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ゆるキャン△の聖地を行く25 その6  奈良田の里の温泉

2022年12月16日 | ゆるキャン△

 奈良田の里のゆるキャン聖地スポットは3ヶ所にあります。1ヶ所目は先に入った奈良田の里観光駐車場、2ヶ所目は奈良田の里温泉、3ヶ所目は鍵屋カフェです。上図は奈良田の里観光駐車場から奈良田の里温泉へ通じる一本道ですが、実際には奈良田集落内の唯一の幹線路でもあります。この道を各務原桜が進み、その後を志摩リンがひっそりと尾行していったのでした。

 

 道がカーブして折り返す突き当りに、奈良田の里温泉への石段がありました。ここも既視感がありました。

 

 劇中では、この場所で各務原桜と志摩リンが別れています。桜は温泉へ、リンは駐車場へ戻っています。温泉名も「奈良田湖温泉」に変わっていますが、あとはほぼ同じ描写です。

 

 同位置から、もと来た道を見ました。奈良田の里観光駐車場から緩やかに登ってくる道です。このアングルで別れた後の各務原桜と志摩リンの姿が描かれます。

 

 このシーンです。各務原桜はこのあと「奈良田湖温泉」に向かいますが、私も同じルートで石段を登りました。

 

 奈良田の里温泉は高台にあるので、奈良田湖北端の東側の集落が上図のように見下ろせます。

 

 石段の途中から南側を見ますと、御覧のように奈良田湖が見渡せます。原作コミック第7巻59ページ1コマ目の景色の左半分にあたります。広角レンズで撮らないと、右側の景色が入りません。

 

 石段を登りきると、上図のように奈良田の里温泉の建物が見えてきます。地域の庄屋階級の建物でもあったかと思うような立派な平屋造りの古民家ですが、どのような由緒があるのかは案内文も無くて分かりませんでした。

 ただ、もとの奈良田温泉の源泉は1956年の西山ダム建設によって奈良田湖に沈んでしまいましたので、1979年に源泉の復活を目指して掘削し、いまの温泉施設が誕生したということです。その際にこの古民家も移築して活用したのかもしれません。温泉そのものは町営ですので、この古民家建築も早川町の施設の一つになっています。

 

 アニメでもそのままの姿で登場しています。各務原桜はこの温泉を利用して「少しぬるめね」と評価しています。

 

 温泉自体はこの建物内にはなく、上図奥に見える湯屋のほうにあるそうです。今回は時間的に余裕が無かったので入浴利用はしませんでした。私は温泉に浸かると完全なリラックスモードに切り替わってしまってフニャーと溶けてしまう性質なので、これからもあちこち回らないといけない忙しい聖地巡礼中では、なかなか温泉利用には踏み切れません。また機会があれば、ゆっくりと時間をとってここに来たいものです。

 

 現地の案内板です。天平時代の霊湯伝承の事しか書かれていないので、現在の温泉施設の由来や古民家の建物の由緒については何も知ることが出来ませんでした。

 

 温泉の名称は「女帝の湯」です。女帝とは天平時代の孝謙天皇、重祚して称徳天皇のことですが、ここでは孝謙天皇と表記されていますので、天平宝字二年(758)に甥の大炊王に譲位するまでの期間にあたるのでしょうか。

 前掲の案内板によると、孝謙天皇はその天平宝字二年(758)五月に吉野を出発してここ奈良田を訪れたとあります。正史「続日本紀(しょくにほんぎ)」にはそのような記載はありませんが、同年の八月に大炊王に譲位する前の孝謙天皇の動向そのものも記載がなく不明ですので、ここ奈良田への行幸伝承は単なる伝承では無いのかもしれません。

 その前年の天平勝宝九年五月には、橘奈良麻呂らが孝謙天皇を廃して新帝を擁立しようとするクーデターが計画され、これを事前に察知した藤原仲麻呂が鎮圧する出来事がありました。事の発端は、孝謙天皇が父聖武上皇の遺詔「新田部親王の子である道祖王を皇太子とせよ」を無視し、自身の意向で道祖王を廃して、代わりに舎人親王の子の大炊王を新たな皇太子に据えるという、強引な更迭人事を行なったことでした。
 これに反発する勢力が橘奈良麻呂や大伴古麻呂でありましたが、そのクーデター計画は孝謙天皇に強い衝撃を与えたらしく、その後しばらくは政務を藤原仲麻呂が代行していたような形跡があります。少なくとも孝謙天皇の正確な動向は知られず、一説では平城京西郊の瑠璃宮に避難していたともされますが、確証はありません。

 なので、奈良田への行幸伝承の時期が、孝謙天皇の動向が殆ど知られない天平宝字二年(758)五月であるというのも示唆的です。先に訪れた湯島の大スギも天平期成立の伝承があり、途中で見かけた西山温泉の開湯伝承も白鳳時代に遡ることといい、何らかの動きが天平時代に現地にあったことを暗示しているように思います。現地の奈良田という地名そのものも奈良との関連を示しているのかもしれませんし、なかなかに興味深い伝承だと思います。  (続く)

 


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