祓いの神社、佐久奈度神社です。
大祓祝詞に書かれている祓い戸の四神が祀られています。
瀬織津姫命(せおりつひめ)
速秋津姫命(はやあきつひめ)
気吹戸主命(いぶきどぬし)
速佐須良姫命(はやさすらいひめ)
下記の写真は、携帯用の大祓祝詞でして、赤がちょうど無かったので、御朱印を待っている間に作ってくださいました。
と言っても、わたしのではありませんが(笑)
上記の色以外に、青と黒(?)だったかな。
お札も可愛いんです。
お守り袋も手作りのものもありました。
写真も「OK!!」と快い返事を頂きましたので早速掲載させて頂きました。
とても気持ちのいい日でした。
神社から見る空は最高!
境内はこじんまりした感じですが、ご神気の満ち溢れる場でした。
佐久奈度神社ホームページ ⇒ http://sakunado.jp/
(ホームページより)佐久奈度神社は天智天皇御宇8年 勅願により中臣朝臣金連が当地において、祓 を創し祓戸大神四柱を奉祀した。当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として 著名で、大七瀬の祓所のひとつである。文徳実録に「仁寿元年六月甲寅、詔以近江国散久難度神列於明神」とあって、仁寿元年名神に列した。 三代実録には「貞観元年正月二十七日奉授近江国佐久奈度神 従五位上」と見えて、貞観元年に従五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳では名 神大社に列するなど当地方の名社であった。以来朝野の崇敬厚く後白河上皇は社領を加え寄進されたことが社記にみえ、豊臣家臣渡辺勘左衛門、膳所藩主本多康俊、石川忠総などからも社領が寄進されている。又、「忠臣蔵」で有名な大石良雄の曽祖父良勝が武運長久を祈って奉納した絵馬 が残っている。大石家は当地の出であり、良勝は赤穂浅野家にはじめて仕えた人で ある。現境内地は昭和39年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴い旧境内地が水没地となり移転したものである。明治9年村社、大正10年県社に加列。
大祓詞より
『高山の末 低山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
早川の瀬に坐す 瀬織津比売と伝ふ神 大海原に持出でなむ
此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す 速開都比売と伝ふ神
持ち加加呑みてむ 此く加加呑みては気吹戸に坐す気吹戸主と伝ふ神 根国底国に気吹放ちてむ
此く気吹放ちては根国底国に坐す 速佐須良比売と伝ふ神 持ち佐須良比失ひてむ此く佐須良比失ひては・・・』
佐久奈度神社のご由緒より
神道は「祓い【はらい】に始まり、祓いに終わる」と言われております。
その祓いと禊ぎ【みそぎ】をつかさどる祓戸の大神を祭る総本宮が佐久奈度神社です。当社は、朝廷が飛鳥より近江大津宮に移ったのを期に、天智天皇八年(六六九)、天皇の勅願により中臣朝臣金連【かねのむらじ】がこの地に社殿を造り、「祓戸の大神三神」を祭ったのが始りです。この地は八張口、桜谷と呼ばれ「山岳裂けて低下の所を開くところがその名の由来であると社記に記されております。瀬田川の急流のつくる奇岩で古くから景勝地として知られ、『蜻蛉日記』『夫木抄』『名寄』などにも歌が詠まれています。また、近くにそびえる太神山【たなかみやま】には巨大な磐座【いわくら】もあり、農耕を守る神の山といわれ水がとりなす古代祭祀の香りを充分に伝えております。
ちょうど今週、こちらの祓い戸の神様について調べていたので何だか驚いてしまいました。
なんか本当に良いタイミグで神様は道案内してくれます。
神恩感謝
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住所: 〒520-2263滋賀県大津市大石中1丁目2-1
電話: 077-546-0079
JR・京阪電車石山駅からバスで30分(大石小学校前下車徒歩すぐ)