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【名馬物語】第2回 ステイゴールド

2020-02-25 21:00:00 | 名馬物語
名馬物語。第2回は ステイゴールド です。


[3~4歳時。「善戦マン」と呼ばれて]

父サンデーサイレンス 母ゴールデンサッシュ(母の父ディクタス)
栗東・池江泰郎厩舎 黒鹿毛 牡

1994年生まれといえば、前回の主人公サイレンススズカと同世代になります。前年までのサンデーサイレンス旋風の中、クラシックはブライアンズタイム産駒が大活躍したり、メジロライアン産駒が注目された世代ではありますが、サンデーサイレンス産駒にも個性派がいたわけです。
デビュー戦は2歳12月で、鞍上は短期免許で来日していたオリビエ・ペリエでした。芝2000mで3着。同じ条件で迎えた未勝利戦は1番人気となりますが、最下位の16着に敗れます。
さらに休養明けの未勝利戦(ダート1800)では、その後長くコンビを組む熊沢騎手を鞍上に迎えますが、なんとコーナーを曲がらずに逸走。さらに騎手を振り落として競走中止となってしまいます。
芝に戻った後も2000m戦で2着、2400m戦でまた2着、と、なかなか勝ちきれないレースが続きます。勝ち切れない原因の一つと考えられたのが、「左にモタれる癖」です。右回りでコーナーを曲がれなかったように、常に左へ斜行してしまう悪癖を持っていたのです。
そこで次走は左回りの東京競馬場の2400m戦が選ばれます。また、真っ直ぐ走らせるための厩舎の努力もあり、念願の初勝利を手にします。

次走は再び左回りの中京競馬場で行われるすいれん賞が選ばれ、2連勝。
右回りに戻ったやまゆりSは4着に敗れますが、夏の北海道では阿寒湖特別で勝利。右回りでも初勝利を挙げ、秋には菊花賞が目指されます。
京都新聞杯で4着、菊花賞では8着となり、大舞台では結果が出ませんでした。

同じく秋に結果が出なかったサイレンススズカは、この後香港で武豊と出会うわけですが、ステイゴールドにもこのとき神の導きがあります。

当時は12月に行われていたワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)です。現在は夏の札幌でワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)として行われていて、昨年は「美しすぎる」ミシェル騎手が勝利を挙げて話題になりました。
抽選で騎乗馬が決定するこのシリーズに出走し、ステイゴールドにあの人が騎乗することになったのです。はい、武豊です。持っとるなーこの人は(笑)
しかし、ゴールデンホイップトロフィーでは2着に敗れ、次走からはまた熊ちゃんに戻ります。神の導き、スルーです(笑)

〇2~3歳時の戦績
新馬  3着
未勝利 16着
未勝利 中止
未勝利 2着
未勝利 2着
未勝利 ①着
すいれん賞 ①着
やまゆりS 4着
阿寒湖特別 ①着
京都新聞杯 4着
菊花賞 8着
GホイップT 2着

古馬となったステイゴールドは、オープンの万葉Sに格上挑戦し、2着。
次走は自己条件の松籟Sに戻りますが、また2着。
いつまでも賞金が加算できずにいましたが、続くダイヤモンドS(G3)でも2着となり、勝てなかったもののようやくオープン入りを果たします。

春の天皇賞の前哨戦として日経賞(G2)が選ばれますが、ここでは4着。
本番の天皇賞は3200mで超一流が終結するレース。ステイゴールドは10番人気に甘んじます。

天皇賞の主役は、メジロブライトでした。クラシック三冠で4、3、3着だったものの、ステイヤーズS、日経新春杯、阪神大賞典を3連勝しており、特に阪神大賞典では前年の有馬記念の覇者・シルクジャスティスとの一騎打ちを制していました。天皇賞では同じ斤量で再びこの二頭のマッチレースが期待されました。

結果はメジロブライトが人気に応えて快勝。
ステイゴールドはここで2着に飛び込み、波乱を演出します。またまた勝てなかったものの、G1で連対を果たし、ステイゴールドは古馬のG1戦線で戦っていく馬として、認知されるようになりました。

重賞初制覇を狙った目黒記念では、天皇賞2着馬の力を見せることができず3着に敗れ、宝塚記念へと駒を進めます。
宝塚記念は天皇賞馬となったメジロブライトと、金鯱賞を大差勝ちしたサイレンススズカ、前年の年度代表馬エアグルーヴらがぶつかる豪華メンバーで、ステイゴールドは再び9番人気と完全に脇役の扱いになってしまいます。
しかしここでもサイレンススズカに迫る2着となり、再びアッと言わせる走りを見せます。

秋になり、京都大賞典は4着に敗れますが、天皇賞・秋では(サイレンススズカの悲しい事故はありましたが)オフサイドトラップに迫ってまたまた2着。
ジャパンCは10着に大敗したかと思うと、有馬記念で11番人気の低評価を覆す3着。
この頃からステイゴールドは

「シルバーコレクター」「善戦マン」「ナイスネイチャの再来」

などと呼ばれ、親しまれていくようになりました。
しかし、おそらく陣営は苦しんでいたのではないでしょうか。G1戦線でこれだけの活躍をしながら、重賞は未勝利。

「主な勝ち鞍・阿寒湖特別」

勝利、1着という結果を得るための陣営の様々な努力や苦労があったことは想像に難くないでしょう。
「ゴールド」を追いかける長い長い戦いが続いていきます。

〇4歳時の戦績
万葉S 2着
松籟S 2着
ダイヤモンドS 2着
日経賞  4着
天皇賞・春 2着
目黒記念 3着
京都大賞典 4着
天皇賞・秋 2着
ジャパンC 10着
有馬記念 3着


[5~6歳時。まだまだ善戦マン。そして・・・]

5歳時は京都記念で7着に大敗し、続く日経賞で3着。まだ勝利はありません。
春の天皇賞では「この馬はG1でこそ一発あるぞ」と穴人気しましたが5着。
金鯱賞、鳴尾記念と勝利を目指しましたが連続で3着となり、どうしても1着でゴールできない。

グラスワンダー・スペシャルウィークの対決となった宝塚記念では、きっちり2強に次ぐ3着。善戦マンっぷりはもはや名人芸(馬ですが)とも思えました。
京都大賞典で6着に敗れ、秋の天皇賞では2000mが不暗視されたこともあったのか、12番人気の低評価となりました。

しかし、ステイゴールドはまた、激走するのです。アンブラスモアが逃げるハイペース。脚をためて長い直線で思う存分爆発!まさに完璧といえる熊沢渾身の騎乗です。
安田記念を制していたエアジハードを外からねじ伏せ、ついには先頭に!
夢に見た、栄光のゴールが目前に迫った瞬間・・・!
さらに外からステイゴールドを差し切ったのは、同じく京都大賞典で大敗して人気を落としていたスペシャルウィークでした。
スペシャルウィークにしてみれば復活勝利。勝者のウイニングランを、またしてもすぐ近くで見せつけられることとなったステイゴールド。
これでG1レースでの2着は4度目となりました・・・。
続くジャパンC、有馬記念は6着、10着に敗れてしまい、5歳時を終えます。

〇5歳時の戦績
京都記念 7着
日経賞 3着
天皇賞・春 5着
金鯱賞 3着
鳴尾記念 3着
宝塚記念 3着
京都大賞典 6着
天皇賞・秋 2着
ジャパンC 6着
有馬記念 10着


年明けのアメリカジョッキークラブCでは久しぶりの勝利への大きなチャンスが訪れます。
強力なライバルは見当たらず、ステイゴールドは1番人気に押されました。何と、武豊が騎乗したWSJS以来の1番人気です。
それでも、正攻法から勝ちに行ったところをマチカネキンノホシに差され、2着・・・。

続く京都記念はテイエムオペラオー、ナリタトップロードのG1馬2頭に続く3着。
その後出走した日経賞は大本命・グラスワンダーが凡走するという大チャンスでもありましたが、また2着・・・
天皇賞では「3強」と思われたテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロードに続く4着・・・

完全に名人芸に磨きがかかっている・・・

「1着」を追い求める彼の旅は、あまりにも苦しい。

ここまでで実に重賞競走の2着が7回(うちG1は4回)。3着も7回(うちG1は2回)。4着は3回(うちG1は1回)。
1着は、ゼロです。
まだ、「主な勝ち鞍・阿寒湖特別」のまま。

陣営はついに非情の決断をします。

悲願の初重賞制覇を目指す目黒記念で、それまで37戦中、実に33戦で手綱をとってきた熊沢重文騎手に代わり、武豊騎手を鞍上に迎えたのです。
未勝利時代からずっと調教に乗り、レースを教え、G1レースでは度々前評判を覆す好騎乗を見せてきた熊沢騎手とのコンビが解消されるというのは、なかなかショッキングなニュースでした。
しかし、メンバー的にも大きなチャンス。陣営の「何としても勝利を」という気持ちの表れだったことは間違いないでしょう。

目黒記念は重馬場の中、前残りを狙ってホットシークレットが大逃げを打ちます。ハイペースで進む中、ステイゴールドはいつもより後方からレースを進め、直線では内を突き、馬群を縫うように脚を伸ばします。左へモタれる傾向があるステイゴールドは、左回りだとインに切れ込む形になりやすく、スムーズな誘導です。
そして、AJCCで後塵を拝していたマチカネキンノホシを決め手で上回り、ついに先頭に!

場内は大歓声。大きな拍手に迎えられてついに1着でゴール!

実に2年8ヶ月振りの勝利。ステイゴールドはついに念願の重賞タイトルを獲得しました。土曜日、それも雨の中で起こった大歓声は、ステイゴールドが多くのファンに愛されていたことの表れにほかならないものでした。
レース後、池江調教師は涙を流していたそうです。

熊沢騎手は「複雑な気持ち」であったとしながらも、レース後はすぐに武豊騎手に祝福の言葉をかけたそうで、人柄の良さが伺えます。個人的には、これまで育ててきた熊沢騎手の努力が実った瞬間でもあると思っています。


悲願の重賞制覇後、宝塚記念4着、オールカマー5着と、ステイゴールドらしさ(?)を取り戻してしまいますが、秋のG1では7着、8着、7着と見せ場を作れずに終わってしまいます。

〇6歳時の戦績
アメリカJCC 2着
京都記念 3着
日経賞 2着
天皇賞・春 4着
目黒記念 ①着
宝塚記念 4着
オールカマー 5着
天皇賞・秋 7着
ジャパンC 8着
有馬記念 7着


[悲願の重賞制覇から海外遠征へ]

年が明けて7歳となったステイゴールドは、目黒記念と同じハンデ戦の日経新春杯に出走します。藤田伸二騎手が初騎乗となりましたが、好位のインで折り合って抜け出す完璧な競馬で重賞2勝目をマークしました。

まだまだ力が健在であることを見せたステイゴールドは、同じ厩舎のトゥザヴィクトリーがドバイワールドCに遠征するため、パートナーとして遠征し、武豊騎手が騎乗してドバイシーマクラシック(当時の格付けはG2)に出走することになりました。
G2という格付けではあったものの、当時の芝路線では世界のトップクラスのメンバーが揃っていましたが、直線を矢のように伸びたステイゴールドは、先に抜け出したL.デットーリ騎乗のファンタスティックライトを急追し、ついには並んでゴール!
非常に際どい体勢でしたが、ステイゴールドはハナ差で勝利となりました。

ファンタスティックライトはジャパンCでテイエムオペラオー、メイショウドトウと激戦を繰り広げており、日本のファンにもなじみの深い馬でした。それだけでなくシーマクラシックの前年の勝ち馬で、G1を2勝しているトップホース。ステイゴールドの勝利は海外のホースマンからも高く評価を受けるものでした。

「善戦マン」「シルバーコレクター」と呼ばれたステイゴールドが、海外の強豪を相手に勝利する。それもハナ差の接戦で競り勝つとは・・・!
ただ、ドバイシーマクラシックは翌年からG1に格上げされることになり、「やはりG1勝利には縁がない」というところはステイゴールドらしさも感じさせました。

ステイゴールドには、G1制覇という最後の夢が残されていました。
海外での重賞制覇という勲章を持って望んだ宝塚記念は4着で、やはり悲願達成は成らず。秋シーズンは年齢的にもラストチャンスのように思われました。

秋初戦の京都大賞典では、絶対王者テイエムオペラオー、菊花賞馬ナリタトップロードに激しく競りかけますが、左にモタれる悪癖によりナリタトップロードの進路を妨害してしまいます。テイエムオペラオーよりも先にゴール板を駆け抜けたものの、失格処分。
左回りの天皇賞・秋では武豊に手綱が戻り3番人気に押されますが、好位のインから直線に向くとやはり左にモタれ、7着。内ラチを頼って真っ直ぐ走らせる作戦も、彼には通用しませんでした。

長く走り続けてきたステイゴールドも年内での引退が決まり、ジャパンCを経て香港国際競走をラストランとすることが決まりました。
しかし一流馬を相手にするには大きな問題がありました。
もちろん、モタれ癖をはじめとする気の悪さです。
陣営は何とかして真っ直ぐ走らせる方法を探ります。ハミを工夫し、左側だけブリンカーを装着。血のにじむような努力がうかがえます。

国内の最終戦となったジャパンCでは、外目からモタれることなく、真っ直ぐに走るステイゴールドの姿がありました。それでも、頂点には届かず、4着。ついにステイゴールドは日本でG1を勝つことはできませんでした。

そしてついにラストランとなる香港国際ヴァーズ(G1・芝2400m)に向かうことになります。鞍上には天皇賞から3戦続けての騎乗になる、武豊騎手が指名されました。

ところで、香港では馬名が漢字表記されます。ステイゴールドは「黄金旅程」。ステイの部分がどのように解釈されたのか微妙なところではありますが、黄金を探し続ける旅、という意味でとらえるとピッタリすぎるネーミング。
Stay Goldは「輝き続けなさい」みたいな意味ですが、なんだよ黄金旅程ってカッコええやん、と思ったものです。

レースでは中団につけ、勝負どころでの進出を待ちますが、エクラールに騎乗したL.デットーリが奇襲を仕掛けます。早めのスパートで出し抜けを図り、4コーナーから直線で大きなリードを取ります。ステイゴールドも良い伸びを見せて2番手に上がりますが、先頭とは大きな差・・・
さらに想定外のことが起こります。左にモタれる癖のあるステイゴールドが、いつもとは逆の右側(右回りなので、内側になります)に斜行しようとしたのです。

「また2着」

という思いが頭を過りますが、武豊騎手は慌てて修正します。そして体制を立て直したところから、ステイゴールドは猛然と追い込みます。
武豊騎手はレース後「まるで羽が生えたようだった」と表現しました(どんな時も「使える言葉」を残す武豊騎手、さすがすぎるw)。
早めに抜け出していたエクラールの脚色が鈍ったところでステイゴールドが一気に差を詰め、アタマ差交わしてゴール!

実に通算50戦目。丸4年の間、常に重賞戦線で上位争いをし続け、G1では惜敗し続けてきた個性派。
多くのファンに愛されたステイゴールドは、ラストランで劇的なG1初制覇を飾りました。


〇7歳時の戦績
日経新春杯 ①着
ドバイシーマC ①着
宝塚記念 4着
京都大賞典 失格
天皇賞・秋 7着
ジャパンC 4着
香港ヴァーズ ①着



[種牡馬・ステイゴールド]

ステイゴールドは種牡馬になってからその秘めていた能力を知らしめたと言えるかもしれません。産駒は切れ味もさることながら、優れたスタミナと大レースでの爆発力を持っています。代表産駒が凄い。

オルフェーヴル 牡馬三冠、有馬記念2勝、宝塚記念
ゴールドシップ 皐月賞、菊花賞、有馬記念、宝塚記念2勝、天皇賞・春
ドリームジャーニー 有馬記念、宝塚記念、朝日杯FS
オジュウチョウサン 中山グランドジャンプ4勝、中山大障害2勝
フェノーメノ 天皇賞・春2勝
インディチャンプ(現役) 安田記念、マイルCS
ウインブライト(現役) QE2世S、香港カップ
などなど。

父があれだけ勝てなかったG1を、何勝もする産駒をどんどん排出し、遺伝力の強さ、ポテンシャルの高さを感じさせます。
現役馬で応援したい馬がいます。

エタリオウ
父ステイゴールド 母ホットチャチャ(母の父Cactus Ridge)
栗東・友道康夫厩舎 牡

ダービー4着、菊花賞2着をはじめ、その他に重賞2着が3回。
何とまだ1勝馬です。成績でいえば父に一番よく似ている産駒かもしれません。



ステイゴールド産駒の多くが気難しい馬である、というのは言うまでもありませんw