徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

トラ、屈辱的な最終試合で5割きり、CSはカープ次第。

2015年10月05日 20時37分28秒 | 野球・タイガース

9月12日までは首位。一時は2位に3,5ゲーム差をつけたことも、そして貯金を8つまで伸ばしたことも、二十日あまりで、すべてパー。

4日に今季最終の広島戦に負けたことのより、貯金も使い果たし、おまけに借金生活となり、3位も危なく、その3位も7日の広島ー中日戦で広島が負ければ辛うじて3位となるという全くの他人任せで今年の順位が決まるという、最後まで自主性がなく、焦点の定まらないシーズンとなってしまいました。

   4日の最終試合
 今季、17回目の完封負けで今季最終戦・・後味の悪いシーズンでした 
 
この後、関本選手の引退セレモニーがあり、多くの広島ファンも残って関本に
  拍手を送っていました。

和田監督も8月末時点では来期も続投と言われていたのが、3位に落ちるなり、白紙となり、そして今は解任に・・・
トラのフロントの自主性のなさがチームそのものに反映しているようです。

監督の首のすげ替えだけでは、トラの再生は出来ないと思います。
5日現在、次期監督に金本氏の名が上がっており、監督要請も済んでいるとか・・・

  

所が、記事によると、その金本氏とフロントとに考えの相違があり、まだ決まっていないということです。
その相違とは、チーム編成で、金本氏はコーチ陣を他球団経験者を期待しているが、フロント側は、多くを現在のコーチ陣で構成したいようです。

  
    広島・新井選手から花束贈呈        キャプテンの鳥谷からも・・・
   嫌な試合を忘れさせる良いセレモニーでした。 福原も藤波も,
多くの
   ナインが泣いていたのが印象的でした。 関本の人柄が出ていました。  


本格的に改革をしようと思えば、現コーチ陣を一掃して考えを変えてゆかなくてはならないと思うのですが・・・
この問題は、トラの来年だけではなく、将来のトラの行く末をも決める重要なことと受け止めて、球団社長よりもオーナー自身が乗り出し、本気に取り組む姿勢を示してほしいものです。

そこには、なぜ2年連続最下位のヤクルトに優勝をさらわれたのか、真剣に考えなくてはならないのです。
いつまでも、大名商売していては、何年たっても優勝は出来ないのではないでしょうか??

 


もう一度 高知城 ⑮ その2 

2015年10月04日 10時45分44秒 | 旅行・観光

新幹線で岡山へゆき、マリンライナーで高松へ行き2泊して用事を済ませ、朝 いしづち5号、南風5号と乗り継いで昼過ぎに高知に着きました。

荷物をホテルに預け、高知城に向かいました。
辺りは官庁街で、県庁所在地には、城下町としてよくある風景です。

  

  


もともと四国は長曾我部氏の所領でした。
それが関ケ原の戦いで西軍についた長曾我部氏は改易され、代わって山内一豊が掛川城から土佐国一国 24万2千石を与えられ入城しました。

山内一豊の妻千代は、良妻賢母として有名ですが、その一豊と千代の銅像が、以前訪れた郡上八幡城にもありました。
それは、千代が、美濃郡上八幡城主 遠藤氏の系図に 遠藤盛教氏の娘が山内一豊の室千代であると記載があることから、千代の出生地であるとされ、銅像があるようです。

   
  高知城にある千代の銅像      郡上八幡城の千代の銅像 山内家 家紋

山内一豊は、岩倉織田氏の重臣の三男として生まれますが、織田信長に滅ぼされ一家離散してしまい、尾張、美濃地方を転々とし、その中で千代と巡り合ったとされています。

その後は、信長、秀吉、家康に仕え、そこには千代の内助の功が色々と語られています。

  
   山内一豊像                板垣退助像も 土佐出身


 高知城


トラ、ヤクルトとどこが違ったのでしょうか・・・

2015年10月03日 11時18分10秒 | 野球・タイガース

ともあれ、ヤクルト 優勝 おめでとうございます。

   

2年連続最下位からの優勝、それも14年目の優勝には、それなりの努力があったのに違いありません。
特にタイガースとの違いは何だったのでしょうか。

今年のセ・リーグは、大混戦となりました。
その一因には交流戦との戦いがあり、珍しくセ・リーグで勝ち越したのはタイガースのみだったのですが、その優位性をタイガースは生かせませんでした。

今年、球団創設80周年、2005年の優勝から10年目を迎え、今年こそはと期待されていただけに、その凋落は、無残としか言いようがありません。

ヤクルトとの差の一つに、打撃陣の奮起にありました。
特に川端の2番の抜擢には、通常の野球とは違ったものがありました。
2番バッターは、犠打でつなぐという役目があるのですが、川端の犠打は、たった2個。
なぜ、3割バッターで首位打者の川端を2番に据えたのでしょうか・・・

タイガースなら決まりきったバンドなのですが・・・
監督1年目の真中監督の奇策なのですが、それに選手が答えたということがチームの雰囲気を、勢いを増していきました。

      
   代打の関本、初球をセンター前にタイムリー打(デイリースポーツから)
    まだまだ活躍できると思うのですが・・惜しいですね。       

 

選手の構成もタイガースとは違います。
ヤクルトには、生え抜きの選手が多いことです。
昨日の先発オーダーを見ても、投手を含めて生え抜きの選手は7名もいます。

その生え抜きには、若手とベテランが上手く絡み合っています。
その上、選手間で記録を競い合うという相乗効果が生まれました。

バッテリーの充実も見逃せません。
7年目、25歳の中村捕手は、積極的配球で、打者の特徴を把握して裏の裏をかき、曲者ともいわれています。

どちらにしても、優勝すれば良いことが言われ、悪い面は見逃されます。
反対に、優勝を逃がしたチームは、どうしても悪いことやアラが目立ちます。

まだ、リーグ戦は終わったわけではありません。
でも、ここ一番に弱いターガースは、明日の最終戦もどうなることか・・・


 


日本の城 もう一つの名前  ⑮ 高知城 = 鷹 城

2015年10月02日 10時32分45秒 | 城郭への展望

先日、現存十二天守のある城の一つ、高知城に行ってきました。
四国には徳島県を除いて残り3県にその現存の天守のある城があります。

香川県には丸亀城、愛媛県には松山城と宇和島城、そして高知県には高知城があります。

 


高知城は、高知平野のほぼ中央に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれ戦国時代は、大高坂山城が築かれていましたが、江戸時代初期に掛川から土佐藩主として山内一豊が赴任すると一豊によって新たに着工したのが、現在みられる城です。

一豊によって当初、河中山城(こうちやまじょう)と名づけられましたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名になりました。

 

 別名は「鷹城」と呼ばれています。
その由来は、屋根瓦のグレーと白漆喰壁の白が鷹の色合いを思い起こすことから言われているようです。

 

城の周りは、高知公園として開放されています。
どこにもあるように、そこには県庁、市役所など行政の中心地でもあります。
高知城の本丸の建物が完全に残る唯一の城で、明治初期の廃城令や第二次大戦による空襲をも逃れ天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されています。

  
   本丸御殿  築城の際、二の丸御殿が出来るまで、山内一豊と見性院(千代)
          が暮らしていた。 

 

したがって、思っていた以上に城郭は広く、現存の城としての風格がありました。

  
  追手門の手前にある池 ハスが咲いていました。       
  遠くに天守が望めます。

  この城には、山内一豊と千代の像がありますが、郡上八幡城にもあります。
 日本の城 もう一つの名前 ⑭ 郡上八幡城(2013年11月12日付け)を参照して  ください。
 詳細は、後日、高知城 その2 として掲載する予定です。