朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

BBQ

2013-06-10 | 京都の文化(夏)
若い人たちと琵琶湖がよく見える所で、梅雨の晴れ間、バーベーキューをしました。



京都駅から湖西線に乗ってしばらくすると、こんな長い編成の貨物列車が並走して行きました。鉄道でコンテナ貨物を運ぶことも機能しています。



一足先に学生さんたちは準備してくれていました。



ビール、ジュースも買ってきてみんなで乾杯。



豆炭がしっかりいこってきたので、牛肉、ソーセージ、イカ、ホタテ、キャベツ、かぼちゃ、ピーマン、コーンなどを焼きました。おにぎりも、醤油をつけて焼きました。





湖の対岸には、近江富士の三角形が遠望できました。焼く係でなければ、それほど熱くはなくて、気持ちのいい一日でした。
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慶沢園

2013-06-09 | 国内各地の風物
大阪市美術館の隣にこの庭園があります。



住友家が所有していたものを大阪市に寄付されました。



花菖蒲が咲き始めていました。



コウホネはもう少し先。



都会の真ん中にこんな静かな庭園が手入れされて開放されているのはとてもいい事だと思います。大財閥もよくぞ寄付してくれました。
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あべのハルカス

2013-06-08 | 国内各地の風物
大阪市美術館に行くために天王寺駅をでると、目の前にガラス張りの高層ビルがぬ~と建っていました。



あべのハルカス近鉄本店 6月13日(木)オープン! .... だそうです。

梅田の北側には「グランフロント大阪」ができていて、4本の高層ビルが最近オープンしたばかり。元気ですね、大阪。



天王寺公園を歩いて行くと、花盛りでした。



この奥には動物園があります。



バラ園があって色々な花が素晴らしい。



ばら色。



つるバラの赤い花が密集しています。



クリーム色もいい。



淡いバラ色です。



こんなメルヘンのガーデンが作られています。

最後に、ハルカスの遠望を掲載します。



高さは300mで、2014年の全体が完成すると横浜ランドマークタワー(1993年開業・約296m)を抜き、21年ぶりに日本一の高さとなる。
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ボストン美術館展

2013-06-07 | もろもろの事
大坂市立美術館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」を見て来ました。



明治時代初期に吹き荒れた廃仏毀釈により、仏教に関する美術品や資料が廃棄されたり二束三文で売り払われました。

その時期に、お雇い外国人教師として米国より来日していたフェノロサがその美術的重要性に気がつき収集をはじめました。フェノロサが東京大学で講義していたのは、政治学、哲学、経済学などでしたが、かれは日本美術の素晴らしさに触れて美術研究に転じていきました。



その活動に賛同した岡倉天心が目利きをし、ボストンの裕福な医師ビゲローが資金を出して多数の貴重な美術品が散逸を免れて、現在はボストン美術館に収められています。

快慶作の弥勒菩薩立像は、シンプルな姿の中にも凛とした尊さが感じられました。金箔の色も見事に残っています。

吉備大臣入唐絵巻はユーモラスな物語になっていて、日本マンガの原典のひとつでしょう。二度も唐に渡った吉備真備は一旦唐の役人に捕らえられますが、鬼となって現れた最初の留学生仲間の阿倍仲麻呂の助けを借りて無理難題の課題を解決していくお話です。

調べてみると、この国宝級の絵巻は昭和初期に正当な商取引として米国に流出しました。その事件がもとになって翌年「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が成立したそうです。

先日、吉備真備の塚を奈良教育大キャンパスで見学したばかりだったので、とりわけ興味をひかれました。

平治物語絵巻(三条殿夜討巻)も赤と黒の色鮮やかな絵で迫力ある場面を描いています。

伊藤若冲の鸚鵡図も精密に描かれてすばらしい。(上記玄関の写真で右の黒い柱の上部にある模様)

尾形光琳の松島図屏風のデザイン性は現代画のようでした。(同上写真の左の赤い柱の下部の模様)

長谷川等伯の竜虎図屏風、その虎のが可愛い。恐らくその時代、虎の実物を見たことなかったと思いますが、猫をモデルに大きくして描いたのかもしれません。

曾我蕭白の雲龍図、1911年ボストン美術館に収められたときから、襖から剥がされた状態で保管されてきた巨大な龍。今回の修復作業により公開が可能となりました。

その絵が、ポスターに描かれている龍です。
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鴨川納涼床

2013-06-06 | 食べること、レストランなど
梅雨入り宣言したものの、その後すぐに気象条件が変わって暑い日が続きます。



東京からの友人と一緒に京都の夏の名物、川床にて食事を楽しみました。

伝統的な和食、それも畳敷きに座卓は、足や腰がしんどいのでこの日はイタリアンです。



予約を入れて川辺最前列のテーブルに座ることができました。ワインのリストを眺めてこの価格的にリーズナブルなイタリアワインのボトルを選択しました。グリッシーニやパンがさっそく運ばれるので、つまみ代わりにちぎってオリーブオイルを少々つけて食べます。



前菜9種盛り合わせが到着。予想以上にボリュームがありますね。



コースではなくて、アラカルトでの注文なので好きなものを色々と注文できます。これはイカのリング・トマト煮、見ればわかるね。



じゃがいもとイワシ?のオーブン焼きだったかな。



日が暮れてくると、テーブルランタンが配られます。



おとなりの和食店の提灯が明るくなって、



こちらの店の建物がこんなふうになりました。2階の部屋は、雨の時の川床客の退避場所ですが、この日はもう雨が無いと見込んで飛び込み客を案内していました。



店のリーフレット。



木屋町からの入り口です。

沢山食べて飲んで満足した夕食でした。
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詩仙堂

2013-06-05 | 京都の文化(夏)
洛北に小ぶりで好ましいお堂と庭があります。



アマガエルくんがいました。



外国からのお客さんにも人気があって、この女性は庭を懸命にスケッチしていました。禅をしているような姿勢ですね、、、このお寺は曹洞宗の禅寺です。



二階は物見になっていますが、現在は登って見学することはできません。





さつきの大きな木々の花は少しだけ咲いていました。修学院見学の後にここに立ち寄りました。(5月27日)





鹿威し(ししおどし)の音が数分おきに響きます。











一番奥にある建物で、この日は展示会がありました。所蔵文化財の虫干しをかねているようです。





ショウマの白い花。





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マッターホルン(スイス、ツェルマット)

2013-06-04 | 油彩水彩画、雑誌の表紙
 スイスアルプスを代表する山岳、厳しく尖った山容を間近に見るためツェルマットに泊まった。
 ホテルやシャレーの多くは狭い谷間にあるが、天候によっては朝日に輝くマッターホルンを眺めることができる。電気自動車以外に車通行が許可されていないことも静かで好ましい。(ITUジャーナル June2013)

~~
このジャーナル誌を発行している「日本ITU協会」は、昨年夏より発行月とその前月の全紙面をPDFで無料公開しています。

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修学院離宮2

2013-06-03 | 京都の文化(夏)
上御茶屋からの眺望です。



突然、この眺めが目に飛び込んでくるように登ってくる石段の両側は刈込まれた灌木で目隠しされていました。

この浴龍池は、谷川を土堤と石垣でせき止めて造ってあり、それらを目隠しする高い生垣が植えられています。



この建物は隣雲亭。意図的に室内の装飾を省いて、自然に立ち向かう気持ちを醸しだしていました。

外国人枠があるようで、その比率が高いです。オーディオテープによる音声ガイドがあり外国語でも案内していました。



足元のたたきには、鴨川の石を集めて漆喰に一つ、二つ、三つと埋め込み「一二三石」(ひふみいし)と言われています。



この方角は京都の中心部に向いています。



楓の赤い実。



この花の名は? あじさいの一種かな。



風雅な石灯籠です。



雄滝。この日はほとんど流れなし。



池の畔に降りて来ました。



千歳橋。
この中国的意匠の石橋は、後になって江戸時代後期文政七年(1824)に京都所司代が献上したものです。後水尾上皇創建時の建物は、実はほとんど残っていないそうです。別の場所にあった建物を移設してきたりして現在の姿になっています。



楓橋。

この奥が紅葉谷と呼ばれています。青もみじが実に見応えありました。



窮邃亭(きゅうすいてい)、これは創建当時のまま残っている唯一の建物です。この扁額も上皇の宸筆だとのことでした。



上皇が座る畳は一段高くなっており、窓際には一枚板が渡してあって御肘寄としています。



舟遊びをするための乗り場があり、上皇たちは三つある島々をめぐって管弦や詩歌の会を催していました。



右手奥に千歳橋、その左手の島の緑の木々の中に窮邃亭があります。



対岸の上にあるのは、隣雲亭です。ここから眺望を楽しみました。



一巡して入り口に近い場所に戻ってくると、隣の水田でトラクターによる農作業が見られました。どのように美味しいお米ができるのでしょうか。
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修学院離宮

2013-06-02 | 京都の文化(夏)
 豊臣家から徳川家康の天下にと大きく変化した時代(1603年江戸幕府成立)、天皇の地位もその武力的圧力に翻弄されていました。
 家康の皇位継承介入により擁立され即位した後水尾天皇(在位期間1611年ー1629年)が退位して上皇となりました。自らの傀儡として自分の娘を天皇にして院政をしき、京都の北のはずれ比叡山の麓に離宮を造営させ、1659年頃に完成しました。その費用はしっかりと徳川幕府から引き出したようです。



修学院離宮は、宮内庁の管理下にあり事前に往復はがきかインターネットで拝観の申し込みが必要となっています。今回その許可を得たので行ってきました。入場は無料です。

後水尾天皇が退位した背景には、徳川幕府による朝廷の強い行動統制がありました。1613年には「勅許紫衣法度」「禁中並公家諸法度」を公布しました。朝廷の行動全般が京都所司代を通じて幕府の管理下に置かれ、その運営も摂政・関白が朝議を主宰し、幕府の承諾を得る事によって初めて施行できる体制へと変化されました。

上皇はそのストレスを離宮の造営とそこでの遊行によって癒されていたようです。



現在の修学院離宮は、上・中・下の三つの離宮(御茶屋)から構成されていて、その間をつなぐ松並木の道やその両側にある水田畑地は、昭和39年に買い上げて邸内に取り込んで景観を保護しています。

下離宮のこの御幸門をくぐって、



寿月観の庭を歩きました。

予約にて入園する時間が決まっていて、おなじ時間には約30人くらいのグループとなって、先導する案内人一人と皇宮警察署員一人が最後尾を歩きます。

写真撮影は、どこをとっても構わないと許可がありました。貴重な文化財といえども、個人の趣味や記録、記憶のためにこうでなくてはいけません。



扁額「寿月観」は後水尾上皇の宸筆。建物は、柿葺入母屋数寄屋(こけら・いりもや・すきや)風造りとなっています。



室内は杉戸、ふすま、障子になっています。



この襖絵は「虎渓三笑」。
現在は失われていますが、来客をもてなす設備もかつては備わっていたようです。

東門から出ると視界が広がり、比叡山と御茶屋山が借景となっています。



比叡山の右手上空に薄く虹が見えました。



右手には水田があり、植えたばかりの苗が並んでいました。



意図的に低く刈り整えられた松並木の道となりました。



この門を入ると、中離宮となります。



楽只軒(らくしけん)、上皇の皇女、光子内親王のための建物です。



庭にはさつきが咲き始めていました。



一間半の飾り棚。互い違いに配された大小五枚の棚板があたかも霞のたなびいているように見えることから「霞棚」と呼ばれます。桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とならんで天下の三棚と称されています。



杉戸には、祇園祭の鉾の絵が描かれていて狩野敦信の作と伝わります。



こちらの鯉は、元気が良すぎて夜な夜な抜けだして池で遊ぶため、円山応挙がその上に網を描いたとされています。



隣接する客殿につながる濡縁の手すりは「網干の欄干」で、網干(あぼし)つまり漁村の網を干している形を表しています。

客殿は、上皇の中宮であった東福門院(生まれは徳川秀忠の娘、家康の内孫)が上皇の病気治癒祈願のために焚いた 護摩木の煤のため天井が黒ずんでいました。もとは女院御所にあった建物を光子内親王のために移設したものです。



中離宮から出て、また松並木「御馬車道」の道を登っていきました。両側には静かな棚田が並んでいました。

この水田や畑は、近所の農家に賃貸されていて、その作物は耕作者の所有となり自家用に供されているそうです。



上離宮の入り口を入るとすぐに石段になりますが、その両側は背の高い刈り込みで視界を遮られていました。
(続く)
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地蔵院

2013-06-01 | 京都の文化(夏)
竹の寺とも呼ばれています。JR東海「そうだ京都、行こう。」、2013年初夏のキャンペーンで取り上げられていて、新幹線駅などに、新緑のまぶしいポスターが貼られています。



京都一周トレイルを、苔寺前で完了してから、その近くにある地蔵院を訪れました。(5月26日)



参道の両側には立派な竹林が茂っています。

キャンペーンの影響で、それなりに多くの観光客が参詣していました。



これが本堂です。これは地味ですね。



さらに奥にある、方丈の内部と十六羅漢の庭は撮影出来ません。

このお寺は代々細川家との由来があり、方丈の襖絵を元総理大臣の細川護煕が筆をとって墨絵「瀟湘八景」(しょうしょうはっけい)を描いています。

あっさりした画風ですが、静かに眺めているととても落ち着いた気持ちになれました。

以下引用:「胸中の山水 細川護熙展」(阪急梅田本店)(画像あり)

瀟湘八景とは、中国の山水画の伝統的な画題で、中国湖南省の瀟水と湘水の二水が会して洞庭湖に注ぐ所、青草湖の南に列なる湖水を瀟湖と言い、この地の勝景八を選んだものです。
烟寺晩鐘(えんじ ばんしょう)、山市晴嵐(さんし せいらん)、平沙落雁(へいさ らくがん)、洞庭秋月(どうてい しゅうげつ)、瀟湘夜雨(しょうしょう やう)、遠浦帰帆(おんぽ きはん)、漁村夕照(ぎょそんせきしょう)、江天暮雪(こうてんぼせつ)の八つからなります。

引用終わり
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