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昨日、一昨日とF・スコット・フィッツジェラルド、上岡伸雄訳『ラスト・タイクーン』(作品社)を紹介したが、もう一か所どうしてもご紹介したいところがあり、本日のGetUpEnglishもこの作品から取り上げてみたい。
エピソード12の冒頭に、歳を取りつつある主人公の感慨が表現された、味わい深い描写がある。
As Stahr walked back from the commissary, a hand waved at him from an open roadster. From the heads showing over the back he recognized a young actor and his girl, and watched them disappear through the gate, already part of the summer twilight. Little by little he was losing the feel of such things, until it seemed that Minna had taken their poignancy with her; his apprehension of splendor was fading so that presently the luxury of eternal mourning would depart. A childish association of Minna with the material heavens made him, when he reached his office, order out his roadster for the first time this year. The big limousine seemed heavy with remembered conferences or exhausted sleep.
このhis apprehension of splendorについて、訳者上岡伸雄は「編訳者解説」で次のように述べている。
エピソード12の最初の段落、「華美なるものを味わう心」という一節があるが、これは元の原稿ではhis apprehension of splendorであり、訳すすれば「華美なものへの不安である。しかし、これでは意味が通らないと考えたウィルソンはapprehensionはappreciationの間違いであると推測し、そのように直した。それをケンブリッジ版は元に戻したわけだが、私もそれでは意味が通らないように思う。そこで、この部分はウィルソン版にしたがうことにした。
ウィルソンとはアメリカの著名は作家、批評家のEdmund Wilson(1895-1972)だ。フィッツジェラルドの畏友であったこの人物はフィッツジェラルドの手書き原稿とタイプ原稿、さらにはメモ書きなどを入手して、そこから取捨選択、編集する形で、『ラスト・タイクーン』を小説の形に整えて1941年にスクリブナーズ社から刊行したのだ。
訳者上岡伸雄はこのあたりの事情を十分に理解したうえで、フィッツジェラルドの遺稿を再現した版からの翻訳を仕上げている。
この訳者の語学力と文学に関する知識だからこそできることだ。
翻訳者として実に誠実な姿勢であるし、すべての翻訳者が見習うべきことである。
この部分、上岡はどう訳しているか? ぜひ作品社の上岡伸雄訳『ラスト・タイクーン』でご確認いただきたい。
なお、appreciationであるが、このように使われる。
○Practical Example
Finally, I feel that I cannot conclude my message without showing my intense appreciation for your work once again. Thank you very much for allowing me the opportunity to translate your tour de force. It was a great honor for me.
https://blog.goo.ne.jp/getupenglish/e/d85a02611a01e0c099a470b85b8d3db7
覚えておこう。
F・スコット・フィッツジェラルド
上岡伸雄編訳
本体2,800円
46判上製
ISBN978-4-86182-827-0
発行 2020.10
【内容】
ハリウッドで書かれたあまりにも早い遺作、著者の遺稿を再現した版からの初邦訳。映画界を舞台にした、初訳三作を含む短編四作品、西海岸から妻や娘、仲間たちに送った書簡二十四通を併録。最晩年のフィッツジェラルドを知る最良の一冊、日本オリジナル編集!
(…)本書に収めた「監督のお気に入り」、「最後のキス」、「体温」の三作など、フィッツジェラルドはハリウッドを舞台にした短編の執筆を試みている。これらは生前出版されなかったが、並行して一九三九年秋から長編『ラスト・タイクーン』を書き始め、短編で扱った素材を長編のほうに投入している。この久々の長編に対して彼がいかに情熱を傾けていたかも、手紙を通して伝わってくるだろう。なにしろ【あの:傍点】フィッツジェラルドが酒を断って取り組んでいたのだ。
本書は、このように手紙から彼のハリウッドでの生活をたどりつつ、その生活から生まれ出た作品を味わえるように構成されている。(「編訳者解説」より)
【内容目次】
ラスト・タイクーン
ハリウッド短編集
クレージー・サンデー
監督のお気に入り
最後のキス
体温
ハリウッドからの手紙
スコッティ・フィッツジェラルド宛 一九三七年七月
テッド・パラモア宛 一九三七年十月二十四日
ジョゼフ・マンキーウィッツ宛 一九三八年一月二十日
ハロルド・オーバー宛 一九三八年二月九日
デヴィッド・O・セルズニック宛 一九三九年一月十日
ケネス・リッタウアー宛 一九三九年九月二十九日
シーラ・グレアム宛 一九三九年十二月二日
マックスウェル・パーキンズ宛 一九四〇年五月二十日
ゼルダ・フィッツジェラルド宛 一九四〇年七月二十九日
ジェラルド&セアラ・マーフィ宛 一九四〇年夏
(ほか全24通)
編訳者解説
F・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald)
1896年生まれ。ヘミングウェイ、フォークナーらと並び、20世紀前半のアメリカ文学を代表する作家。1920年、24歳のときに『楽園のこちら側』でデビュー。若者の風俗を生々しく描いたこの小説がベストセラーとなって、若い世代の代弁者的存在となる。同年、ゼルダ・セイヤーと結婚。1922年、長編第二作『美しく呪われた人たち』を刊行。1925年には20世紀文学を代表する傑作『グレート・ギャツビー』を発表した。しかし、その後は派手な生活を維持するために短編小説を乱発し、才能を擦り減らしていく。1934年、10年近くをかけた長編『夜はやさし』を発表。こちらをフィッツジェラルドの最高傑作と評価する者も多いが、売り上げは伸びず、1930年代後半からはハリウッドでシナリオを書いて糊口をしのぐ。1940年、心臓発作で死去。享年44。翌年、遺作となった未完の長編小説『ラスト・タイクーン』(本書)が刊行された。
上岡伸雄(かみおか・のぶお)
1958年生まれ。アメリカ文学者、学習院大学教授。訳書に、アンドリュー・ショーン・グリア『レス』、ヴィエト・タン・ウェン『シンパサイザー』(以上早川書房)、F・スコット・フィッツジェラルド『美しく呪われた人たち』(作品社)、ジョージ・ソーンダーズ『リンカーンとさまよえる霊魂たち』(河出書房新社)、シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』(新潮文庫)などがある。著書、編書も多数。