玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

越後タイムスの早い休刊の理由

2012年04月27日 | 日記
 いつか書くことになるだろう『越後タイムス百年史』のための取材ということで、タイムスの三代目主幹・中村葉月の長男・達太さんをお尋ねした。面識がないので「お土産に新野屋さんの紙袋を下げて行きます」と申し上げておいたら、横浜駅の高島屋正面で私をすぐに見つけてくださった。
 高島屋地下のレストラン街で食事をしながらお話をした。いろいろお聞きしたいことがあり、事前に準備をしていけばいいのに、いつものことながら泥縄式となったが、いくつか新しい発見があった。
 一番の疑問は、戦時統制によって「柏崎日報」が休刊となるのが昭和十五年十一月、一県一紙体制によって県内三紙が合併して「新潟日報」が誕生するのが昭和十七年であるのに、「越後タイムス」がはるかに早い昭和十四年七月に休刊となっている事実だった。
 達太さんによれば、葉月は生前「警察や軍部に、国威発揚の姿勢がなく、軟弱な新聞と見られていて、休刊を迫られた」と話していたという。文学や芸術に拘泥する「越後タイムス」は戦時体制に合わない新聞と見なされていたのだ。
 これまで、創刊の明治四十四年から大正十五年(昭和三年)までを辿ってきたが、これから厳しい時代に入っていく。特に、昭和七年頃から激しさを増していく思想弾圧の下で、「越後タイムス」はどのような新聞であったのかを、中村葉月の活動とともに迫っていきたいと思っている。
 その日は東京で開花宣言が出された日だったが、横浜では風が強く、雨も降る最悪の天候で、横浜観光もできなかった。翌日はジャクソン・ポロック展を観に、竹橋の国立近代美術館へ。気温は低かったが素晴らしい快晴となり、皇居の周りでは大勢のランナーがぶつかりそうになりながら、懸命に走っていた。

越後タイムス4月10日「週末点描」より)


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1 コメント

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ねぇ (nene777ne@yahoo.co.jp)
2012-05-12 19:54:30
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