24日㈰にパネル展「綾部と合気道」(会場:グンゼ集蔵)を見学に行った。
綾部市は合気道《開眼の地》であり、合気道創始者の植芝盛平翁は綾部で暮らしていた頃に、合気道を武道として完成させた。
綾部と合気道をつないだのは大本の出口王仁三郎聖師であった。
和歌山県田辺市出身で北海道上湧別村に開拓者として入っていた時、「父親が危篤」との知らせを受け、北海道から和歌山に引き揚げる列車の中で「綾部の大本で病気を治す」という話を聴き、そのまま綾部に来て出口王仁三郎聖師と出会い、綾部に居ついたとされている。
しかし、列車の中の噂話だけで、危篤の父親のもとへ向かわずに綾部に来たというのは無理があるように感じていた。
実はその頃、上湧別村の国有地の払い下げを受けて、北海道家庭学校が開校している。この学校の創設者である留岡幸助はグンゼ創業者・波多野鶴吉に洗礼を受けさせた人物であり、綾部との縁もある。この国有地払い下げには田野町出身の田中敬造がかかわっていたのではないかと思っており、上湧別村で村会議員を務めていた植芝盛平との何らかの接点があり、綾部の様子を知っていたのではないかと考えている。
二代目の植芝吉祥丸道主は綾部で生まれ、綾部幼稚園の卒園生でもある。
今回のパネル展のように、こういった歴史を綾部市合気道協議会(七良浴大吉会長)や植芝盛平翁顕彰会(木下芳信会長)の方々を中心に広めていっていただけるのは、綾部市にとってありがたいことだと思う。