徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

期待も中ぐらいのキャンプイン

2009年02月08日 10時31分33秒 | 野球・タイガース

2月に入り、プロ野球のキャンプもたけなわとなってきました。
特にWBCの影響で、全体の仕上がりも早いようです。
しかし、今調子が良い選手も、悪い選手も開幕に入れば、その評価は大きく変わるのが常です。

勝負はゲタを履くまで分からないということは、昨年嫌というほど知らされました。
その昨年の轍を踏まないということではなく、今年は、昨年の反対になればと秘かに願っています。

  2009年 ユニフォーム

つまり、今のメンバーを見ても昨年とほとんど変わらず、今年も期待するのがベテランと呼ばれている40歳アラフォーの人たちでは、あまり期待出来ないと思うのは失礼でしょうか?
野手で、楽しみな話題性のある若手がいません。
その若手にケガ人が多いとオーナーも嘆いて檄を飛ばしているのも頷けます。

  今年も頼りになるのは、金本なのでしょうね。

外人選手ほど、あてにならないものはありません。
それこそやってみなければ分からないのです。
キャンプに入って、テストした台湾の鄭 凱文(ジェン・カイウン)投手を、育成枠ではなく支配下登録選手として採用が決まったようです。
これで台湾の選手は林 威助、肅 一傑とあわせて3人となりました。
が、今までの二人はドラフトで加入したので日本人扱いですが、鄭選手は、外人扱いとなり阪神では6人目の外人となります。

毎年の事ながら、今の時期は、期待がふくらむのですが・・・・
誰かがおおばけしてくれるのを期待するのは、余りにも寂しすぎます。
といいながら、期待しているのですが・・・・・


盲腸線が注目を浴びる「阪神なんば線」

2009年02月05日 08時49分26秒 | 鉄道のよもやま話

「盲腸線」とは、本線から飛び出して終点で行き止まる短い支線を指します。
時に「役に立たない路線」という皮肉や愛情を込めて鉄道フアンが使う用語なのです。

現在の阪神西大阪線(尼崎ー西九条)は全長6.3㌔で7駅しかないが、ほぼ10分間隔で各駅停車が運行されており、盲腸線と呼ぶには少し失礼かも知れません。

西九条で行きどまりだった線が延びて近鉄難波まで行っており、その先の奈良まで繋がり、その効果が色々語られており、盲腸ではなくなってきたのです。

  阪神なんば線対応1000系の阪神電車

開通によって沿線の大学は市場開拓の好機とばかりに大々的に宣伝しているようです。
少子化に伴い学生の確保が年々難しくなってきているなか、大学にとっては未開拓の市場は魅力です。

阪神本線の沿線にある某大学の地方試験会場に初めて奈良を加え推薦入試で多くの生徒を集めました。
また、近鉄奈良線にある大学も「線路がつながる、進路もつながる」という宣伝文句で訴えています。

もちろん、大学だけではなく、私立高校もおなじで、交通アクセスを学校選びの基準にする傾向は、時間を大事にする昨今、当然の選択となってくるようです。
実際に開通すれば、利便性がはっきりとし、来年度以降はさらに浸透してくるものと思われます。
次回は、甲子園とドームについて考えてみます。


警視庁に交番が誕生

2009年02月01日 09時09分44秒 | 今日は、何の日

大阪で1月に最低気温が10度を超えた日が二日続いたのは、この3,4年なかったようです。(僕の記憶では・・・)
この冬は、やはり暖冬なのでしょう。
今日から2月です。 プロ野球もキャンプインし、春の話題が次々出てきます。
が、寒さはまだまだ続きます。

という話とは、関係がありませんが、明治41年(1908年)2月1日、東京の警視庁は、巡査派出所を「交番」と改称しました。

      大正時代の交番

交番のルーツは、江戸時代の番所にあります。
一口に番所といっても、辻番・自身番・木戸番などの種類がありましたが、基本的にはすべて江戸の町人の自警組織です。
つまり、その土地の地主が中心に、その本人自身や家族が詰めて町の治安の維持に努めていたのです。

江戸の人口は100万人を超えていましたが、その治安を預かっている奉行所の同心は南北両奉行所でわずか24名、彼らが個人的に雇った岡っ引きもいるにしても、番所という存在がなければとてもこの巨大都市は平和に保たれなかったでしょう。
江戸末期には、番所の数は1000ヵ所程度にも達していたそうです。

明治維新後、新政府によって警察が設置されると、番所を基準に巡査たちの詰所として、巡査たちが交代で番を詰めるということから「交番」として設置されました。
この交番は、東京に先立って神奈川県で、明治4年11月27日に設置され、毎月27日は、現在も「交番の日」となっています。

警視庁では、明治14年にこの交番制度を整備し、「巡査派出所」の制度を発足させます。 明治21年には、派出所は主として都市部に設けられ、駐在所は主として村に設けられ、警官が家族とともに赴任し地域社会の一員として活動するもので、この制度は、基本的には現在も継続しています。


         交番の建物も色々です。

  
   仙台市内にある交番            浦安市内にある交番


     
   浅草にある交番             市川市内にある交番

最近、この交番制度が日本の高い治安レベルとともに注目され、諸外国でもこれをまねるところが出て、そのためKOBANという単語が英語でも通用するようになってきており、警察庁は1994年から「交番」の名前を規則上でも正式に復活させました。