グリフォンの日記

時事のニュースについて書いていきます

映画 『靖国』について

2008-04-10 21:18:23 | 日記・エッセイ・コラム

 ほとんど無名に近く、全くといって良いほどどうでもいい映画であったはずのこの映画が、まさか話題作になるとはよもや思わなかった。無論、これを有名にしてしまったのは、自民党の稲田議員が、文化庁の公的資金注入に異論を発したことから始まる。上映するはずであった映画館は、何かしらの団体圧力があったのか、自主的に上映を取りやめたのだが、これを新聞やテレビが取り上げ、まるで稲田議員が中止させたかのような捏造・煽動報道を行った。結果、上映映画館が増えるという誤算が生まれてくる。そして、「観なければ、判らない」馬鹿がこぞって中国の政治工作映画にお金を落としてくれるだろう。
 
まあ、観る観ないは、個人的自由なので、ご勝手に判断してくださいとしか言いようが無いが。
どちらかと言えば、映画協会とやらが上映中止を申し入れたこちらの方を見てほしい。
 
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『ムルデカ 17805 』
 
大東亜戦争において、インドネシアにおいてオランダ軍を9日で叩きだした日本軍。敗戦後、インドネシア独立に架けた日本兵達がいた。その壮絶なる戦いを史実に則り、製作された映画である。
 

ムルデカ 17805 スペシャル・エディション ムルデカ 17805 スペシャル・エディション
価格:¥ 2,940(税込)
発売日:2004-02-26

 
『プライド運命の瞬間』 
 
東京裁判の記録を日本側の視点から見た映画。東条英機がどのようなことを裁判で申し立ててきたのか。そして、愛する家族との絆を描く作品。(DVD化されていないのが、残念)
 
プライド 運命の瞬間
価格:¥ 5,040(税込)
発売日:1999-08-06

 
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【稲田朋美議員の映画 『靖国』についてのコメント】
  
■助成の妥当性だけを問うた
 
 表現・言論の自由が保障されたわが国において、たとえ政治的、宗教的な宣伝意図のある映画を製作しようと公開しようと自由である。今回、映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)の一部映画館での上映中止をめぐって私が批判の矢面に立たされている。私たちが問題にしたのは、この映画自体ではない。そこに文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成をしたこと、その一点についてである。
 
 発端は一部週刊誌が「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」と報じたことだった。試写会を見た複数の友人からは、この映画に弁護士時代の私が映っているとも伝えられた。もちろん私は、この映画で観客の目にさらされることを同意したことはなかった。
 
 そこで2月に、私もメンバーである自民党若手議員の「伝統と創造の会」(「伝創会」)で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に上映を希望した。当初、文化庁から映画フィルムを借りて上映するとして、日時場所も決めたが、その後製作会社が貸し出しを拒否する。そして文化庁協力と書かれた国会議員向け試写会(主催者不明)の案内が配布され、伝創会の上映会は中止に追い込まれた。
 
 朝日新聞が報じたような「(私が)事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。助成金を問題にする前提として対象となる映画を見たいと思うのは当然であり、映画の「公開」について問題にする意思は全くなかったし、今もない。「事前の試写を求めた」という歪曲(わいきょく)について朝日に訂正を求めているが、いまだ訂正はない。
 
 ≪「日本映画」ではない≫
 
 結論からいって同振興会が助成金を出したのは妥当ではない。助成の要件である(1)日本映画であること(2)政治的、宗教的宣伝意図がないこと-を満たしていないからだ。
 
 まず、この映画は日本映画とはいえない。振興会の助成要項によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の製作者との共同製作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。
 
 映画「靖国」の製作会社は日本法により設立されてはいる。しかし取締役はすべて中国人である。平成5年、中国中央テレビの日本での総代理として設立されたというが、映画の共同製作者は2つの中国法人(団体)であり、製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。
 
 さらに靖国神社をテーマにしていること自体、政治性が強い。小泉元総理の靖国参拝をめぐっては国内外で議論があり、特に日中間で政治問題化した。しかも、この映画のメーンキャストは小泉元総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告たちである。
 
 ≪歪曲された私の意図≫
 
 私も弁護士の立場から靖国神社の応援団として裁判にかかわったが、原告らは一貫して「靖国神社は、死ねば神になると国民をだまして侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。映画からは同様のメッセージが強く感じられる。
 
 映画の最後で、いわゆる南京大虐殺にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。
 
 私は、大虐殺の象徴とされる百人斬り競争で戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬りは創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの記事の内容を信用することができず…甚だ疑わしい」とされた。ところが映画では百人斬りの新聞記事を紹介し、「靖国刀」をクローズアップし、日本軍人が日本刀で残虐行為をしたとのメッセージを伝えている。
 
 これらを総合的に判断すると、「靖国」が「日本映画」であり「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。
 
 私は弁護士出身の政治家として、民主政治の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っている。表現や言論の自由が最大限尊重されなければならないのは民主政治の過程に奉仕するからであり、表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺しようとすることは背理である。
 
 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080409/trd0804090413003-n1.htm
 
稲田議員、自分は応援していますから、頑張って下さい。


一億人の奴隷社会

2008-04-08 22:06:51 | 日記・エッセイ・コラム

<日経ネットから抜粋>
★海外からの単純労働者受け入れ推進を、同友会が提言
 
 経済同友会は人口減少や国際化に対応した「日本の競争力強化のための提言」をまとめた。政府が受け入れに慎重な海外からの単純労働者について「積極的に受け入れを推進すべきだ」と前向きな議論を求めたほか、海外からの投資も「進んで受け入れるとの姿勢を堅持すべきだ」とし、外資規制などは極力排除するよう訴えた。
 
 提言では日本について「外なる国際化は進んでいるが内なる国際化は遅れている」と指摘。経済連携協定(EPA)を通じて海外からの単純労働者を受け入れるなどし、内外の人の流れを 円滑にするよう求めた。金融市場でも「外国人投資家を黒船や破壊者のごとく過度に警戒してはいけない」とし、活性化には積極的な受け入れが不可欠とした。
 
 また、過去にも類似の提言が各方面から出ているが実現していないことについて「我々ひとりひとりが変革の実行者になる覚悟を持てきれなかった」と分析。「グローバル化の流れに食らいついていくという覚悟を持って、自らの『意識改革』を図るべきだ」と強い調子で改革を求めている。
 
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080406AT3S0402506042008.html
 
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 春は揚々、散り行く華は、川に水面をつくり、何処(いずこ)へ流れゆくのだろうか。
桜の花も満開の季節。新入社員や進学、転職によって春の陽気を受けて、心新たにする季節。それにも拘(かかわ)らず、今の日本の構造は、かつての一億総力戦で戦った高度経済成長期からバブル期というお祭り安定期を向かえ、現代は弱小強大社会へと変貌しつつある。弱い会社、弱い人間はより弱く。強い会社、強い人間がより強く。まさにそうした搾取状態がまかり通り、弱小企業に勤めるものは、強い大きな会社よりその命を削り取られながら生きているのである。無論、国際競争力というのは必要で、かつての日本製品は良いから高く売れる、高くても買うだったが、今はそれでは他の国にその市場を取られてしまうと言う事態になったことが、大きく響いている。
 
 あえて、例を出すのであれば、約13年前に遡(さかのぼ)る。当時、RAMやフラッシュメモリといった市場で、東芝は非常に高品質で安定した価格で販売し、市場を独占していた。それに目を付けた韓国の財閥会社 三星電子が東芝と提携を申し出た。東芝は、それを快諾し、共同開発を行った。しかし、その結果はどうだったか?東芝の市場であったフラッシュメモリ市場は、数年も経たぬうちに、あれよあれよいう間に三星電子がトップシェアを築くと言う結果になった。何故か?東芝の特許を三星電子が使用するライセンスを取得したことに寄与する。技術を言葉巧みに盗み、そして、それに加担し、日本という国を売り飛ばした東芝。そして、自らの首を絞め、辛酸を舐める現在がある。
 
<以下は、東芝と三星電子の提携記事のアドレス>
http://www.toshiba.co.jp/about/press/1995_04/pr_j1801.htm
 
 要するにお人好しで、他所(特に韓国や中国)の国に自分のところの宝を分け与えた結果、こうした事態を招いているのだ。これは、現在の本田技研工業にも言えることだろう。他所(韓国や中国)の国に寄与した知的財産が、そのまま運用され、自らの首を絞めているのだから、これほど滑稽な事は無いだろう。海外に出かけて、技術を切り売りしている他のメーカーでも同じだ。世界と協調して生きていくべきではあるが、他所の国に寄与してしまった技術は、取り戻す事ができない事をどうして判らないのだろうか?日本と同じ技術レベルであれば、コストが安い方が、確実に儲かる。こんなこと当たり前のことだろう。
 
 こうした技術者の流出を止められない日本政府と企業が、今の日本をダメにしていっている。経済同友会の「海外から人を流入すればよい。」といった考えは、まさに売国状態だ。自分達の目先の財産だけを守ろうとするような老人達の意見に何時までこの国は振り回されるのだ。”老害”と言う言葉でも少しはかみ締めて欲しい。それが、異常な状態であると考えられないのであれば、この国は終焉に向かうだろう。
 
 これから10年後どのような未来が日本に待ち受けているのか、それを本気で考えているだろうか?いくら財産があっても、技術が無くなれば、投資する以外での大量消費は見込めなくなるだろう。技術が売りである日本が、売るものが無い状態になったら、日本と言う国は遅かれ早かれ渇水するだろう。だからこそ、それを見越して”今”を考えるべき時に来ている。国を売る技術者(売国奴)を処分する法律を作成し、技術者保護の法案とセットで国会提出すべきだ。企業も技術者に対してその対価をきちんと払う義務があるはずだ。今後は開発者、技術者を安く使用するような会社は潰れるべきだと思う。”社員あっての会社”。そう宣言して欲しいと思うのである。
  
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以下は、東芝の社員が「うつ病」を発症し、自殺したことを受けての裁判結果である。夢見る会社が、実は地獄の一丁目であったとは、全く皮肉にもならない。
 
<東芝社員の自殺「過労でうつ病」労災認定 埼玉>
  
・東芝深谷工場(埼玉県深谷市)で働いていた男性(当時37)が自殺したのは過労によるうつ病が原因だとして、熊谷労働基準監督署が労災認定していたことが1日分かった。 会見した代理人は「同じ職場で同時期に別の社員が精神疾患になり、労災認定を求めて裁判中で、関連会社員も1人自殺している。東芝には労働環境の改善を強く求めたい」と話した。
  
 代理人の川人博弁護士によると、男性は90年に技術職として入社し、00年10月に深谷工場に異動。01年1月ごろに液晶ライン立ち上げの業務に携わり始めてから、残業が月100時間を超え、多い月では約150時間に及んだ。同年10~11月にうつ病になり、12月6日(推定)に自殺。遺族が06年10月に労災申請し、今年3月14日に認定された。
  
 東芝広報室は「労災認定されたことについて、これを事実として受け止め、今後対応していきたいと考えている」とのコメントを出した。
 
http://www.asahi.com/national/update/0401/TKY200804010350.html


血という絆で結ばれし者

2008-03-31 23:11:24 | 日記・エッセイ・コラム
 <長女と長男助けようと父も焼死 宮城・気仙沼:毎日新聞>
 
 29日午前5時ごろ宮城県気仙沼市幸町、無職、内海松雄さん(89)方から出火し、木造一部2階建て住宅約245平方メートルを全焼。焼け跡から内海さんの長男:辰一さん(64)、 辰一さんの長女:幸子さん(37)、長男:辰也さん(32)の3人の遺体が発見された。 県警気仙沼署の調べでは死因は焼死で、出火原因を調べている。松雄さん(89)は右腕に軽いやけど。
  
 隣に住む内海松雄さんの次男(61)は「兄貴がおやじを外に出し、子供を助けると言ってまた家の中に戻っていった。皆が止めるのも聞かずに」と声を詰まらせた。出火直後に駆け付けた近所のアルバイト男性(36)は 「玄関をけ破ると、上半身裸で大やけどをした辰一さんが、おじいさんを両手で 抱きかかえるように引きずって出てきて外の人に託すと、火の中に戻ってしまった。止める間もなかった」と沈痛な表情だった。松雄(89)さんは足が不自由で、つえを使わないと歩けないという。
  
近くの住民の話では、幸子さんは仙台空港で貨物仕分けの仕事をしていたが、母親の看護のため8年ほど前に実家に戻り、数年前に母親が亡くなった後は、松雄さんの介護をしていたという。
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080329-00000110-mai-soci
 
<家族殺傷:会社経営で悩む父親「全部おれが…」 3人死亡:毎日新聞>
 
 6人が死傷する事件があった民家=東京都文京区小石川で2008年3月28日午前3時40分、武市公孝撮影 28日午前0時15分ごろ、東京都文京区小石川3、製本業「三成社紙工(さんせいしゃしこう)」社長、江成征男さん(42)方で一家が血まみれでけがをしていると110番があった。警視庁富坂署員が駆け付けたところ、社長ら家族6人が胸などを刺されて倒れており、両親と妻の3人は出血多量で間もなく死亡した。江成社長も腹に刺し傷があったが「全部おれがやった」と話している。捜査1課と同署は社長が無理心中を図ったとみて殺人容疑で捜査する。
 
 調べでは、江成社長方は両親と妻、子供3人の7人家族。父三男さん(74)、母敏子さん(70)、妻伸子さん(37)の3人がいずれも胸などを刺されており、病院に運ばれたが1時間半~2時間後に死亡した。小学2年の長男(8)と幼稚園児の次男(4)も胸などを刺され重傷。小学6年の長女(12)は、逃げ出して隣家に助けを求め無事だった。
 
 江成社長宅は3階建てで1階が作業場。三男さんは2階の介護ベッドで、敏子さんは隣の寝室の布団で、伸子さんは3階寝室で倒れていた。就寝しているところを刺されたとみられる。遺書は見つかっていない。
 
 江成社長は、取引先の移転や廃業で資金繰りが悪化することを心配しており、自分の会社の騒音にも悩んでいた。警視庁は事件との関連を調べている。
 
 現場は地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅近く。東証1部上場の「共同印刷」本社があり、下請けの製本、紙裁断業者など中小の印刷工場が多い。最近は、マンション建設が増え、居住者と工場の共存も問題になってきていた。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080328k0000e040055000c.html
 
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一番目の記事の父親は、自分の父親を助け、その後娘と息子を助けに行って、お亡くなりになった。一方で、自らの命を絶てず、自分の子供達の命までも道連れにして奪おうとする卑怯者の父親がいる。いずれの主人公は父親であり、その性情によって全く異質な対応が生まれてくるものであると気づかされるものである。
  
 最近でも、一人暮らしの老人を殺害し、飽き足らずに土浦市のJR荒川沖駅周辺で8人を殺傷した金川真大容疑者(24)やJR岡山駅のホームから38男性を突き落とした18歳の少年などの事件があったが、別段今に始まったわけではない。それより前に起きた”バスジャック事件”といい、”誰でもいいから人を殺してみたかった”奴といい、”ゆとり教育”以前の問題が、累積して今に溢れ返っているのである。
  
 それは、家族間における本当の意味でのゆとりが無いことだ。ここ10年の日本全体における余裕の無さこそが、核家族への打撃になり、破滅へのプロローグではないのかと本気で考えてしまうのである。余裕とは、お金ではなく、心のゆとりのことである。ある程度、何でも与えられるだけの生活を送ってきてしまうと大人になった時に、自分が何をするのか、何をしたいのか、そして出来るのかということを考え、行動することが出来なくなってしまっているのではないだろうか。家族間の交流を通して、生きる術を身に付けられないまま大人になってしまった結果が今にあるわけだ。確かに、時代背景としてバブル崩壊に続く、リストラ、終身雇用の廃止、実力成果主義社会、就職氷河期があった事も否めないが。
 
 しかし、考えてみて欲しい。太古の昔より続く日本人という血脈は、どのような社会情勢であろうと、生き抜いて来れた事を。そして今、何故多くの人が他人を傷つけ、自らを滅ぼそうとしているのかを。今、ここに生きていると言うこと。それは、先祖から受け継いだ血の繋がりによって、今の自分があることに思いを馳せる。今一度見直してみて欲しい。今の家族の位置づけはあなたの中の何処にあるのか。それが、日本を正常に導く鍵になると思うのである。


どちらが無様なのか

2008-03-23 22:43:15 | 日記・エッセイ・コラム

前々から書いているように、民主党の無様さは、なんとも滑稽である。与党の案に反対するだけの政党と書いてきたが、ここまで反対し続けるだけの政党とは、よもや思わなかっただろう。日銀総裁についてまで反対する政党。では代案をと提示されてもまた反対。では、と相手の案を呑もうかと考えてもまた反対。どこまでいっても平行線。”天邪鬼(あまのじゃく)”どころの騒ぎでわない。話し合いにも何にもならない。こんな党を選んだ馬鹿は責任を取れ!マスコミに騙されたとか言い訳なんて聞きたくない。自民以外の他の政党に入れた人は...まあ仕方が無い。
 
 まともな政党であるならば、相手の意見が良いと判断すればその意見を尊重するだろうし、自分の意見を引っ込めもするだろう。その代わりこちらの案もありますと提示することだって可能なはずである。で、民主党のどこがまともな政党なのか?
 
 財源確保のために、無駄な財源カットとか言う割には公務員(日教組)の給与削減に消極的だし、一見利権屋潰しに見せかけて自分達が一番その利権屋から銭貰っているわけで、結局何一つ潰せないそれが民主党。消費税率引き上げ反対を謳うが、結果財源が不足するのは日の目を見るより明らかなわけだ。また国債を売るのか?さらに借金を増やすのか?そして、子孫だけにその責任を押し付けるのか?在日朝鮮人に対する特別優遇処置は、何時になったら無くなるのか?パチンコ税は何時できるのか?結局、まともに財源確保できる唯一の手段が日本国民全員から一律徴収できるのが消費税だろうに。人権擁護法案も外国人参政権ももういい加減にしてくれ。
 
 ある意味、日本の将来は自分の住む未来であるはずだ。明るい未来も暗い未来もその人の選んだ結果次第でどのようにでもなる。しかし、その未来をこんな民主党の政治家達に託すなんてよくできるものだと感心する。無論、嫌味で言っている。変化を求めるのは人の業(ごう)である。それでも変えては成らないものもある。それが信念であり、日本人であるということなのだ。あまり政治に感心が無いのは平和な証でもあるが、自分さえ巻き込まれなければ良いというのは、あまりに情けない信念だとは思わないのだろうか。
 
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<民主党の管代表代行の話> 
民主党の菅直人代表代行は19日午後、党本部で記者会見し、日銀総裁の空席に関し「100点と思えないまでも困るという人でなければ、空白を避けるためにも同意する方がいいと思っていた。知恵がなかった人に最大の責任がある」と述べ、責任は福田康夫首相にあるとの考えを強調した
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080319-00000182-jij-pol


雑然とした想い

2008-02-11 22:26:45 | 日記・エッセイ・コラム
既に2月に入り、先月の目標を達成できなかった自分の不甲斐なさと、切なさとやる気の無さ。渾然一体とした無気力感はただ自分の中に朦朧とした幻影として、深く沈んでいった。そんなやる気の無さでも、今日は書こう。怠惰な自分との対峙である。
 
 さて、今回は中日新聞とやらの社説である。「KYとは誰だ?」と見出しをつけた捏造新聞から派生したKY。そして現在は”空気を読めない人”を略する単語へと変化した。元は朝日新聞社が、沖縄の珊瑚を守れとばかりに、ダイバーのマナーを正すはずの記事であったが、この珊瑚を傷つけたのは他ならぬ、朝日新聞の記者であった。
 
 思い起こせば、「従軍慰安婦」にしろ、「靖国神社参拝」にしろ、捏造と旗振りをしたのは、朝日新聞社であることは明白である。ついでに、十数年前、テレビ朝日でも「いじめ問題」をワイドショーでヤラセを行い、苛められ役の女生徒の母親がそれを見て自殺してしまった。マスゴミ溝鼠(ドブネズミ)がはしゃぎ過ぎて自らの愚行を省みない愚かさよ。

 中国の毒餃子も韓国の虫キムチも寧(むし)ろ隠蔽し、擁護するとは悪徳犯。貴様らマスコミに不二家や赤福をとやかく言う資格があるのかと、まさに笑止千万。時が時なら叩き斬られても文句も言えまい。
  
挙句に「安倍ちゃう」とか勝手な造語を生み出し、安倍元総理が逃げたような書き方だった。参議院議員選挙惨敗後に即辞めたら、毎年変わらんお馴染みの責任転嫁降板になっただけだろうが。そこだけは何とか空気を読んだ安倍元総理、暫くして所信表明演説後に、辞めたのは正解だろう。選挙結果だけで、辞められたら、今までの改革もバブルの如く弾けて、それこそ責任感が無いと思うがね。
 
 もっともネット上では、こんな造語に惑わされず、対抗馬として「アサヒる」との造語が生み出された。意味は、捏造すること。そして、今日も何処かのマスコミ諸氏が、毎度お馴染みの~~とアサヒってます。

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  <周囲の状況やとりまく人々の思惑など、そこにある暗黙の了解をまったく意に介さないような言動や考え方をすること。また、その人>。『KY式日本語』(北原保雄編著)に載っているローマ字略語KY(空気読めない)の語義である

▼語源をたどると、<インターネットの掲示板では「空気嫁(空気読め)」の表記で以前から広く使われていた>という。昨年夏の参院選で敗北した後の安倍改造内閣が「KY内閣」と評されたことで、認知度が一気に上昇したらしい

▼若者言葉ではない。中高年の人も最近は使っている。数人が和気あいあいと雑談している席で、「KYと言われるかもしれないが…」と前置きし、異論が出そうな話題に切り替えた人がいた。空気を読めないのではなく、あえて問題を提起しているのだと言いたいようだが、KYと思われたくない強い気持ちの表れでもある

▼本紙の文化欄で、法政大学の鈴木晶教授がKYを<「空気」という見えないルールを振りかざして、他人を排除する呪文(じゅもん)>だと、分析している。前置きをした人も、呪文の怖さに恐らく気付いている

▼空気がまったく読めないようでは困るが、日本人は何にでも過剰に反応しやすい。呪文に振り回されては、社会は活力を失っていくだろう

▼作家の故城山三郎さんが『打たれ強く生きる』で、停滞期の大企業がある条件で幹部の求人を行い、勢いを取り戻した話を紹介している。今ならKYな人を募集と解釈する人もいよう。「夢見る男、虻(あぶ)のように口うるさい男、異端者を求む」である。

<ソース:中日新聞> 
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2008021002086535.html


明けましておめでとう御座います

2008-01-01 21:37:18 | 日記・エッセイ・コラム
 昨年は、政治において、敗戦からのいわゆる”戦後レジュームからの脱却”を謳った安倍政権の後退、民主党の右往左往する姿に絶望感じた一年でした。また、事件も多数流れては消え、忘却される日々が続きました。本ブログでは、幾度か凶悪な強姦事件を皮切りに、特定利権団体の事件、いじめ事件にも触れてまいりました。本ブログや他のブログ、2ちゃんねる等で情報を手に入れて、無防備から多少の知識と経験から、防備を手に入れられた方もいらっしゃれば、取り上げてきた甲斐というのもあるかもしれません。
 
 しかしながら、先月においては、忙しさと精神的な余裕の無さが、更新をしない月を生み出したと反省しきりです。もっと世に知らしめるべき事件や事柄は多数あり、それらの情報を書ききれなかったのは、昨年の反省点ですね。
 
近年、マスコミの偏向報道や宗教関連団体、朝鮮関連団体、関連団体等に関する書籍が次々と発売され、闇に隠された部分が世に知れ渡り始めたことは非常に我々にとって有り難い部分もあります。しかし、それらの情報にも隠された部分が存在しないという保証は無いので、情報の整理と取捨は、特定の線引きが無いため、書き手、読み手、個々の判断に任されています。それらの線引きが本ブログでも難しく、後に出てきた事実から修正を余儀なくされる場合もあります。
 
先頃、沖縄において、「集団自決は日本軍の命令」と全部がそうであったかのような記述を教科書に載せろとのたまう集団が、11万人(主催者側発表)集まった事を書きました。先頃書いたものには、実数4万人と記載したのですが、最終的には、”約2万人”という結果がでました。こうした小さな事柄なのですが、訂正をしないままにしていたりすることが、誤解や過大評価に繋がっていくのではないかと思いました。
 
昨年の反省点を踏まえ、今年も飛び飛びブログは続く...なんてことはないように、程々に更新していきたいと思います。
 
それでは、昨年、順調だった方は、ご健康と更なる飛躍を祈り、昨年、不調であった方は今年こそ、健康と発展をお祈りして本年度の挨拶とさせて頂きます。というわけで、今年も本ブログを宜しくお願いします。


歪められた真実の証言

2007-11-11 21:06:02 | 日記・エッセイ・コラム

ソース:izaβ版
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/99394/
 
沖縄戦に参加し、座間味島で守備隊長をしていた梅沢裕さん(90)が、今月9日証言台に立たれた。沖縄の住民達へ集団自決するよう旧日本軍が命令を出したか否かを法廷で争う裁判である。大江健三郎氏の著、「沖縄ノート」や今だに続く教科書検定問題を引き摺り続け、62年の歳月を経てようやくこうした裁判が表立って行われるのである。
 
今まで、日本は加害国であると我々は信じ込まされてきた。しかし、本当の真実を歪め伝えてきた連中や自分達に都合の悪い事はひた隠しにしてきた連中によって、我々は盲目にされてきた。それが、ネットや携帯電話の普及によって、所詮メッキ、塗装した偽装真実なんぞ、本当の真実には到底叶わぬものであることが実証されようとしている。

「自決命令は出していない」毅然とした態度で、臨んだ裁判。他の部隊が命令した事実は、全く無いとも言い切れないが、この梅沢氏が所属していた部隊に限って言えば、命令などするようなことはしなかったであろうと思われる。それは記事を読めば判る通り、当時の生き残った女性の証言や当時の助役の弟の証言があることが、それらを物語っているからである。
  
既に10月のブログでも、記したように沖縄県での戦闘の激しさとアメリカ軍の上陸、占領の恐怖におののく住民達の心境を考えると、自決命令があってもなくても、混乱と恐怖により錯乱した状態が続けば、自滅へと走っていってもなんら可笑しくはない。記憶というのは、実に曖昧である。特に錯乱状態に陥っている状態で、冷静に沈着に正しく判断できる方が稀なのである。にも拘らず、それが真実であると、何を以って決定づけれるのであろうか。
 
もし、自決した方々が、日記でもつけておられたら、きっとそれは証拠になりうるであっただろう。しかし、今更、証拠も無いのに、掘り返して自分達は被害者。日本の本土にいる人達は加害者であると言い続ける沖縄の一部の半日本人連中に耳を貸す必要がどこにある?教科書問題というが、自国の歴史すらまともにかけないのなら、出版社なんて辞めてしまえ。

その証拠に、日本軍が犯罪行為を行ったと言う事柄について、その中に朝鮮人が多分に含まれていたことは、あまり書かないではないか。通州事件でどれだけの民間人が惨い殺され方をしたのか書いているのか。それらを書かずして何処が、真実なのだ?本来の真実と言う点で言うならば、悪い反省点とともに良かったことも合わせて書くべきである。それが、バランスの取れた教科書であると言うものだろう。
 
もう、いいだろう。日本民族が一つになっては困る人間の掌で踊るのは、止めよう。オランダが従軍慰安婦について馬鹿な法案を可決したらしいが、正直どうでもいい。オランダよりもっと日本との距離を縮められる国との友好を深めるべき時に来ているのだ。無用な戦いは避けるべきであるが、八方美人的外交を何故止めれないのだろうか。今の混沌とした状況を見るにつれ、我々日本民族が、一つに団結する必要があると言う、先祖からの与えられた試練なのかもしれないと思う今日この頃である。


大人の責任とは

2007-10-14 23:48:18 | 日記・エッセイ・コラム

【コラム・断】ことなかれ主義の悪  産経新聞社
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/89211/
  
 秋も深まり、風の冷たさに心揺らぐ季節になってきた10月。先月高校生が複数の少年からお金を毟り取られ自殺すると言う事件が起きた。れっきとした犯罪であり、恐喝、脅迫、暴行といった罪に問われるべき犯罪である。にも拘らず、社会の暗黙のルールだとでも言うつもりなのか、”いじめ”と言う言葉でひと括りにしてしまう現代のマスコミ達。万引きでも援助交際でも同じだ。しょせん、窃盗と売春行為であり、言葉を変えて日本人を翻弄する必要が、果たしてあるのだろうか。恥をしれ!
 
 今更いうまでもなく、いじめを犯し、助長するものは、自らの境遇との比較から始まる。すなわち、自己欺瞞であり自己愛に基づいた自己顕示欲の誇示であるに他ならない。他人を蹴落とし、卑しめたい人間の業とも言うべきこの感情は、過去から現代に至るまで変わる事は無いのである。それこそ「いじめをするな」と簡単に言われても、母親が父親の悪口を他人と言い合っていたり、人の風評をばら撒く光景を目の当たりにして育った人間は、他人を卑しめる行為そのものを楽しいことであると錯覚しても致し方ないと思うのである。
 
 本来であれば、家庭で躾けるはずの事柄を社会に押し付け、他人に押し付ける一部の人間の顔をしたアフォのお陰で、陰険ないじめがさらに過激に展開していく事になっていると言ってよいだろう。誰それがやっているから、自分がやっても良いというのは、子供の論法である。それが、今は大の大人になってもその体質から抜け出せぬジレンマを抱えてしまっているのが現状なのではないだろうか。
 
 得てして、学校の対応は今も昔も変わらない隠蔽体質。「長い物には巻かれろ」主義であり、新しい方法や理論を取り入れて行こうとする者は、「出る杭は打たれる」と読んで字の如く叩かれるのが、今だに続いている結果なのだろう。結局、頭の固い人間が、知恵すら絞りだせず、若い人間に責任だけを押し付けて、結果、自分は逃れようとする小汚く、猿知恵程度の卑しい人間がトップにいるから、未だに変われないのだ。(中には責任をとって自害された校長先生も居られることを付け加えておく)
 
 トップについて言えば、責任のなすりあいを辞め、自分に責任が取れないのであれば、退任するのが本道だろう。それを隠そうとすればするほど、問題は大きくなることに早く気づくべきである。
 
また、いじめという行為自体は無くす事は不可能に近い。それは先に述べた通り、他人との比較と自己顕示欲の誇張が人間の誰にでも備わった機能であるからだ。しかし、それを回避する方法が無いわけではない。柔道で始めに習うのは受身だ。うまく受身を取る事で自らの身を守るのである。その方法は、自己防衛本能に導かれて、知恵として発揮されるが、未熟な少年期、青年期では経験と実績がないので、その知恵を絞ることが不十分なのであると思う。大事な事は、大人がいち早く気づき、その方法を教えることが、本当の責任の有り方なのではないだろうか。


捏造新聞社と沖縄の海

2007-10-06 23:16:09 | 日記・エッセイ・コラム
 先日、沖縄県で歴史教科書の項目から”沖縄の集団自決が軍の強制であった”との事柄が削除された事への抗議集会が開催された。朝日新聞は”11万人”が集まったと報道した。しかし、現実に実数を量ると4万8千人。この数字に拘る必要は無いと、とあるテレビ局の馬鹿キャスターが言った。南京大虐殺を捏造し、数字を水増し報道し続けた捏造・隠匿体質は戦前・戦中・戦後を通して変わっていない。
 
 沖縄での戦闘で、多数の民間人が犠牲になったのは事実である。しかし、当時日本は戦争をしていたのであり、その中で情報を握る術はラジオ、新聞、手紙等数は限られていた。青い眼をしたアメリカ人が突然武器を両手に上陸してきたら、どのような事が起きるのか想像が付かないのではないだろうか。大人の男は殺され、婦女子は強姦され、幼子は...。そんな事、今の時代であればある程度情報の流動の早さがあるため予測がつくと思うが、当時の状況を考えるに辺り、情報の混乱と錯綜によって、自決せざるを得ない極限の状態へと導かれたのではないだろうか。
 
 軍に強制されたのか否かは、実質的な証拠はない。多くは証言を元にした話であり、正直それを今持ち出して、何が変わるのであろうか。軍は要らない、そんな理念だけで、現在の混沌とした世界情勢を現実的に切り抜けられることができると本気で思っているのであれば、それは”絵に描いた餅”だろう。北京五輪が2008年に開催されるが、開催終了後の仮に中国の経済成長が著しく停滞し、それこそバブルの崩壊が起これば、何が起こっても不思議は無い。
 
そうした現在において、軍さえなければ、戦争が無くなるというのは、自らの国も誇りも尊厳も捨てる事に等しい。前にも述べたとおり、日本という国があるから、自由な発言もできるし、自由な活動も出来るのである。敵が攻めてこない保証はどこにも無い。仮に攻めてきて、占領されたら、責任はその国の国民、全てにあるということだ。つまり、攻めて占領されたあかつきには、全ての財産も家族も恋人も捨てる覚悟をしろと言うことだ。裸で町を歩けと言われればそれに従うことが出来るか。武力を捨てるならば、敵に制圧された時の事まで考えろ!ということだ。人間としての尊厳、自尊心も羞恥心も全て飲み込み相手に譲歩する覚悟があるのであれば、日本にいる必要はないと自分はそう思うのである。
 
 今から約62年前、沖縄も占領下に置かれ、日本人としての人権を取り上げられ、生きていかざるを得ない人々がいた。だからといって、日本軍は憎いと今も怨み辛みを吐き出し、真実と真理を歪めようとする人間に利用される人間がいることに激しい怒りを感じる。沖縄を守らんとし、アメリカ軍に体当たりを実行した特攻隊員達、沖縄に辿りつくことなく沈められた戦艦大和。無謀と判っていて、少ない武器を手に戦いを挑んだ沖縄県民達。尊い犠牲の上に我々は意気揚々と当たり前のように暮らしていることを考えるべきだろう。もしあなたが、沖縄に行く事があれば、海に眠る英霊達にこう問いかけてみよ。「この沖縄を本当に守りたかったのですか?」と。



二つの真実

2007-09-08 22:13:17 | 日記・エッセイ・コラム

 9月に入り、暑さも緩和し、夜になれば、虫の鳴き声も辺りに木霊する昨今。相も変わらないマスコミ各社は、常にセンセーショナルな話題のみを撒き散らし、本来、必要な情報を自己規制と称して、我々国民に伝えることをしない。
 
 酷い人的事故や事件は数あれど、その現場と掛け離れた報道姿勢は批判されるべきものだ。しかし、その批判は、一部の雑誌、新聞のほんの片隅に追いやられているのが、現状である。
 
 奈良県や北海道で妊婦が、病院に受診拒否され、タライ廻しにされた事柄は、記憶に新しいことと思う。政府、社会批判しか頭に無いマスコミ各社は、これを社会問題として勝手に位置づけ定義した。しかし、受診拒否した病院側の意見やタライ廻しにしなければならない現状は、伝えてきたのだろうか。
  
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<北海道新聞より抜粋>
○奈良、札幌の受け入れ拒否 「受診しない妊婦にも責任」
 
 奈良県や札幌で、救急搬送された妊婦の受け入れを医療機関が相次いで断った問題で、拒否された患者全員が出産まで一度も産科を受診してなかったことから、産婦人科医の間で批判の声が上がっている。背景には札幌市内だけで年間一千万円を超す出産費用の未払いがあり、救急態勢の改善だけで問題は解決しない。
 
 「病院や役所ばかり責められるけど、妊娠六カ月まで医者に行かない妊婦がそもそも悪い」
 
 札幌市内の総合病院の産婦人科で働く四十代の男性医師は、奈良の女性の自己責任を問う。奈良の女性も、札幌で五回以上受け入れを断られた女性五人も、全員に産科の受診歴が無かった。
 
 「妊娠したかなと思ってから出産まで約二百八十日。その間、一度も受診しないというのは確信犯ですよ」。札幌市産婦人科医会の遠藤一行会長も語気を強めた。
 
 通常の患者は妊娠の兆候に気づいた時点で産科にかかる。容体が急変しても、119番通報すれば、かかりつけ医に運ばれる。国民健康保険なら一人三十五万円の出産育児一時金も支給される。
 
 遠藤医師が「確信犯」と嘆く患者の大半は国保の保険料が未納、または無保険者という。保険料未納なら、失業や災害など特別な事情がない限り一時金は差し止められる。保険を使えないので妊娠しても産科にかからず、陣痛が始まってから119番通報する。
 
 「救急車に乗れば必ずどこかの病院に行けますから。無事産んだら、退院する段になってお金がない、と。ひどい場合は子供を置いて失踪(しっそう)する。病院はやってられませんよ」。遠藤医師は嘆く。
 
 同医会の調査によると、二○○六年度に、救急指定を受けた札幌市内の十四医療機関だけで、出産費用の未払いは二十六件、総額一千万円を超す。同医会理事で市立札幌病院の晴山仁志産婦人科部長は「予想より多い数字」と驚いた。
 
 医療機関からみると、かかりつけ医がおらず、救急搬送される妊婦は、未熟児などの危険性が不明でリスクが高い上、出産費不払いになる可能性も高く、受け入れを断る病院が出てくる。
 
 ただ、産科にかからない妊婦を責めるだけでは、子どもの生命は守れない。胆振管内で産婦人科を開業する六十代の男性医師は「産科に行かない妊婦にはそれぞれ事情がある。救急態勢以外に、母親側の背景を検討して対策を講じないと、問題は繰り返される」と訴えている。
 
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/life/47948.html
 
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 実際の現実は、こうした現状を元に起こっている。一概に、妊婦、病院の何れかが悪いと判断できるものではないが、少なくとも妊娠が判った時点で、産婦人科を訪れ、かかりつけの医師を作ることは、重要な事柄ではないだろうか。
 
 医者は患者の病気を治すのが仕事だと思っている人もいるだろう。人の命を救うのが医者だ、という人もいるかもしれない。しかし、患者と医師の何れも人間であり、その人間同士の関係の中に信頼があるか否かが、問われているのである。
 
 綿アメの割り箸で喉を突いて、急患で運ばれた4歳の少年の事故は、記憶にあるだろう。実際には、割り箸は少年の脳にまで達し、既に手遅れ状態だった。彼の両親は、小児科医を適切な処置をしなかったとして告訴した。その医師は、無罪を勝ち取ったものの、裁判長は適切な処置とは言えないと烙印を押されたのである。
 
 産婦人科医や小児科の医師の数は年々減少している。何故なり手が居ないのか、近年のこうした裁判例を見てみれば、それが判る気がする。裁判を起こす遺族達、病院側と社会を大々的に悪者扱いするマスコミ諸氏。これだけを見れば、”何て酷い病院なのか”と我々は憤慨するが、その裏側にあるものを汲み取ることを蔑(ないがし)ろにしていると、後々苦渋の日々をおくらねばならないのは、我々国民でもある。何故なら、現在のマスコミ諸氏の伝達は、批判精神先行が蔓延し、建設的な意見や発想は、皆無に等しい。そして、意見の多くは、自社の偏向に合ったお堅い大学教授に任せっきりであるからだ。
 
 あえて、マスコミ諸氏に言いたい。大きなミスがあれば、批判すべき事柄だけ、批判すれば良い。しかし、過大過ぎる批判は社会混乱を引き起こし、国民の首を絞めるという現実を何故理解しないのだろうか。この北海道新聞が書いたように、どのような事例にも対比させ、伝達すべきであると思う。この二つの視点から見た真実は、多くの国民に考えるきっかけを与えると思うのである。