです。 オランダより300年以上前から使っていたそうです。

では、日本で良く見られるのがイタリアの国旗ですが、その三色は、緑、白、赤で、その意味は、美しい国土、アルプスの雪と正義と平和、愛国の熱血を表しています。

  
     イタリアの国旗             ロシア連邦の国旗

ロシア連邦は、ソビエト連邦が崩壊すると国旗も三色旗に変わりました。
社会主義の象徴といわれたソ蓮の赤い旗を降ろし、三色旗になりましたが、これは帝政ロシア時代の国旗をそのまま使っているそうです。

デザインは横ストライブで、配色は上から白、青、赤で、白は高貴と率直を、青は忠義と誠実を、赤は愛と勇気を表していますが、さてその意味通りの国情でしょうかネエ?
そもそも、この三色旗も当時のロシア皇帝がオランダに視察に行ったときに、オランダの国旗を真似し、その配色順序を変えただけで意味は後からこじつけて付けたうです。 なんとも国旗としての威厳も尊重性もありません。

国旗を考えるとその国情や成り立ちが分かるようです。 
他の国の国旗もそんな事を考えながら眺めて見るのも面白いものです。

       


武士の収入はどうなっているの?

2006年09月04日 10時56分04秒 | 江戸時代とは・・・・・

数日前の新聞に三田藩主、有馬豊氏が実際には2万6千石しかないのに、3万6千石と1万石もサバを読んでいたということが報道されていました。
当時は石高が多いほど藩の格式が上がり幕府から良い扱いを受けようと見えを張ったのではと考えられます。

 
    今日の絵は、京都三千院への道端にある”水車小屋” F6号

大名といっても加賀金沢の百二万五千石の前田家を筆頭に、一万石の小藩まで大差がありました。
その中でも五万石以下の小大名が多く、その土地も肥えているのか痩せているのかで平均年収にも相当の差があったものと思われます。

その収入も四公六民と言って、領主の取り分はその四割ですが、天候によっても実収入は、年によっては大きく違いが出てきます。
大名の収入も城の維持費、家来の給料、新田開発費、参勤交代の費用や江戸藩邸の維持費など多くの経費がかかり、その格式によっても費用はそれなりに掛かります。

では各藩の武士や幕臣の収入はどうなっているのでしょうか?
これには、知行と蔵前があり、知行は先祖からのその家に伝わった格式の一つで小なりと言えども大名と同様に領地を持っています。この土地から上がる収穫を米に換算し、大名と同じく農民と分けますが、その割合は、かなり厳しかったと言われています。

蔵前取りは自分の領地を持たず、領主や幕府から給料として年に何表という米を貰っていました。
一俵は約四斗、十斗が一石と決められていましたから百表の蔵前取りは四十石ということになります。
蔵前取りは、豊作や飢饉に係わらず天候に関係なく毎年決まっただけの米を貰えるのが特徴です。

また、それ以外に役高という役付手当もありました。
例えば、三十俵2人扶持という蔵前取りのうち2人扶持というのが、その役付手当です。 一人扶持は、一人が1日に食べる米の量のことで、玄米5合と定められています。
つまり二人扶持は1日に1升、1年を現代風に365日として計算すると三石六斗五升という米が月払いに換算して支給されます。

当時の勘定方の役人は、このややこしい計算をそろばん片手にしていたことでしょう。