大体「行く末」などという言葉には『案じられる』という言葉が続くものと相場が決まっている。
久しぶりにホーマックに買い物に行った。季節柄いろいろなギフト商品も売られていたが、その脇でこれまでは無かった缶ビールも山積みで売られていた。
ありとあらゆる所で酒は売られるようになり、買う方にしては便利になったが、町の中の酒屋はどこも青息吐息、気息奄々、風前の灯火状態になってしまった。
酒屋だけではなく、全ての○○屋と称されるものが、気がついたらあっという間に同じような状態になってしまった。
今から30年前、日本はアメリカと同じようになってしまうと警鐘を鳴らした評論家がいたが、大方の評論家はそうはならないと言っていた。アメリカのようなモータリゼーションは日本のような狭い国土では成りたたず、また、日本人は日々の買い物を厭わないし、第一アメリカにあるような大型の冷蔵庫がないので、大型スーパーが町の中心部の商店街を駆逐してしまうことはあり得ない、と言っていた。
しかし、警鐘を鳴らした評論家は、自由競争が進めば郊外の大型店に客は奪われ、街は活気を失い、人々も郊外に住むようになり、中心部はスラム化し、アメリカと同じような殺伐とした街になるだろう、と言っていた。かなりの部分が当たっていると思う。
今から30年後、果たして街の中に、○○屋と呼ばれる商店が存在しているだろうか。
規制が無くなると自由な競争が行われ、その結果より安くよりいいものを人々は手に入れられるようになる、だから規制は無くした方がいい、というのが規制緩和論者の言い分で、競争が行き過ぎればアダム・スミス流の「見えざる手」がちゃんと働いて、一定の秩序が保たれた社会に戻るのだ、という。
しかし、種々の金融商品やマネーゲーム、はたまた昨今の社会情勢を見るにつけ、人間というものをそんなには信用できないでいる。
野放図な自由競争にすると、ごく一部の、たまたま上手くやった人間が巨大な富を手に入れ、大多数の人間が貧困にあえぎ、トータルとしての経済規模は大きくなっても、社会としての機能を持たない、崩壊した社会ができあがってしまう気がしてならない。人間の価値を決めるのはだた一つ、お金、なんて世の中が出来てしまうことだろう。
今更遅きに失した感はあるが、野放図な自由主義、資本主義は修正した方がいい。
さしあたり、コンビニと飲食店とテレビの営業時間は朝6時から夜の12時までに規制したら・・・・無理だな。
久しぶりにホーマックに買い物に行った。季節柄いろいろなギフト商品も売られていたが、その脇でこれまでは無かった缶ビールも山積みで売られていた。
ありとあらゆる所で酒は売られるようになり、買う方にしては便利になったが、町の中の酒屋はどこも青息吐息、気息奄々、風前の灯火状態になってしまった。
酒屋だけではなく、全ての○○屋と称されるものが、気がついたらあっという間に同じような状態になってしまった。
今から30年前、日本はアメリカと同じようになってしまうと警鐘を鳴らした評論家がいたが、大方の評論家はそうはならないと言っていた。アメリカのようなモータリゼーションは日本のような狭い国土では成りたたず、また、日本人は日々の買い物を厭わないし、第一アメリカにあるような大型の冷蔵庫がないので、大型スーパーが町の中心部の商店街を駆逐してしまうことはあり得ない、と言っていた。
しかし、警鐘を鳴らした評論家は、自由競争が進めば郊外の大型店に客は奪われ、街は活気を失い、人々も郊外に住むようになり、中心部はスラム化し、アメリカと同じような殺伐とした街になるだろう、と言っていた。かなりの部分が当たっていると思う。
今から30年後、果たして街の中に、○○屋と呼ばれる商店が存在しているだろうか。
規制が無くなると自由な競争が行われ、その結果より安くよりいいものを人々は手に入れられるようになる、だから規制は無くした方がいい、というのが規制緩和論者の言い分で、競争が行き過ぎればアダム・スミス流の「見えざる手」がちゃんと働いて、一定の秩序が保たれた社会に戻るのだ、という。
しかし、種々の金融商品やマネーゲーム、はたまた昨今の社会情勢を見るにつけ、人間というものをそんなには信用できないでいる。
野放図な自由競争にすると、ごく一部の、たまたま上手くやった人間が巨大な富を手に入れ、大多数の人間が貧困にあえぎ、トータルとしての経済規模は大きくなっても、社会としての機能を持たない、崩壊した社会ができあがってしまう気がしてならない。人間の価値を決めるのはだた一つ、お金、なんて世の中が出来てしまうことだろう。
今更遅きに失した感はあるが、野放図な自由主義、資本主義は修正した方がいい。
さしあたり、コンビニと飲食店とテレビの営業時間は朝6時から夜の12時までに規制したら・・・・無理だな。