自分の考えに同調してもらうには同じような夢を持っているかどうかで決まる。どんな夢を抱くかは13才から数年で決まる。将来の夢が違うならあきらめたほうが良い。
健康になりたい、という健康な人にはバカバカしい夢は、きっと、何才になってからでも良い、遅い、ということはない。
米沢蕃の大多数の人の望みが一人の君主の望みと一致して改革が成功した。若い君主にすれば日常生活をそのまま領民に実行してもらう、という気持ちだろう。その生活習慣は有名な師に教えを受けた13才から17才の間に身につけた。領民が豊かになっても一生を通した。
三つ子の魂なんとか、というが13才スタートでも充分ということだ。理解したが実行しなかった大名は、お付き合いがまず第一、格式通りに何事も進めないとまずい。やることは先の先まで決まっている。上杉鷹山の生活様式など入り込む余地はない。大名にしてみれば有名な師の話はとりあえず聴こう、という気持ちだろう。実行はしない、できない、取り巻きがうるさい、格式を下げるようで世間体が悪い、民百姓には悪いがもっと働いてくれーーーー
それに引き換え若い上杉鷹山は領民の期待を一身に受けた。誰の目にも、ひたむきな、ただただひたむきな、夢を抱かせる何かを上杉鷹山に見たにちがいない。自分らと同じものを食って同じものを着て、夢がひょっとすると現実になるかもしてないーーーーーー
お互いに別れる普通の理解と正反対、こちらはお互いが引き合って成功した例だ。文字通りハングリー精神。
上杉鷹山が藩主になったのは17才、借金返済が終わったのは74才で没後の翌年。35才で引退して蕃政全体を見るようになった。それからが本当に思い通りにできたのかもしれない。鷹山のかつての部下も子供に譲っただろう。残り40年を合わせ、まるまる二世代かけての借金返済。どんな豪商も投資したくなるだろう。お付き合いは適当でも、いつのまにか先進蕃になっていた。
二世代もかけて夢がかなった。そして絹織物は全国的に有名になった。現代のブランド品だ。どこの蕃が米沢蕃をバカにするだろうか。後ろには絹を独占販売する豪商がいる。誰もが一目おく。本当にすごいことだ。