魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

催眠術入門

2014-08-23 11:09:49 | Weblog

 いまや世界は思春期の混沌を生きている。思春期とは幼少期に安住していた家族的世界観が動揺する時期である。どんな催眠状態も解けるときが来る。それをもたらすのは心身の変化、動揺だだ。それは成長のときだ。

 催眠術の勉強のはじめは催眠誘導テストである。まず両腕が震えるテスト、次にパチンコ玉が大きく揺れるテスト、そして風船が膨らむ、しぼむテストであった。パチンコ玉テストとは、パチンコ玉のおもりで造った、30センチほどの振り子を被験者に親指と人差し指でつまませ、目の前10センチほどのところにぶら下げtまま20秒くらい凝視させ、それから「パチンコ玉が、まるで時計の振り子のように、左右に動き出したと思ってください」と指示する。被暗示性の高い人はすぐにパチンコ玉が動き出すという。続いて「ぐるぐる回る」や「大きく揺れる」と指示するとその通りに動く。
 催眠誘導テストは「心に思ったことが体に伝わると」いう人間の生理現象を利用している。「パチンコ玉が動き出す」と思うと手は無意識に振り子を動かすのである。
 僕の場合、家で予行演習したとき、動き出すのに数秒かかった。動き出したときは微妙だが意識的に動かしたような気がする。何度か繰り返すうちに自然に動くようになった。おかげで催眠教室ではすぐ動き出した。
 この現象を自分なりに理解してみた。すぐ動き出さなかったのは集中力が足りなかったのだろうか。いや、すぐ動き出すようになったのは動き出すという言葉と動くイメージが連動したからではないだろうか。動くと思うだけでパチンコ玉が動くのは不自然だという理性が働いていたのだが、繰り返しイメージしているうちに理性は眠り、習慣が勝ったのであろう。催眠になかなかかからない人も、何度も繰り返せばかかるようになるのは、この理屈だろう。 
 このテストでもう一つ重要な要素がある。30センチの振り子を目の前10センチに掲げていたら、肉体的条件によって違うが、20秒もすれば自然に手が震えるなどして重りが揺れ出すのは自然なことなのである。それを動くと思ったことによって動き出したというのは錯覚である。
 被暗示性と一概に言うが、様々な心の状態、性格が絡んでくるようだ。理性の弱い人、動くと思うだけでパチンコ玉が動くわけはないと思わない人もいるだろう。有名な先生が言うのだから動くのだろうと思っている人は、無意識に先生のいうとおりに動かしてしまうようだ。名利権勢に弱いのも被暗示性の高さの特徴のようだ。こういう人は詐欺師の催眠術にかかりやすい。 
 催眠にかかりやすい人は有名人の前に立つと緊張して理性が吹っ飛ぶ。一方催眠にかかりにくい、深い催眠状態に入りにくいのが弛緩タイプであるという。一体どんな性格の人だろうか。バカとひねくれ者は催眠にかからないといわれるが、それは言葉による暗示を受け入れられないからだろう。 
 一般的催眠といわれるのは言葉によるものだから言語能力に優れた人ほどかかりやすいという理屈になる。幼児はかからないが7,8歳から20歳くらいがかかりやすく、大人になると疑い深くなってかかりにくくなる。小学生のように素直な人多い現代っ子はかかりやすそうだ。ラーメン屋に並んだり、AKB48に群がったりする大人が多いのはそのためだろう。素直さのいい面は被災地のボランティアに向かう人が少なくないというところだ。

 それにしても催眠にかけられて力が抜ける弛緩タイプとはどういう人間だろう。 

 


終戦記念日に当たって

2014-08-18 11:15:10 | Weblog

 地方議員のトラブルが相次いだ。特徴は幼稚さであり、逆ギレである。精神の幼稚なものは逆ギレしやすい。
 終戦記念日のたびに国会議員の靖国参拝が物議を醸す。つくづく日本人は反省しない民族だなと思う。欧米キリスト教国の人々には懺悔がたいせつな生活習慣だが、祖霊信仰の国日本人は禊ぎで済ませてしまう。それで罪はもちろん恨みも忘れてしまうのである。中国には懺悔も禊ぎもないだろう。悪に寛容なのであるが戦略的な罪の追及は厳しそうだ。韓国にも禊ぎ・懺悔はないだろうが、ハン(恨)がある。イスラム教徒には六信五行といわれる宗教義務があるが、信仰証明であり、それが罪の禊ぎのような感じである。礼拝は1日5回行われ、毎日禊ぎをしているようなものであるが、懺悔することは一切ない。日本人の禊ぎは祭礼などで年に何回かしか行わないのだからたいしたものである。
 ともあれ国際社会は欧米的懺悔精神という価値観によって動いている。日本人がこのまま禊ぎ感覚でいいわけない。しかし長い催眠期間を経た島国DNAは容易に変化するものではない。DNA変化のためにはさらなる破滅的体験が必要なのかもしれない。
 戦争をしない平和を守るためには大きな努力や代償が必要だが、沖縄を犠牲にして凌いで来のが日本だ。その沖縄の犠牲の上に立って築いた経済的繁栄を失いつつある現在、日本は高まる中韓の懺悔要求に逆ギレして、暴力による自己正当化に向かいつつある。日本の幼稚化の現れだろう。

 戦争によって何もかも失った僕にとって、靖国に兄が祀られていることは極めて遺憾なことである。 大日本帝国の催眠にかかったままの多くの遺族は、戦後の繁栄を彼らの犠牲のおかげと靖国をあがめ、感謝するが、僕はその気になれない。とはいえ全ては歴史の必然であろう。いま、アメリカの反共政策のために生き残った大日本帝国の亡霊たちが立ち上がったのもまた、、、


催眠世界

2014-08-09 10:26:51 | Weblog

 人間の考え方、社会のあり方は習慣によって成り立っている。それは長い歴史の産物である。韓国は大国の権威によって自己正当化を図ってきた歴史と、そうせざるを得なかった歴史への恨みが過激な内面を作ってきたようである。日本は島国であるが故に守られてきた万系一統の神統記によって歴史を積み上げて従順穏和な民を育ててきた。その代わり個人個人の自立的自信は希薄である。赤信号みんなで渡れば怖くない的人間が多い。先進国の中で自分に自信を持てない若者が最も多いのもその表れである。集団となると神国日本という誇大妄想に憑かれて突っ走る危険性がある。無縁社会といわれ人間関係は希薄になったが自立心がないだけ全体に流される。熱しやすく冷めやすいというお祭り根性もそれに拍車をかける。日本人がお祭り好きなのは祭礼という祖霊信仰という伝統のたまものである。鬱屈した日常からの解放を求めて軍国主義に走る可能性は大きい。

 歴史とは催眠術のようなものである。僕は従順穏和な人間ではない。社会的習慣の外側に放り出されて育ったから歴史の催眠にかからなかったからである。しかし孤立化を避けるために従順温和なふりをしてきたようである。催眠現象を学ぶことによってそれを自覚した。
 「入門催眠術」の冒頭に動物催眠術が紹介してある。ゴキブリ、鶏、蛸、ウサギへの催眠術のかけ方である。ゴキブリに対する催眠のかけ方はこうである。「裏返しにして、腹を割り箸のような平たい押さえやすいもので30秒から10分動かなくなるまで抑える。静かになったら割り箸をそっと離すとゴキブリはそのまま死んだように静かにしている。」これが催眠術だという。「同じゴキブリに、一週間くらい、毎日この催眠術をかけると、さっとひっくり返すだけで催眠状態になる。」という。おそらくひっくり返った状態はゴキブリの頭を麻痺させるのだろう。要するに催眠とは頭を麻痺させることであり、条件付け(暗示)の繰り返しでかんたんに催眠状態に入るようになるということ、習慣の積み重ねといえるだろう。動物相手の場合は気合いなど音声による条件付け有効な手段になるようだ。
 人間の場合にはさまざまな催眠現象がある。ある意味で人間世界は催眠現象であるといっていいだろう。「入門催眠術」にはさまざまな例が書かれている。芸能スポーツはもちろん政治も催眠現象で成り立っているのである。英雄やスーパースターは大暗示者であるという。しかし最高の暗示者はマス・メディアであるという。スーパースターたちはマス・メディアによって造られているのである。コマーシャルなど典型的な催眠術である。
 人間は生まれてからさまざまな催眠術をかけられて成長する。家庭では母親からの催眠は最も大きいだろう。学校教育も催眠である。催眠にかけられやすい子供ほど成績がいい。社会人となれば仕事場が催眠の場となる。長くつとめればつとめるほど、催眠状態は強まり、退職後もその催眠状態から離れられず、ワークホリックになってしまう。だから個人的趣味を持つ必要があるのである。

 このように人間が生きるとは催眠であると言っても過言ではないだろう。それゆえに催眠を知ることは幸福な人生につながるだろう。



またぞろ田舎の選挙

2014-08-06 10:34:04 | Weblog

 モーニングバードのタマペディアで韓国の反日感情についてのインタビュー放送をしていた。インタビューの相手は日本語を知っている学生や大学教授、作家だから信頼を置けるものではない。日韓友好の政治家に対するインタビューは嘘が専門の政治家だから話にならない。しかし、学生たちが「日本文化は好きだが、韓国人としての民族意識となると複雑だ」と言っ、ているのが印象的だ。反日教育はないと言っているが、あからさまに日本は悪の国だと教えるわけはない。彼らには歴史問題について聞くべきだったのだ。韓国の歴史教育は正しいと思っているかどうかである。作家の言っていた反日システムが未だ厳然として存在するというのが正しいだろう。それに反抗して親日を語るのは不可能に近いだろう。
 それにしてもテレビ朝日が従軍慰安婦問題における朝日新聞の虚偽報道について検証しないのはおかしい。ま、誰しも自分の身はかわいいということか。 

 日本社会にも旧弊のシステムがまだ存在している。統一地方選が近づいてきて、またぞろ田舎の選挙システムが動き出した。市会議員候補の後援会への自民党からの入会勧誘がきた。地域代表として選ぶのだから加入しないことは許されないという雰囲気である。同級生でも元教育長Yが後援会長だという。同級生の男どもからはエゴイストとして嫌われているが、女性に取り入るのがうまいという評判の男である。市会議員などこれ以上いらないと言って断った。それでは困ると勧誘役の自民党員に泣き付かれた。勝手に名前を書いて出してもいいと言って妥協した。郷に入っては郷に従えで、意地を張ることもないのだが、会費や応援運動への予防線を張ったのである。実は、僕は市民派のO議員の応援をしているのである。といっても後援会に入って活動するほどではない。

 わが市は、昔から農村地帯の常として、政治屋は地域代表という認識がある。もともとは水利、土木など地域農業の利益確保のためであっただろう。兼業農家ばかりで純然たるサラリーマンも増えた現代では時代遅れのシステムだろう。しかしこの自民党支配のシステムは、有力者がその党員であるが故に消えることはない。特に僕の住むD町は特にその保守性が高い。専業農家などいないのであるが、戦前は舟運で栄えて豊かだったので政治的権力も強かったようである。 町村合併でT村が出来たときの初代村長は舟運会社の一族であった。彼は後に県会議員から国会議員になり長くその席にあった。そういうことが政治的保守性が高くしただろうと思う。未だに舟運会社の子孫が(現在は地質検査、測量の会社をやっている)、腐っても鯛と陰口をたたかれながらも、強い影響力を持っている。
 地域代表と言えば聞こえがいいが、実体は有力者の走狗となって役人に圧力をかける役なのである。地域問題に対しては市内に地域ごとのコミュニティーセンターがあり、地区選出の役員による話し合いで決めるシステムがあるのだが、住民の意識は低く形骸化していた。しかしサラリーマン家庭が増えるにつれ少しずつ意識が高くなってきたようである。とはいえ我がD地区の意識は未だ低い。自民党議員からは団結力が市内で最も高いと褒められて喜んでいる。おかげでサラリーマンたちは労組推薦や会社推薦と地域推薦、双方の顔を立てなければならない。はっきり拒否できるのは共産党員と創価学会だろう。ノンポリはどちらへもいい顔をするしかない。 


韓国、そして日本

2014-07-22 10:59:03 | Weblog

 「日帝時代の方がよかった」といった90歳の老人が殴り殺されたという記事を読んだとき、どこでも狂人じみたやつはいるもんだと軽く思った。それは韓国の反日感情に対する認識が甘かったのだ。韓国生まれで韓国育ち、韓国在住の韓国人による[韓国堕落の2000年史]、[恥韓論]を読むと、悪い面を強調しすぎている点を考慮しても、納得できる点が多い。そこに行くと日本生まれで日本育ちの辺真一の[大統領を殺す国 韓国]は韓国人の反日感情に対する見方が甘いという気がする。いや、彼には日本に育ったが故の反日感情というものも垣間見える。辺は従軍慰安婦問題を解決するために日韓条約の見直しという妥協案を提示しているが、果たしてそれですむだろうか。竹島の韓国領有権を認めろと言い出すだろう。たとえそれを認めたところで反日が終わるわけではない。図に乗ってさらなる要求を突きつけられるのが落ちだろう。

 独立後の韓国人は生まれたときから反日を植え付けられてきているのである。政権が日夜繰り返してきた「日本は悪の国だ」という暗示による催眠術にかかっているのである。 2000年のハン(恨)という素地の上に、70年近くかけられた彼らの催眠状態は深い。深い催眠状態は一回かかったらなかなか抜け出せないのものである。暗示は麻薬のように魂の深層を侵して人を支配する。哀れなのは2000年の呪いをかけられた韓国国民である。しかしグローバル化の波に洗われて彼らの反日もやがて消えていくことだろう。それまで、我々日本人は彼らの苦難を思いやり、忍従するべきだろう。 

 いっぽう、我々日本人は、韓国苦難の2000年間、四方を海に守られた島国の故に万系一統の祖霊神話の上に温順な民族として暮らしてきた。しかし蒸気船の登場によって欧米、ロシアからの侵略の脅威にさらされることとなって、その平和は破られた。日清日露戦争、日韓併合は国防のためであったが、日清日露戦争の勝利で増長した軍部(日本国民も)は侵略戦争に向かって敗戦の憂き目を見た。日本は文明開化によって欧露の侵略に対抗しようとしたが、天皇神話狂信の一派によって亡国の憂き目に遭ったのである。そしてアメリカの保護のもとに(つまり属国状態で)天皇制とともに生きることになった。戦争責任者の(戦犯)一族とともに、天皇の兵隊たちの霊をまつる靖国神社も一宗教施設として生き残った。朝鮮戦争、すなわち韓国の悲劇によって高度成長を遂げた。しかしここに来て、尖閣、竹島問題を契機として、バブル後の沈滞した社会の不平不満に乗じて、長らく雌伏してきた彼らが頭を持ち上げ始めた。彼らは大日本帝国の再建に向かって動き出している。小泉登場以来の政治情勢の裏には彼らの力が働いていると言っていいだろう。現在、積極的平和主義、集団的自衛権などと称して、アメリカ随従の姿勢を示しているのは軍国の再建のための方便に過ぎないだろう。

 徴兵制へ向かうのではないかと危惧する向きもあるが、さすがに憲法改正が必要になるし、3K嫌いの現代日本の若者たちが承知するはずはない。 安部の狙いはロボット軍隊だろう。ロボット戦争なら死に直面することはない。ゲーム感覚で戦争ができるのだ。喜んで参加する若者は少なくないだろう。しかし戦闘用のロボットを大量に制作するには巨額の資金がいる。そこで死の商人(武器商人)になろうとしている。
 安部のいう積極的平和主義とは軍事力による平和である。軍事力、すなわち暴力は必ずその身に災厄をもたらすだろう。 しかし目先のことにしか興味のないのが大衆というものである。心ある人の声は彼らには届かないだろう。
 
 韓国の反日感情について考えてきたが、実はそれどころではない悲劇が人類に迫っているのではないかという気がしてならない。 バブルに踊る大衆も無意識的のそれを感じているようでもある。とはいえ、それも人類の成長のためには必要なことかもしれない。


韓国について考える 3

2014-07-18 11:19:05 | Weblog

 「韓国堕落の2000年史」には李氏朝鮮の骨肉相食む極悪非道、苛斂誅求の姿がこれでもかというほど語られている。もちろん名君賢臣も現れたがたいていは暗愚か暴虐だったみたいである。滅亡前は清についたりロシアに頼ったり、時には親日のふりをするなど暗愚の限りを尽くし、日本にとって危険な存在になってしまった。日韓併合に至ったのはひとえに李氏朝鮮の暗愚のせいであった。
日本併合時代のことは書かれていないが、善政を行ったにしても民族的誇りが傷つけられたことに変わりはない。特に李氏朝鮮ゆかりのものには反日は正義であっただろう。日本敗戦とともに独立した政府の指導者李承晩は復讐の執念に燃え、徹底した反日教育を行った。また、李氏朝鮮500年の小中華主義という中心を失った彼らには、反日以外に韓・朝鮮民族を統一する思想がなかったのであろう。
  「韓国人による恥韓論」によると韓国の反日は「反日教]と呼ぶべきほどの境地に達しているらしい。日帝時代の方がよかったといった90歳の老人を殴り殺すほどなのである。犯罪者も日本のせいでこうなったというほど、すべての悪は日本に帰せられているらしい。
 ここで断っておくが、狂信者の数は20%前後であると思われるということだ。しかし狂信者の無法の前に大多数は沈黙、従順であるのが世の常である。20013年11月のアンケート調査によると、「中国と日本が武力衝突すると、どちらの肩を持つのか」という質問に、26.4%が中国、日本が7.3%、中立が57.8だという。 [反日教]の国で中立が6割に上るところに韓国の悩みがあるといえるだろう。子供たちへの反日教育はますますエスカレートしているというから、狂信者は増加するだろうと筆者は警告している。その上で彼が推奨する日本の韓国に対する態度とは「距離をとる」ことだという。友好ではないのだ。韓国が(中国もだろうが)「皆で仲良くしなければいけない」というときは「だからお前が僕に合わせろ」ということだという。なぜなら韓国は絶対善であり、日本は絶対悪なのだから。こんな狂信にまともつきあうのは愚か者やることだろう。無視しろとまではいわないが、当たらず障らずの基本的な外交姿勢だけで臨むべきだということだろう。河野文書のような下手な妥協はするべきではない。下手に出ればますます居丈高になるのが韓国だという。何もしないというのではなく、基本的外交を積極的に推し進めるべきなのだ。
  「韓国人による恥韓論」も「韓国堕落の2000年史」もその出版には右翼・安部一派の息がかかっているかもしれないことは容易に想像できることである。しかし「大統領を殺す国」の著者辺真一は独立したジャーナリストだから日本批判も忘れない。日本人は罪と罰に対して甘い。だから靖国に戦犯をまつっている。韓国は犯罪に対して厳しいから大統領も殺す。
 彼が進める外交はサプライズである。安倍内閣が進める外交、特に北朝鮮との融和こそ韓国がショックを受けて対日外交に踏み出させる方法だと奨めている。従軍慰安婦問題も日韓条約の見直しでの解決を進めている。竹島については、尖閣や北方領土についても、(共同領有の)友好の島として海域資源の共同開発という方向で解決したらどうだろうかといっている。もっともな意見だ。その方向へ努力するのが現実的だろうが、日本の右翼(靖国教とでもいおうか)が承知するはずもない。日本の右翼も20%ほどしかいないが、その暴力を恐れ良心は沈黙させられている。韓国や中国、ロシアでも同じだろう。ロシアも2島返還以外は譲らないだろう。とはいえ友好路線が唯一の道であり、そのためには長い忍耐と知恵が必要である。


韓国について考える 2

2014-07-13 10:34:38 | Weblog

 現在、日本人の主体は安倍首相をはじめとして戦争を知らない世代である。中韓を脅威として、戦争の傷みを知らないから、軍事力強化を当然のことのように考える。李氏朝鮮からの韓国民の解放を誇り、母国を失ったものの痛みにも思いやらない。いじめ問題でも明らかなように、どんなに悪い親でも親は親である。それを奪われることは自己を奪われることである。それゆえに(かどうかはわからないが) 、戦争を知っているものたちは中韓の反日教育に対する忍耐の必要性を知っていた。しかし、反面アメリカ依存によって腐敗してきた。李氏朝鮮は軍隊を持たず、虎の威を借りる狐のように、中国に依存し、それによって腐敗した。[韓国腐敗の2000年史」は日本がそうならないように警告してるようである。

 戦後日本はアメリカの保護の元に高度な経済成長を達し先進国の仲間入りを果たしたが、その陰で官僚や政治家たちのアメリカ礼賛という小アメリカ主義事大主義に陥ってしまった。大衆も、芸能スポーツなどに典型的なように、欧米のお墨付きによって価値を決めている。そして中韓を民主主義の後進国、野蛮国として軽蔑しているようである。これらの精神は韓国病の根本にあるものと同じといえるだろう。韓国ほど極端ではないが日本で最近顕著になってきたのは虚偽・詐欺である。そして空理空論をもてあそぶような倫理観はないが万事無責任ではある。強者には卑屈で面従後言、面従腹背でもある。

 韓国病で日本人に最も少ないのは公益に対する無関心、自己、家族、党派的利己主義であろう。 この利己主義は中国にもいえることであろう。李氏朝鮮が中国の真似をしなかったのは纏足と食人だけだと筆者はいっている。
 (中国の宮廷には清代まで食人の習慣があったらしい。人肉にも霊的力の意味合いがあったのであろう。孔子も人肉が好きだったらしい。しかし愛する弟子の塩漬け肉が送られてきたとき以降人肉食は止めたという。近代まで、洋の東西を問わず、食人習慣は呪術や薬用として民間には残っていたようだ。現代社会が食人を否定したのは、人類が精神的に成長し、それだけ人間愛が大きくなったことを意味するだろう。ただし、やっと野蛮な段階から抜け出したばかりだ。)
 血族・党派的利の己主義にこそ中韓と日本の違いがあるのではないだろうか。それは地勢の違いからもたらされたものである。広大な平原で多種族・多民族が入り乱れて覇権を争う大陸では血族や仲間だけが頼りである。荒海で大陸から隔てられた山川の多い温和な島国日本では天照大神を頂点とする祖霊信仰による一体化が育てられ守られてきた。血族や党派より大きな中心によって纏められてきたのである。
 同じ大陸でも欧米にはキリストという中心があった。しかし中国には中心となる宗教はなかった。儒教は権力の道具であり道教は処世の道に過ぎなかった。それ故に党派的利己心に頼ったのである。ただし中国人には、現在の国名を中華人民共和国というように、中華思想が中心にあるといえるだろう。最近の拡大主義の底辺にはそういう精神があると思った方がいい。漢民族中心の野蛮な思想である。反日は被害者の数にあるのではなく、領土の侵害にあるのではないだろうか。究極のところ日本を侵略するまで反日を止める気はないのかもしれない。
 韓国・朝鮮の悲劇は、傲慢な大国中国に隣接する辺境の国という悲劇であるといえる。事大主義が単なる方便ならいいのだが、李氏朝鮮500年、自国の防衛を中国に依存することによって、ハンとともに精神的DNAになってしまったのが悲劇であった。
 中国依存の500年の平安の間、支配者たちは暇に任せて人民をもて遊んだ。有名な韓国人の精神的特徴ハンは李氏朝鮮時代に生み出されたと言っていいだろう。小中華主義、そして李氏朝鮮の生き残りで(王朝を倒した日本に恨みを持つだろう)李承晩(イ・スンマン)の反日教育によって、韓国のハンは日本に集約され千年のハンとなった。  

 [韓国堕落の2000年史]の著者が警告しているのは、自国の防衛をアメリカという大国の軍隊に依存する日本の現状は精神的堕落を招くということであろう。 残念ながら彼の警告はもう遅い。安部一派は軍事国家を目指しているようだが、軍人を目指す若者はいないし、どのみち単独で自衛する力は持ちようがない。結局アメリカの補充兵、走り使いに終わりそうだ。 


韓国について考える

2014-07-10 13:14:28 | Weblog

 日本は中国・韓国の反日感情にに押し出されるようにして戦争への道を歩き出した。同じ反日と言っても中国は民心操縦のための反日というう面が強いが、韓国はどうやらそんなに単純なものではないらしい。韓国とは何か。日本人の見方では外面しか見えないし、偏見もあるだろう。そこで韓国人による韓国間を見てみることにした。

 「韓国堕落の2000年史」 崔 基鎬(チエケイホ)著(祥伝社)、「韓国人による恥韓論」シシアリー著(扶桑社新書)、「大統領を殺す国 韓国」 辺 真一 (ピョンジンイル)著(角川oneテーマ21)を購入した。
 2000年史によると韓国の堕落は統一新羅(676年)に始まったらしい。三国時代、新羅は唐と結託して、高句麗と百済を滅ぼした。そして一度は反乱したが屈服して属国となり、大唐国新羅郡とみずから名乗ったという。新羅の領土は現在の韓国領とほぼ同じだったようである。高句麗は韓国の全羅北道・慶尚北道から北朝鮮、現在中国領である遼東半島から満州、シベリアまで支配する大国だった。 百済は高度な文化と芸術を持つ国だったという。新羅は中国化することによって腐敗した中国の官僚の生き方も輸入したという。韓国病の始まりである。韓国病とは虚偽・詐欺の横行、空理空論をもてあそび無責任、面従後言、卑屈、公益に無関心で、自己、家族、党派的利己心が極端に強いことだという。
 この本には高天原が高麗加羅 だという説が書かれている。偏狭な愛国主義者には受け入れられないだろうが、僕も昔から天皇家は半島出身だと思っていたから共感できる。倭国や邪馬台国も高麗の地(任那日本府説がある場所)にあったのかもしれない。高麗・百済文化の輸入などあって韓国は日本の兄貴分だと考える人が多いようである。儒教の長幼の列を重んじる彼らにとって弟である日本が兄である自分たちを支配したということは許されざる悪なのであろう。それはともかく、新羅の王に倭の王子がなったということもあるらしく、古代においては日本と韓国はきわめて親しい間柄だったといえるだろう。それが歴史の皮肉によって大きな差異をもたらされたのである。生きることはすべてかくのごとしである。魂は本来変わるものではないが、心は経験の違いによって大きく変わるのである。
 
 平安時代の中頃から室町時代の中頃までの期間は高麗朝になる。中国で元が滅び明が興ると高麗は高句麗領を回復しようと兵を起こした。しかし戦軍の大将である李成桂は反転して高麗を滅ぼし、明に忠誠を誓って李王朝を建設した。朝鮮という国名も明に選んでもらったという。卑劣にも身内を裏切り、強者に尾を振って自己保存したのである。新羅時代から中国の宦官制度も移入されていたが、長期政権の李氏朝鮮の時代には大きな力を持ち宮廷腐敗を増殖したという。李氏朝鮮は仏教を弾圧し、権力主義的儒学の朱子学を国学とした。
 中国が清に支配されると、朝鮮は清を野蛮人と軽蔑し、自国を中華文明の正当な継承者(小中華思想)と考えたが、強者には臣下の礼を尽くすべしという事大主義をとった。反転して中国に従わない日本を野蛮国と軽蔑した。この精神構造が現代まで生きているようである。現在朴政権が中国にすりよっているのもそのDNAであろう。李氏朝鮮の悪政が今日の韓国病を作ったというのが「韓国堕落の2000年史」の主張である。


戦争への道

2014-05-31 10:50:22 | Weblog

 韓国ではW杯予選敗退の選手を侮辱するためにサポーターが出迎えた。改めて韓国人について考えさせられた。
 安倍首相は軍事力を背景にした平和主義を唱えている。軍事強国でなければ世界平和に資することができないというのであろう。もちろん本心は富国強兵で世界に君臨することであろう。中国の覇権主義はそれを正当化できる好機である。中国に命を狙われている(と思っている?)金正恩には安倍晋三は頼れる強者に映るのかもしれない。
 戦争放棄の理想を守る国であり続けるか、戦争のできる国にするのか。もちろん戦争をしない国である方がいいに決まっている。しかし理想を守り続けるには優れた包容力や外交力が必要だ。無軍隊主義で行くとしたら、外国から侵略されたときは、ゲリラ戦法で反撃するしかない。しかし竹島や尖閣のように島をかすめ取られるような事例にはゲリラ戦は無能である。そうならないためには優れた外交力が必要なのである。
 軍事国家としてやって行くには優れた闘争心や身体能力が必要だ。徴兵制度も必要になる。スマホにグルメにスターにと、列をなし惚けている現代日本の若者には無理な相談だろう。
 日本の若者の自己評価は先進国の中で最も低いらしい。自分に自信がないということは強者に依存する性格ということだろう。それが小泉を誕生させたし、その後の政局の混迷を招き、安部登場にとって都合のいい状況であった。しかし、それ故に安部の理想とする国家は実現しないだろう。それでも日本は軍事国家へ向かうだろう。滑稽で悲劇である。

 中国と韓国が握手した。それほど日本人が憎いのだろう。日本への併合はそれほど彼らにとって屈辱だったのだ。その気持ちはわかる。日本人は中国を脅威と感じているが、本当は韓国の方が恐しい相手かもしれない。日中戦争になれば韓国は火事場泥棒を狙うだろう。彼らにとって日本は悪の国である。悪に対してはどんなことをしてもいいと彼らは思っているらしい。だからといって軍事力で彼らを抑えるのは賢明ではない。それでは恨みはいつまでも消えないからだ。永遠の戦闘状態に陥ってしまう。温かい心と忍耐と努力のみが凍った心を溶かすことができる。このまま安部を許せば道は戦争に通じることだろう。それを止めることができるのは政権与党だけだが、口では批判しても誰もその行動をとらない。

 大泣き記者会見によって世界中で有名になった政治家がいる。悪さを見つかったガキそのものだった。これが現代日本における政治家の資質というものだろう。ひいては国民の資質というものであろう。


新生に向けて

2014-05-28 10:27:51 | Weblog

 1時間に1回くらい白色透明の痰が出る。呼吸器疾患は老化現象とともにウイルスの力が勝り、慢性気管支炎化したのではないだろうか。

 38才頃までの僕は唯物論的世界観に支配されていただろう。神が死んだ現代世界において、倫理は社会的に恵まれたものたちのためのものでしかなかった。彼らの私有財産、地位、権力を守るためのものでしかなかった。それ故現代世界に横行する挫折者たちの無差別殺人も理解できる。「この先生きていてもいいことはない。それなら社会を抹殺しよう」というのが彼らの意志だろう。僕が彼らと違うのは絶望という感覚とは無縁だったからだろう。ランボーの「もとより希望があるものか、願いのすじがあるものか」(永遠)という句を思い出す。僕はそのときそのときの欲望に生きていた。人類とか自然とかの過去現在未来を夢見ていたが、自分自身を振り返らなかった。それゆえ僕には自分を殺すという発想も社会を破壊するという発想もなかった。叩きのめすという衝動に駆られることはあったが、実行に移したのは1,2回だけだった。後悔と哀れみの混じった不愉快の思いしかなかった。弱いものいじめの嫌いな僕には小林一茶に共感するところが多かったのである。

 僕は唯物論的に「物理的エネルギーは常に調和・平安を求めているものである。自殺や殺人はもとより喧嘩もその物理法則に反するのである。」と考えていた。古代の唯物論者ともいわれるエピクロスのような自然主義の快楽主義者であった。
 共産主義者としての僕は私有財産が諸悪の根源、人間疎外の始まりだと思っていたので、私有財産制度を支える結婚制度にも反対だった。自由恋愛主義者で、子供は社会で育てるという考え方だった。しかし共産主義社会の可能性は信じていなかった。
 愛国者としての僕はスイス的国民皆兵制度を思っていた。私有財産制度反対の愛国者とは全体主義者だ。自然主義・快楽主義者と共産主義・全体主義者は矛盾する。共産主義と愛国主義も矛盾するだろう。
 もう一つ僕には神秘主義者的な面もあった。幼少期の超自然への恐怖やあこがれの延長である。SFのような科学的神秘主義にあこがれていた。占いや占星術にこったことがある。ビギナーズラックで当たる確率が高かったこともある。多重人格のせいか、多様な人間の心が直感的にわかるような気持ちがしていた。タクシードライバーとして危険な客を乗せたことも何度かあったが、それでうまく対処できたように思う。

 金縛りに遭ってから僕は占い師でもやろうかと思い立った。その手の本を探しているとき催眠術の本に出会った。守部昭夫の「催眠術入門」であった。