前の記事「声の大きさ その1」のつづきです~
前の記事をご覧になって、タイトルとの関係 はぁ!?と思われたに違いありません。
たいへん申し訳ありません。
ゴミ出しの時間に間に合わないと、キリのよさそうなところでアップしたら、本分(書こうとしていたタイトルにまだ辿り着いていないこと)を、いったん忘れておりました。
どの口が、とおっしゃってくださいまし。
と言いつつ、補足から。 私はきほん、占い大好き、人から教わるの大歓迎人間です。
(こんなやつに教えたい方は、なかなかいらっしゃらないでしょうが・・・)
「声の大きさ」は、そのもののお話のつもりでした。
実際の物理条件と、伝わる伝わらないでは、はっきりと違いが出ることがあります。
世では、そんな場面が気になったりするときには、これまたヒトの耳が勝手な判断をしているとか、機能低下とか、本人の声の出し方が、等々犯人側の都合に合わせたお説が用意されています。
音そのものを消したり発生させたり、
どうも催眠術的に蝸牛か何かを操作して、聞きとらせ に入れ替えをしています。
ちなみに におい等は、前者だけの可能性がありますが、これも犯罪作用が確実に起こります。
そうやって、犯人側都合の極端な誘導や、コミュニケーション断ちと直結させてきます。
・・・そうなるレベルまでやる ということです。
(目の情報についてもありますが、ここでは置いておきます。)
一番はじめに、その場で明確にわかったのは、近所の友達(同級生)と偶然出会ったときでした。
(たぶん、1977年)
偶然、というのも、どうもお家の方々共々、余裕のない毎日を過ごされていて、それこそ幼少期以来なのにいっしょに遊ぶことも無くなり、会話することすら初めて感覚だったのです。
「○○ちゃん(私)に、大事なことを話しておくね。」
もちろん、全身耳にして聞く態勢の場面。 しかし
言葉としての音声が、かき消されたものしか耳に入らない。
あまつさえ、友達がなにか急いでいて、
それに まるで私が真剣に聞いてなかったみたいで、聞き返せなかったのです!
とっさに、あとでまたちゃんと聞こう と思っていたのに、
翌日にはもう家族ごといなくなっていました。
お家はあっという間にコンクリートの土台だけになりました。
昨年くらいに母が言うには、その友達のお母さんはアナウンサーだったということ
そのときにそう聞いていた記憶はありません。
ほかにも、なんで!?ってことになる場合、断絶されたり、非常に困ることになるわけですが、自分の聴力や聞き方の問題ではないわけです。
ただ、その場でアレッ!?とわかるケースばかりではありません。
ほかに、今にして思い返せば、もっと感度よくして、怪しいところは念のため確認行為をとっていればと、悔やまれることもあります。が、総じてとことんうまくいきません。
ここでは音声の事ですが、
すべての明確な判断は、自分のベースを自覚できているから、
何の条件の違いで、それが起こるかというのを、経験則でわかっていけるのです。
(の、前置きが「声の大きさ(その1)」というところでして・・・)
すべての改竄のありように、いくつか特徴がありますが、またにいたしましょう。
人の大事なことは制限というより、実質もう、ふさがれてきたんです。
発布時の憲法を、歪め解釈すすめたり改竄したり、よりによって最も尊重し守らなくてはならないときに変えるなんて愚かすぎる重罪はないとの当然のことにせよ、あきらかに深刻な環境汚染行為といい、昨今のことで専門家や学者でなくとも誰もが火ぃふいて𠮟りつけなきゃいけないのに、(情報知る人が身が持たないまで頑張っていても)先陣、援護の継続も消滅している状況。
本当は、声をあまさずとりあげて、悪いほうには行かないよう気をつけなくてはならないはずが・・・
その声は、比喩だけでなく、あらかじめ実際の声から制限を受けていたわけです。
映画館の( *´艸`)