13日㈬、朝8時過ぎにホテルを出発し、京丹後市の山陰海岸ジオパーク関係で郷村断層(小池地区)を視察。
山陰海岸ジオパークはこれまでに何度も視察していたが、昨日と今日の郷村断層は初めてだった。昭和2年3月7日に発生した丹後大地震の際に断層がずれた箇所が天然記念物として保全され、道路が大きく曲がったままになっていた。
丹後大地震は元京都府知事の林田悠紀夫先生を取材した際に「地震の時は風呂に入っていたが、驚いて風呂から飛び出した」とおっしゃっていたのを思い出した。
続いて、福知山市の中丹西土木事務所へ移動。
地域を守る河川管理の取り組みについて、平成16年、25年、26年、29年、30年など、この間、頻発してきた由良川の氾濫、内水被害等の対策状況を調査した。
奥野昌徳中丹広域振興局長、前川二郎福知山市副市長の挨拶の後、国交省福知山河川国道事務所、福知山市、京都府からそれぞれ説明を受けた。
説明の後の意見交換では国交省に対し「由良川の浚渫や河道掘削は毎年、定期定量的に行っているのか?住民の皆さんからは堆積土が相当溜まっていて計画流量が確保されておらず、支流への逆流、内水被害の拡大への懸念の声を多く聴く」と由良川(綾部~福知山)のさらなる浚渫を求めた。
それに対する国交省の説明では「素人目ではそう見えるかもしれないが、技術者的には河道の確保はできている」ということだったので、さらに「川砂利採取が禁止される前は年に30万立米ほどの川砂利を浚渫していたが、今は年に1万立米上げるか上げないか、それが40年以上経っていて、私が見ても明らかに由良川の堆積土は増えている。中洲が島、さらに大陸のようになっている。浚渫土の処分地不足で浚渫の必要があってもできずに堆積させているのではないかと思っている」と反論した。
その後、新しく京都府が整備した新荒賀排水機場を現地視察した。由良川の河川水位が上がって樋門を閉じた場合に、支流の弘法川があふれて内水被害を出すことを軽減するために整備された。
内水を由良川に排水するポンプ2基と東京ドーム2個分の大きな調節池が完成していた。
視察団はこの後、宇治市に向かわれたが、私は福知山で離脱していったん綾部に戻った。
事務所に戻ると「北陸新幹線敦賀以西ルート」に関して、いくつかのマスコミから取材の電話があった。
次は綾部駅13時56分発の特急で京都へ。16時からウェスティン京都都ホテルで、京都府食品衛生大会の交流会に出席した。
京都府食品衛生協会の会長は綾部市衛生協会の高橋辰夫会長が務めておられて、私は顧問をさせていただいている。
小西章副会長の挨拶の後、私が乾杯の発声をして、交流会が始まった。多くの方に声をかけていただき、和やかに懇親ができた。
帰りは綾部と舞鶴の役員さん方がバスで来ておられたのでそれに便乗させていただいて、途中のコンビニで買ったカップ酒などを飲みながら高橋会長らと共に綾部まで戻った。