実は私にもそのような観念の世界での友人が、高校時代に一人だけ存在した。『ルイ・ランベール』はバルザックの自伝的小説だと言われているが、彼もまたルイのように学生生活の中で孤立を深めながらも、観念の世界での友人を得ることがあったのかもしれない。
それはルイにとっても、バルザックにとっても唯一の救いであり、慰めであっただろう。しかし、それだけでは済まない。ことはそう簡単ではない。そのような二人は共謀ともいえるような精神生活の中で、さらに観念の世界を肥大させ、純化させることになるからである。
互いが互いにとって救いであると同時に、そのような二人は観念の世界でのライバルでもあって、お互いに刺激し合い情報を交わす中で、さらに難しい本に挑戦し、相手よりも高みに到ろうとする競争意識が強く働く。そして一人でいるときよりもさらに孤立は深まり、同級生に対する侮蔑や教師に対する軽蔑が昂進していくのである。
もし二人が文学に対する同好の士のような関係に留まっていれば、そんな事態は避けられたかもしれない。しかし、T(私の友人であった彼のこと)は、ルイのように哲学の世界に生きる人間であり、私は文学青年であったが、ドストエフスキーの洗礼を受けた人間には文学の世界に遊ぶというような、悠長なことは許されるはずもなかった。
当時、ジャン=ポール・サルトルの提唱した実存主義が全盛の時代で、私が哲学的思考に慣れ親しんでいったのもサルトルの影響だった。Tもまた実存主義の影響が大きかったが、彼はドイツ哲学の方を向いていて、ハイデッガーやヘーゲルまで読んでいた。
若干方向性は違っていたが、二人の間でしか通じない話を、私の自宅や彼の下宿で時の経つのも忘れて、続けていたことを忘れることができない。哲学的思考に向いていたのはTの方で、私は結局ボードレールの詩に心酔しフランス文学を目指して文学部に入学し、Tの方はドイツ哲学の道を選んだ。
私にとって哲学の世界はとてつもなく息苦しいものだった。とりわけサルトルの哲学は〝自由への道〟と言いながら、人に自由をもたらすものではなく拘束力の強いものであり、私がその呪縛から逃れることができたのは大学を卒業してからであった。
まあ二人ともほとんど病気のようなもので、文学であれ哲学であれ観念の世界にのみ価値を見出すといった生活を続けていた。その苦しさはおそらくルイ・ランベールが味わったものと共通していたであろう。
ルイはこの小説の中で天才的な精神分裂病者として描かれているが、高校時代の私とTもまたそのような精神の病と紙一重のところにいたように思う。と言うよりも、分裂病が先天的な病であるとすれば、二人ともそうした素質を持っていたわけではなかったから、精神分裂病の世界から吹き寄せられてくる、羽風の一端に触れてはいたのである。
その後私は多くの本物の分裂者と出会うことになるが、彼らもまた哲学青年であり、私は早計にも哲学の世界が精神分裂病の原因になるという誤った認識さえ抱くことになった。その後考えを改めたが、大学時代にTの下宿を訪れた時、壁一面の書棚が哲学関係の書籍で埋まっているのを見て恐ろしくなり、「危険だから哲学なんかやめたらどうだ」という馬鹿な発言をしてしまったことを思い出す。
しかし危険は、Tの場合精神ではなく、身体の方に潜んでいたのであって、大学を卒業して就職後、結婚していくらもたたないうちに、30代前半の若さで癌のために死んでしまった。『ルイ・ランベール』を読むとそんなことを思い出さずにはいられないのである。
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