月曜日には、二日目の代表質問があった。自民党からは、二ノ湯真士府議(右京区)、能勢昌博府議(長岡京市・大山崎町)が登壇された。
二ノ湯府議が「府庁の北部移転」を提案したのに対し、知事がなぜか「滋賀県と合併し、大津移転もあり得る」と発言し、波紋を呼んだ。
京都府政の最大テーマは「府域の均衡ある発展」と唱え、「南北軸の構築を目指している」という立場からすると、ちょっと考えられない発言だった。
天智天皇は大津に都を移したが、民衆には不満が多く、日本書紀には昼夜を問わず出火があったとの記述もあるそうだ。
大津宮で即位した天智天皇の息子・大友皇子は、すぐに天智天皇の弟である大海人皇子と壬申の乱で争い、敗れている。
夜は恒例の《公舎会》に出席した。北部の府議と議長、副議長、知事、副知事、総務部長らとの懇親会で、議会ごとに開催している。