15日㈬、午後に海の京都DMOの亀谷義忠総合企画局長と福井誠次長が来られて、昨年度の報告と今年度の事業計画の説明を受けた。
綾部市は京丹後市や宮津市などと比べると観光産業のウェイトが低い町なので、それら地域と同様の観光施策ではなく、市内の飲食業者やこれから飲食業にチャレンジしたいと思っている若者に向けた施策展開をしてもらいたいとお願いした。
現状、綾部は夜の人の動きが減っているとよく言われる。人口減少や高齢化の影響も大きいだろうが、夜のタクシーがないことも影響していると思う。ライドシェアなど新しい方法も活用して何かできないか?と考えている。
私も来月、タクシー事業の関係者らと個人的に懇談の機会を持つつもりだが、DMOでも考えてもらいたい課題だ。
以前は綾部でも20代、30代で飲食店を新たに開店するケースがいくつかあった。そこが同世代の若者のたまり場になっていたと思うが、今はそういったケースをほとんど聞かなくなった。前に綾部市や商工会議所が取り組んでいた「チャレンジショップ」のようなものが街中にできても良いのではないかと思う。
16時半からは清山荘にて、NPO法人あやべ福祉フロンティア(玉川弘信理事長)の役員選考委員会に出席した。
今年度は役員改選期に当たっていて、数人の方からは高齢や病気を理由に退任願いが出ているようだ。新たに理事をお願いできる人は誰か、などについて協議した。
選考委員会は数十分で終わり、あとは雑談で、フロンティアが25周年を迎えるので、5周年、15周年はどうだったか?やフロンティアの草創期の話などをした。なぜかフロンティアは「5」の記念年にしか式典や事業ができていない。
15周年は当時の府立医大・吉川敏一学長を招いて、記念講演会「健康長寿で若さを保つには?」を開催した。
フロンティアを設立したのは平成11年(1999年)8月で、設立総会は若者交流スペース「りんく」(味方町)という場所で行った。
その建物はすでに解体されて、今はいすゞ自動車の修理工場の一部になっているが、昔は綾部楽園というドライブインの駐車場にあったうどん屋の建物だった。それを当時は大本が所有しておられて、「フロンティアの事務所に使ったらどうか?」と提案してもらったがフロンティアには当時、事務員もおらず使う当てがなかったので「若者団体のNEXTで使ってもいいですか?」と頼んで、NEXTが例会や会合の場所として使っていた。
平成14年(2002年)5月31日に行った総会は熊野新宮会館を会場に、総会後の懇親会も初めて行っている。ブールからオードブルをとってやったように記憶している。53名の出席があった。
交流会(懇親会)の案内には「なお、おしのぎ程度の軽食と、お酒・ビールを支度致しますので自動車でのご来場は、ご遠慮ください」と書いてあり、「おしのぎ」という表現からすると、おそらく当時の理事であった故足立みどりさんが作成してくださった書類なのだと思う。
総会以外の理事会やボランティアの講習会などの会議は今は清山荘で行っているが、当時はほぼ福祉ホールを使っていたと思う。
平成12年(2000年)8月から常勤の事務員1名を雇用した。事務所は設立当初から数年は㈲両丹企画(綾部市並松町上溝口20-3)内に置いていた。そこからハートセンター(本町2丁目)に移り、今の清山荘には平成18年(2006年)5月に移転した。
当時の事務所で、ボランティアや職員の皆さんと撮った懐かしい写真が残っている。平成15年(2003年)の3月頃ではないかと思う。29才になったばかりの頃か。
平成15年(2003年)3月14日に開催した総会から、主に亀甲家を総会の会場とするようになった。以後、会場の都合でふしみやで開催したり、コロナで書面開催や食事なしで清山荘開催だったこともあるが、多くの年は亀甲家で開催している。
平成15年から10年ほどは、綾部市長や綾部市福祉保健部長、綾部市立病院長、綾部市社会福祉協議会長などに案内を出してお越しいただいていたこともあった。
6月には総会をして、その後にボランティア交流会、12月には忘年会を兼ねたボランティア交流会を開催してきて、今もそれは続いている。
当時は総会は弁当、忘年会は鍋で開催していたが、だんだん鍋は敬遠されるようになって、最近は弁当や懐石に変わっている。「鍋をつつく」という同志の一体感が当時は良かった。
25周年にあたっては、これまでボランティアなどでフロンティアに関わっていただいた方々を調べ、そのお名前を記念誌に残していくことで、感謝の気持ちを示したらどうかと思っている。
夜は四方源太郎後援会の幹事長である高橋輝市議と週末の拡大役員会の打ち合わせをした後、二人で花山で食事。