現代に置き換えると、江戸時代は不思議なことばかり起こっている。制度がまるで反対に見える。
A会社の資産が突然1/4になってしまった。だが、従業員はそのまま、解雇しないで給料半額で我慢してもらって数年がたった。借金はますます増えた。従業員の東京営業所縮小の要求に社長がたえきれず引退宣言し、新社長に親戚の17才の穀物菜食で生きている貧乏を地で行っているような痩せた若造を就任させた。従業員は大歓迎だ。この若造なら東京営業所で豪遊などしないだろう、やれやれ一安心。
法律上、会社はつぶれない。それどころか、金を貸したほうの態度が悪いとそちらが潰されるようになっている。貸し手は数軒の巨大商社と地方の大商店。安心して東京営業所で散財できるのだが、この若い社長はみんなの好きな食べ物が嫌いらしい。
それからさらに数年が過ぎて若社長が23才の時すごいことがおこった。それまで従業員は、金がないから仕方ない同じもの食ってやるか、数字も共有してくれ、と奥さんが余計なことを言っているがーーーーー従業員に公表された財務諸表には巨額の赤字が、これほどとは、みな愕然とした。会社の借金の発生源が東京営業所の散財だとはっきりわかった従業員は若社長といっしょに東京営業所にいる前社長に東京営業所縮小、予算の1/10化を言い渡した。なんとすんなり認められた。さらに返済計画を作り一部の借金の棒引き、さらなる借金の申し込みを巨大商社に交渉し、なんとこちらも契約が成立した。
現代では、とても起こりそうもない。会社はつぶれてなくなってしまう。
米沢潘以外の東北各潘は大飢饉をまともに受けたがその後どうなったのだろう。米沢潘は二代かけて借金返済、殖産興業で豊かになったが他の潘はどうしたのだろう。
飢饉でなくても普通でも何事かあって借金がかさみ最後は棒引き、幕府もやっている。これに逆らうと貸したほうの豪商がどういうわけか潰されるので文句も言えない。実際、贅沢で態度が悪い、と潰された豪商がある。
そういう環境で、なぜ、なり行きに任せて周りがやるように最後の手段を使わなかったのか。それをやると誰もが貸さなくなるが。
借金でおとりつぶしになった潘はないのに、なぜ、殖産興業など始めたのか。周りがやらなくても、やるーーーーー必要性をわかっていたから、としか思えない。
勉強中の13才の藩主候補には、はっきり、将来の領地の設計図ができていた。あとは、実現するだけ。
もし、失敗してもおとりつぶしにはならない。その経験をバネに再度挑戦、何しろ若いのだから。その証拠に、豪商は棒引き、利率引き下げ、償還期間の延長、に応じている。若さ、ハングリー精神に期待している。
江戸時代は、本当に不思議なことばかりだ。一言で言うと、融通のきく社会。次は、あきらめて水に流すのが予定されている社会。さらに、マイナス成長なのに借り手が多く貸倒引当金積み増しで利息が高い社会。極めつけは、自助努力。