魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

師走

2014-12-23 15:56:05 | Weblog

 ホームページ上の「Hの思想」を読み直した。まとまりがなく、間違いだらけであった。手直ししたが、まだ多くの間違いがあるかもしれない。何しろ障害者を抱えた生活であり、集中できないし、老化した頭でやることだから神経が行き届かない。
 インターネットバンクのID、パスワードで何度もトラブった。キーチェーンの処理に問題があったようだ。~とーの間違いもあった。老人にネットはしんどいが脳の活性化にはなる。 

  自転車人生も本格化してきた。自転車にトラヴォーイトレーラーを着けることにした。背負子に2輪を着けたようなやつである。大きな買い物をするのに便利だった。時にはリヤカーを着けられるようにもした。青空と雲を見上げながら自転車をこぐすがすがしさは何ともいえない。時にはのんびりバス待ちをする。車を持っている頃はある意味で車に使われていたのだと思う。新幹線も人間を追い立てるものだったが、リニア新幹線が開通した時代に現役だったら悲劇だ。定年も延びそうだし、とても自己探求の暇はなさそうだ。

 市内の老女が2千数百万円だまし取られたという。今年の振り込め詐欺被害額は5百億円を突破しそうである。貯め込んでいる人が多いということだろう。金の亡者に日本国を象徴している。今時の若者も貯蓄志向が強いそうだ。金は使うためにあるのだよといいたい。高価でも国産のいいものを買うために使えば国の景気もよくなるだろうに、このままでは来年早々アベノミクスは破綻するのではないだろうか。

 さて、浮き世のことはさておき僕は僕、林間期だ、のんびりいこう。 


人類の現在

2014-12-07 09:51:13 | Weblog

 81才で眠った菅原文太は科学技術の進歩に批判的だった。しかし現在の民衆は盲目的に夢を求める少年時代である。ハヤブサ2号に希望を託している。それが現在高校1年生くらいの段階にあるといわれる人類の現況というものだろう。

 衆議院選挙はもくろみ通り安部政権の勝ちになるだろう。安倍政権の政策は、経済政策も集団安保も原発も、日本の未来に悲劇をもたらす可能性が高いが、民衆にとって目の前の生活が第一、非正規雇用であろうと仕事があればいい。知識人のいうエコで人に優しい経済政策など難しくてわからない。うまく行くかどうかもわからない。選挙のことなど考えるのは面倒くさい。どうせ分からない未来なら安部にかけてみよう。今を楽しめればいいのだ。明日は明日の風が吹くである。

 世界は今や民主主義の終焉に向かっているのではないだろうか。日本の民主主義は機能不全に陥っている。オバマを拒否した差別国家アメリカも同じだ。英国はスコットランド独立という事態は避けられたが、その代償としての経済負担が未来に暗い影を投げかけている。独仏なども極右の台頭で先行きくらい。北欧の小国は小国であるが故の統一性によって社会主義的民主主義を保っているが、ユーロの破綻という事態になればどうなることか。
 一方独裁国家中国、ロシアの勢力は拡大しつつある。インターネット時代、個々の欲望が解放されて、混沌の時代に入った。天災人災は過激化の一途をたどっている。混乱は強権を求める。「民主主義は最悪だ。しかしほかに方法はない。」などと悠長に構えていられる時代ではないのだ。

 かくして21世紀、人類は新たな試練の時代を迎えたのである。 


文学時代

2014-11-04 10:34:56 | Weblog

 去年だったか、「一生懸命に生きている」という言葉に出会った。僕は愚かでずるい人間を憎むところがあったが、そこではっと目が覚めた。どんな人間も一生懸命に生きているのだということだ。邪悪の人も、狂う人も、平凡な人々も、みんな一生懸命生きているのである。エーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」を著したが、現代人はますます自由からの逃走を深めている。しかし彼らは一生懸命逃げているのである。暗い未来や現在の屈辱、生活苦など、なかんずく孤独から自由になろうとして逃げているのである。

 平成2年(1990年)、僕は尾関のつてで「半身」という東京の同人誌に参加した。「季節のない風景」という小説を書いた。そんな小説を書いたことがあったのかと、今日「半身」集を取り出して思い出したのであった。実は、後に気がついたことだが、同居していた母は「半身」に参加した頃からアルツハイマーの傾向が出ていたのであった。「半身」は平成17(2005年)年を最後にやめている。平成3年(1991年)に母が没してから、知的障害の姉の施設に入れ面倒を見ていたが、平成14年(2002年)施設から引き取ったので、文学的思考に時間を割けなくなったからである。知的障害とつきあう葛藤のため書くという精神的余裕がなくなったのである。

 文学時代は昭和56(1981)年から 平成17年(2005年)という長きにわたっているわけだが、その間、実生活的にも実に多くの経験をし、多くの人間と出会い、裏社会を垣間見たりして多くのことを考えさせられた。
 初期は心理学的な精神論の色調が強かった。その頃愛読したフロイト心理学を社会に適用し、社会・歴史分析をしたエーリッヒ・フロムの著作も精神論的に解釈していたように思う。それを人間批判、社会批判に適用していたのである。攻撃的な精神心理主義者だったといえる。それが徐々に欲望的心理学から生命論的世界観が強くなっていったのである。
 文学時代の経験はある意味で混沌としていてどのように表現するか難しい問題であった。それが僕の文学におけるテーマだったといえるだろう。しかし、魂の暗闇にも入らなければならない小説の創作は姉の介護という状況で挫折した。そこで魂の思想、心の思想に焦点を当て思索することにした。瞑想的思索は精神に安定をもたらすものである。特に『無』に興味を持ち道元の正法眼蔵(しょうぼうげんぞう、正法眼藏)を読んだりした。そして『無』イコール『混沌』に至った。思えば僕の人生全体が混沌であった。結果、生命論的世界観、『世界生命』に至ったともいえるだろう。

 以上、僕の精神発達史のあらましを振り返り、それを記述してみて、何か憑き物が落ちたようなすがすがしい気持ちである。今は改めて過去の読書や自分の作品を振り返ってみたいと思っている。とはいえ、 現在ホームページ上で『半身』に掲載した小説『Hの思想」を校正、掲載中だから、そちらを早く進めるべきだろう。


文学活動へ

2014-11-02 10:40:13 | Weblog

 韓国でカメラ窃盗を認めていた富田選手が、ここに来て冤罪を訴え始めた。何を今更だが、当初奇異な気がしたのも確かだ。なぜカメラなんか盗むのか、それもあんな場所でという疑問だった。だが当人が認めたというのだから、盗癖でもあって、ストレスから衝動的にやってしまったのかとも思っていた。盗癖の経歴もないないのなら、好意的に見れば、警察に詰問されて思考がストップしてしまったのかもしれない。つまり一種の催眠状態に入ってしまったのである。そう考えればことの顛末が理解できる。スポーツ選手は権力に弱いし、水泳のような個人競技の選手というものは、サッカーのようなずるさの必要なゲーム的スポーツの選手と違って、人間が素直だから催眠にかかりやすいだろう。人生は催眠である。成功者になるには被催眠性が高くなければならない。しかし、根本にちゃんとした自意識を持っていなければ人に陥れられ易いといえる。韓国相手に冤罪を晴らせる可能性はほとんどない。富田は自分の愚かさを反省して、自己をしっかり見つめて再出発することだ。

 文学活動を始めたのは自己再生のための自己探求だといえる。昭和56年の夏、40才にして始めた文学活動は地域同人誌「許呂母」第三号からであった。「許呂母」は創刊昭和55年4月1日で、編集者は異色の反小説家尾関忠雄であった。「許呂母」は昭和62年8月、10号で終わった。なぜ終わったのかといえば、同人たちの内部蓄積がつきたからだろう。尽きせぬものを持っていたのは尾関だけだろう。尾関はほかにもいくつかの同人詩で書いていた。僕にも、同人誌時代には仕事や女性関係で様々な経験をしていたし、書きたいことは山ほどあったがヨーガを習うことにした。
 ヨーガを習い始めたのは翌年昭和63年(1988年)ではなかったかと思う。ヨーガ(一般にはヨガというが、ヨーガ、あるいはヨゥガというのが言語に近いらしい)の学習は僕の心身に劇的な変化をもたらした。それまでも催眠の実習で習ったヨガ体操をしていたが、呼吸法を知らなかった。ヨーガは体位法(アーサナ)と調気法(プラーナ・アーヤーマ)と瞑想法(ディヤーナ)で成り立っているといわれる。ヨーガの究極的な狙いは瞑想法が本命だが、気は宇宙的生命的エネルギーといえるので、成長期に多くの身体的ダメージを受けてきた僕にとって、一番大切なのは呼吸法であった。瞑想法とは精神集中のことで、究極的には魂の自由に達するといわれる。僕には魂の自由が欲しいというより、魂の自由とは何かという瞑想するという知的な欲望の方が勝っていた。
 ヨーガによって蓄膿気味の鼻づまりや頭痛、腰痛やむち打ちも改善していった。ちょうどその頃、小学生時代から悩まされてきた手のひらの皮膚病がカルシウム不足によるものだと薬局の人に教えられ、カルシウム剤を与えられて治癒したのであった。医師よりも薬剤師の方がよく知っていることもあるのである。  


自己催眠4

2014-10-10 10:01:12 | Weblog

  村上春樹のノーベル賞騒ぎは終わった。村上の作品で読んだことがあるのは「ノルウェイの森」と「羊をめぐる冒険」だけと記憶している。印象はムード小説かというのであったと思う。「羊をめぐる冒険」などで途中で投げ出してしまったように思う。表層的で、魂が書かれていないという感じであった。現在は文学作品を読まなくなったものがあれこれいうのはなんだが、彼がノーベル賞に値しないのは人間性、民族性、社会性における人間的葛藤に対する意識が薄いからだろう。現代では希少な文学好きな若者には人気があるようだ。それだけ自己愛的人間が増えたということかもしれない。

 僕は催眠術を学ぶことによって自分本来の魂の欲求に気づいたと思う。それは古来多くの思想家が求めてきたもの、「人間とは何なのか、人間は何のために生まれてきたのか、世界はなぜこのように存在するのか」という問題の答えである。そこで改めて先賢たちの残した思想を点検してみようと思い立ったのである。しかし相変わらずの自堕落を引きずりながら生きていた。自堕落は心身の歪みから来ているのであるから、その改善のためにも自己催眠を続けていった。

 催眠勉強の後何年かして中日文化センターでヨーガの講座を受講した。他者催眠が宗教的技術であったように、自己催眠も宗教的修行法として行われて来た。ヨーガや座禅もその一つである。
 寺院で座禅をしてみたこともある。座禅は必ずしも暗示を必要としないように見える。自己催眠とは自己を自己催眠状態に導く方法といえるかもしれない。禅でいう「真空妙法」・「天地一枚の境涯」・「絶対矛盾の自己同一」を自己催眠状態と呼んでみたのだが、これは他者催眠のように何かを待つような状態ではなく、何ものからも自由な状態となることのようである。
 座るだけでは物足りないのとインドの世界観への興味もあってヨーガを始めたのであった。講座の主宰者は番場一雄という人であった。彼によるとヨーガは自我の実現と自我の解放という二面性を持つ段階的な幸福体系だという。ヨーガは精神集中のための技法であり、難しい体位の体操をするのが目的ではないということである。
 集中力の弱い人でも訓練次第で集中力が高まり深い催眠状態が得られるだろう。しかし人それぞれの魂によって幸福は違う。一気に深い自己催眠状態を体験することはできないし、必要性もないのである。 


自己催眠3

2014-10-09 10:16:23 | Weblog

  心とは不思議なものである。記憶喪失では過去の人格は失われてしまい、別の人格になるなのである。記憶を取り戻すと記憶喪失時代の記憶を忘れ、元の人格に戻ってしまう。人間の記憶は人格と結びついているに違いない。他者催眠でも通常の人格は脇にどいてしまい、催眠者という他者を主体とした別人格による経験をすることになる。浅い催眠状態では、まだ催眠者と共同主体のような状態だから催眠時の記憶は残っている。しかしもっとも深い覚醒時には、完全に自己の主体性は失われ、その記憶は失われるのだろう。二重人格障害や多重人格障害では、別の人格の記憶は失われるという。主体が完全に変わることを意味するだろう。

  内向的といい外向的といって性格判断をするが、人間の心は双方向性だろう。外向性強くなりすぎてもない構成が強くなりすぎても精神病になるだろう。大事なのはバランスである。
 問題は何に関心があるかではないだろうか。僕は内向的か外向的か。内面を見つめているが、自己反省をしているだけではなく、外部の世界や宇宙に対する自分の思惟を見つめている時の方が多いのである。自己の思惟を見つめるという意味で内向的といえるだろう。

 僕は多くの愚かしいことをしてきたが、その後じっと自分を見つめ反省してきた。しかし一通り反省したらあとは忘れてしまう。「今日のことは今日で終わりなん、明日は明日のことを思い煩わん」である。一度反省したことは暗示となって二度と犯さないという気持ちであった。強い内向的暗示をしたともいえる。
 僕の一面は活動的で陽気であり、何事にも一生懸命になる。また人の批判はするし、人の不正に対して攻撃的である。これは外向的であろう。しかし愛想やごますりは大嫌いである。少年時代から多くの偽善を見てきたせいであろう。

 子供には内向性はないだろう。内向性は大人になっての心理傾向だといえる。人間的に成長するにつれ人は内向性を持つものだろう。現代日本人は幼児性が高いといわれるのは内向性が育っていないのである。内向性は現実の厳しさを経験して育つ。金持ちの子は甘やかされて育つから内向性が弱い。


自己催眠2

2014-09-29 11:24:49 | Weblog

 催眠術の体験から心の不思議さに目覚めた僕は、魂の哲学に向かった。それまでは宇宙の不思議を求めてSF世界を旅していたのだが、心の世界の方が遥かに不可思議だったのである。また詩作を再開し、同人誌にも参加するようになった。40歳の夏のことだった。

 藤本正雄の「催眠術入門」と平井富雄の「自己催眠術」を買ったのは本格的に小説を書こうと思い立った51、2歳の頃だったのではと思う。

 他者催眠時の意識について、守部昭夫の本では記憶支配では意識がなくなるといっていた。1973年版であった。他者催眠時には意識が通常のようにあるとした平井富雄の「自己催眠術」は1992年版である。催眠に対する研究が進んだということだろう。催眠時であっても過去の記憶を思い出し、語るときに意識がないというのはおかしいという気がする。記憶支配のときにやったことを覚醒時には忘れてしまうのは、催眠者の指示によったことは自分の経験として記憶されていないとか、意識の次元が違うということかもしれない。夢を見ているときの脳波は覚醒時と類似しているという。夢から覚めたとき夢のことを忘れてしまうことは多い。夢を覚えているのは夢うつつのときだろう。目覚まし時計などで、はっきり目が覚めたときなどは夢を覚えていないし、夢などみていなかったとさえ思うだろう。

 ということで、自己催眠では記憶支配まで入れないという説ついても考え直す必要があるだろう。自己催眠の状態でも過去の記憶を辿ることができるのではないだろうか。深い自己催眠状態で過去を探れば、思い出したくない過去も思い出せるのではないだろうか。実際僕は多くの過去の過ちを平気で思い出せるようになっている。高まった集中力で恥辱間や虚栄心、罪悪感を排除して記憶を辿れるのであろう。

 

 藤本正雄野「暗示の本質は自己暗示だ」を踏まえて「催眠とは自己催眠である」といったが、他者の暗示を受け入れる、すなわち他者の言語を自分の言語と同化・同一視するというところまでで、本質的には自己催眠と他者催眠は違うという。平井富雄によると、それは脳波の波形で証明されているということである。他者催眠の脳波の波形は覚醒しているときの普通の脳波と同じらしい。つまり自己の意志を他者に委ねただけで眠っているわけではないということだろう。感覚や記憶を支配されるのは意識の方向決定も委ねているわけだが、それを自分の意志だとも思っているわけである。

 意識や意志の方向付け、つまり心の操舵を他人に任せるのが他者催眠といえるだろう。これを「我を忘れる」と平井富雄は表現している。自己意識だけはあるのだが、意欲や感情、感覚、思考など、実際的な心の働きには意識が行かないのである。日常でも、疲れたときなど、ぼんやりして、何の感情も、何の思いも浮かばないようなときがある。それは何かを待っているような状態といえるかもしれない。その何かは外からか内からか?他者催眠では外からということになる。

 自己催眠の脳波は睡眠時に近くなる、しかし眠っているわけではない。うたた寝やほろ酔いに似ているという。我を忘れるという状態ではない。

 


自己催眠

2014-09-23 15:34:35 | Weblog

 平井富雄著「自己催眠術」に被暗示性・被催眠性の高さについての記述がある。知能の高い人ほど催眠にかかりやすい傾向があるという心理学者による研究結果が報告されている。それによるとIQ70からIQ100のあたりまで被催眠性は高まるようである。IQ70以下がないのは知的障害があるとみなされているのだろう。100以上は少しずつ上がっているがほとんど変わらないところがおもしろい。頭が悪くては催眠にかかりにくいが、IQ100は標準的知能だから、知能が高いほど催眠にかかりやすいともいえないだろう。「女性は、男性よりも催眠にかかりやすい」は俗説として否定されている。
 興味深いのは性格による被催眠性の高さである。内向的な人と外向的な人を比べると、外向的な人の方がより催眠にかかりやすいといわれる。つまり標準的な知能以上で外向性の強い人が催眠にかかりやすいのである。
 外交的とは意識の重点が外に向いていて、他人の言語・暗示に対する集中力が高いということだろう。内向的な人は自分の内なる言語に意識の重点があるので、他人の言語・暗示に対する集中力に欠けるのである。外向性が行き過ぎると(外面ばかり気にすると)人にだまされやすい人間になるし、内向性が強すぎると(辛気くさくなって)人付き合いの下手な嫌われ者になるだろう。辛気くさくても成功するのは学者や芸術家くらいだろう。世間で成功するには外向性が大事だ。最極端は精神疾患ということだろう。精神病質者、ヒステリー症患者は外向的、恐怖症患者、強迫神経症患者は内向的といわれる。

 「催眠とは自己催眠である」ともいわれる。他者催眠も、尊敬、恐怖などをきっかけとしてであっても、催眠者の暗示を受け入れる、それと自分が同化するところから始まるからだろう。それゆえ催眠術を理解するには自己催眠を理解した方がわかりやすいだろう。 
 僕が他者催眠の催眠誘導テストを受けていたときも、実際には僕は自分でやったわけである。自己催眠である。自分で催眠テストを繰り返すことによって被暗示性が高くなった。テストを繰り返すことは集中力を高める訓練になったのである。ついにはイメージしなくても暗示だけで振り子が回ったり手のひらがくっついたりするようになった。手のひらがくっつくときなど何かの力で引っ張られていくような感じになった。「強くくっついた手のひらはもう離れない、離そうとしても離れない 、ますます強くくっつく」という暗示がある。最初は離れてしまった。そこでなぜ離れたかを考えた。離れたのは離すというイメージへ意識が移動して肩の力を抜いてしまったからだ。手のひらを離すには肩の力を抜かなければならない。「強くくっついて離れない」という暗示から離れて、離す方に意志、イメージが移動してしまったのである。暗示に忠実でなかったわけである。催眠でたいせつなのは暗示に集中して勝手に次のシーンへ移らないことなのである。本を読んでも文章から他のことを連想したり、反対のことを考えたり、批判的なことを思ったりする性格の僕は暗示に忠実ではなかった。自己催眠の練習をするときは、すべてを暗示の通りに行うことがたいせつだ。覚醒も「5分したら目が覚める」というように暗示によって定めて練習した方がいいだろう。そうでないと暗示にない思いつきで催眠状態から醒めてしまうことになる。「催眠というものはない。あるのは暗示だけだ。」と催眠術を大成したというのベルネームはいっています(藤本正雄・催眠術入門)。
 催眠が暗示だとするなら、自分に自信のない人は自己催眠に向かないないだろう。自分の言語に自信がなければ暗示としての機能も弱いだろうから。催眠の本の著者は言及していないようだが、自己催眠は、内面に向けての暗示だから、内向性の人の方が向いているかもしれない。


催眠術3

2014-09-19 10:45:36 | Weblog

催眠教室で自己催眠テープなるものを購入した。シュルツの自己暗示法に則った守部先生による暗示を録音してあるものだった。内容には楽園で憩うようなイメージがあったと思う。毎晩それを聞きながら寝ていた。そんなあるととき、深い深い墜落感に陥った。心地よい、魂が抜け落ちていくような無限の墜落感だった。しかし急に恐怖感が起こって目が覚めた。僕の心の奥に隠された暗黒が現れることへの恐怖であったかもしれない。自己催眠テープはけっきょく先生の声に身を任すことであり、そこに自分の声、自分の意志はないのである。僕は人に支配されるのは大嫌いで、世の中の権威や名声に対しても不信感を持つ人間だった。それゆえどんなに守部という人が人格者との評判があっても、自分の魂の底にあることをさらけ出す気はなかった。催眠の最も深い状態では、記憶支配といって、心の中をのぞくことが出来るという。育ちのよい先生たちには理解できないものを僕は持っている。そういう思いもあった。そして催眠教室を去った。

 しかし催眠現象は僕に大きな感動を与え、無意識の心への興味をかき立てた。その後僕は人間の心についての本を読むようになった。まず催眠現象を検証することにして、心理学的な解説書を読むことにして、藤本正雄著「催眠術入門」と平井富雄著「自己催眠術」を購入した。
 「催眠術入門」によると、深い催眠状態では「暗い静かなところで、自分だけが座っているような感じで、頭の中がまったく空になって、何の考えも浮かんでこない。そばの音も何も聞こえてこないが、しかし自分の存在だけは、はっきり分かっている。」という。外部の音を聞いていても、物を見ていてもそれは意識されないし、自分で考えてものごとを判断することの出来ない状態のようである。催眠者の暗示を待っているだけの、自分の意志の喪失だといえるだろう。催眠者に意志を渡してしまっているのである。
 催眠の深さは運動支配から知覚支配、そして記憶支配へと3段階に考えられていて、知覚支配の段階に入れる人は、催眠者や文化の違いなどによって差が出るのだろうが、15%から25%くらいのようだ。どうしてもかからない人は5%から15%くらいいるという。ちなみに運動支配や知覚支配の段階にしか行かない人はそれぞれ35%くらいと考えられている。まったく人任せになるほどの人はあまりいないのではないかと思う。守部先生は、宇宙人に会ったという人に催眠をかけて記憶を覗いたことがあるが、最後は頭が割れるように痛いという状態になって、それ以上深くは入れなかったという。宇宙人の拒否暗示という説もあるが、無意識の拒否にあったのであろう。その人にとって、それがたとえ幻視体験だとしても、真実の体験であったのかもしれない。どんな深い催眠状態にあっても、その人の人格など、魂の根幹に関わる暗示は拒否されるのであろう。催眠で犯罪に導かれるとしたら、その人自身の倫理観に問題があるのである。

 催眠深度のパーセントは人類の精神構造を表しているようでおもしろい。全く催眠にかからないのはよほど雑念の強い無気力な人だからだろう。集中力の高い人ほど自己催眠力も大きいだろう。しかし、記憶支配の深い段階は、無意識の世界に入り暗示する自己意志も消えてしまうので、自己催眠では不可能なようである。


催眠術入門2

2014-09-09 09:47:16 | Weblog

 催眠にかかりにくい弛緩タイプとは、自分から何もしなくても施術者の言葉通りに振り子の重りが動くことを期待しているのではないだろうか。超能力を期待しているのかもしれない。全くの他力本願性格者だ。他力本願でも親鸞のそれとは違う。親鸞には阿弥陀如来への信仰があった。法然上人への尊敬と信頼があった。それは自ら発するもので自力といえるだろう。ところが催眠にかからない弛緩タイプは催眠術を信じているわけでも、催眠術の先生を信頼しているのでもないようだ。信じていれば意識的にでも手を動かしてしまうものである。先生から「重りが、まるで振り子のように、左右に動くと思ってください」といわれても、ただ漠然と動くと思うだけで、奇跡が起こるのを待っているだけなのだろう。動くイメージがついて行かないのかもしれない。想像力が貧しいのである。あるいは、たとえイメージを働かせていたとしても、本当に動くのだろうかとか、こんなことばかばかしいとか、ふと彼女のことを思ったりするとか、雑念が混ざって重りの動くイメージに集中できないのかもしれない。雑念が強いのだろう。雑念が強ければ集中力は弱くなる。信じる力も尊敬する力も弱くなる。無気力にもなる。

 人は誰でも何かに集中するときは緊張して体に力が入るものである。弛緩タイプとは集中力の欠如、雑念の人だといえるだろう。雑念の強い人たちは無気力で常に欲求不満や不安にとらわれているのではないだろうか。かれらが催眠教室に来るのは何か超人的な力が自分を変えてくれ、楽園に連れて行ってくれることを期待してのことだろうが、自分からは何もしないで、丸ごと身体を抱きかかえて持って行ってくれるのを期待しているのだ。しかし、ちょっと宗教的な表現だが、「楽園は心の中にある。楽園に連れて行ってもらうには、導き手に自ら手を差し出し、身体を差し出し捧げ、心を裸にしてもらわなければならない」のである。 世の中で大事をなす人は皆それに身を捧げているのである。芸能スポーツしかり、金儲けも権力獲得もしかりである。

 さて自分を振り返ってみると、懐疑論者であったから、催眠について学ぼうという心は強いが、催眠者を信じる心は弱い人間であった。 だから直接的には催眠にかかりにくいタイプといえる。しかし催眠の原理は理解していたから、自ら意識的に動くことによって、催眠状態に入るという手法を用いていた。先生の言葉を丸ごと受け入れるのではなく、自分の言葉に直して受け入れたのである。ある意味で自己催眠といえるだろう。