四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

大学祭へ

2024年11月03日 | 家族

113日㈰午前中は靖国神社と渋谷へ行き、午後は旅の主目的である小源太の大学祭へ。

 大学祭に行くというのは自分が大学生の時以来だと思うので、30年ぶりくらいか。構内に入ったところではサークルの発表コーナーもあり、ちょうど「縄跳びしながらダンス」する?何とかという競技が披露されていた。

 大学のメインストリートにはサークルやゼミによる飲食の出店が立ち並び、学生の活気あふれる声が響いていた。

 中庭の舞台のところでは、息子さんがダンスサークルにいるお母さんと、たまたま近くにいたファンの女学生との会話が耳に入ってきた。

「わたし初めて見に来たの。息子が四年生でどこかのグループにいるはずなんだけど…」

学生「そうなんですか!どのチームですか?」

「分からないかしら?服は白にピンクが入っているはずなんだけど…一度しか洗濯させてもらったことがなくて…」

学生「10チームくらいが出るんで分からないですけど(スマホで写真を調べて)、ワンチャン、最初のグループかも!」

「ええっ!」


 お母さんは熱心にダンス演技を見つめ…こちらを振り返られると目には涙が…。息子さんのダンスを初めて見た感動からか。

学生「息子さん、見つかりました?」

「(涙ぐみながら)いなかったと思う~」

 

 それでその場を離れたが、きっと息子さんのダンスでは大感激されたことだろう。

 続いて、小源太が所属するお笑いサークルの舞台がある校舎へ。ここも各教室で様々な展示や出し物が行われていた。

 14時に開場だったので、その10分ほど前に行ったら行列ができていた。後ろにも長い行列ができた。並んでいたら、小源太と相方の脇坂くんが出てきたので声をかけた。実物の脇坂くんとは初めて出会った。

 後ろに並んでおられた男性が「小源太くんのお父さんですか?うちの娘がコンビを組ませてもらってます」と声をかけてくださった。親しくしていただいている先輩のお父さんのようだった。

 議員をしているとか、京都から来ているとか、私のこともすでに知っていただいていた。話していると娘さんが来て「こちらは小源太くんのお父さん」と紹介されると「えーっ、ホントですか?」と驚かれた。

 「小源太」という名前をインパクト重視で付けた効果だろう。

 小源太は大学生になって自己紹介する時に、自分の名前を言うだけでちょっと笑われ、父親が「源太郎」だと言うともっと笑われ、祖父が「八洲男」だと言うと「なんで『源』が付いてないんや」と突っ込まれ、そのまた父親が「源太郎」だと言うと驚かれると言っていた。

 

 会場は立ち見が出るほどの一杯で、小源太たちはトップバッターで出してもらっていた。大学祭最終日「午後の部」の出演者はほぼ全員三年生だったのに、唯一の二年生コンビだった。

 初っ端で場が温まっていない中、「名文」というネタの漫才は、よく考えられていて面白かった。今の大学生が「俵万智」を知っていれば、もっと笑いがとれたのかもしれない。文学好きの小源太が考えたのだろうと思うネタだった。

 小源太が「突っ込み」役だということも初めて知った。もう少し落ち着いて突っ込めば、もっと面白くなるのではないかと思ったが、相方の脇坂くんの声がよく通るようになっていて一番最初の新人ライブの動画に比べるとずいぶん成長していた。

 小源太はMCも務めて引退する先輩に突っ込んだり、皆さんに愛され、可愛がってもらっているようで良かった。

 お笑いサークルはたいていは三年生の大学祭で引退するようで、小源太もあと一年は好きなことをやって、その先は就職活動を経て独り立ちしてくれるだろう。

 

 夕方は表参道から歩いて原宿に移動。「表参道」というのは明治神宮への「参道」という意味なのだろうか。たくさんの「明治神宮」と書かれた提灯が吊るされ、大勢の観光客が歩いていた。

 原宿もすごい人だった。子ども達はここでポテトやイチゴ飴などを食べてお腹いっぱいだと言うので、飯田橋の駅まで戻って一人で近くの居酒屋で飲んだ。

 店を探そうと歩いていたら、どうしても入らないといけないような店があった。

 そういえば、今年の1月に飯田橋で行った居酒屋も、同じく入らなくてはいけないような名前だった。飯田橋には何か縁があるのだろうか?

参考:2024年1月26日付blog「劇団ふぁんハウス第44回公演【ふたりのゆめ】」


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