8時55分、終点の修善寺駅に着きました。起点の三島から35分の列車旅でした。これで伊豆箱根鉄道の駿豆線も全線を乗り通したわけです。降車後に、乗ってきた列車を撮りました。
修善寺駅は、予想に反して真新しい建物でした。近年に新たに建て直されたもののようです。修善寺には鎌倉幕府二代将軍源頼家の墓所があり、関連の史跡や社寺も少なくないので、20代の頃から何度か訪れていますが、全てマイカーでしたので、修善寺駅に関しては前を通っただけでしたが、その頃の駅舎は今と違ってもっと小ぢんまりした姿であったように思います。
改札口からの駅舎内は、広い通路空間があって西口へ出ると上図の修善寺温泉郷の方角へと抜けます。マイカーで行った頃は狩野川西岸の国道414号線から入って、修善寺城跡(上図奥の左側の丘、畠山国清最後の抵抗拠点)の山を左に見ながら温泉街へ進むのが常でしたから、狩野川東岸の修善寺駅辺りにはあまり訪れた記憶がありません。
こちらは南口から出ての外観です。広いロータリー広場があり、東側にバスターミナルがあります。
同じ位置から東側を見ました。タクシーが待機しているロータリーの向こうがバスターミナルで、そこから伊豆半島各地への路線バス、連絡バスが出ています。全てが東海バスの運行路線であり、伊豆半島の殆どの観光地へ行けます。これから行くゆるキャン聖地スポットへも、東海バスを利用すれば全て行けます。
バスターミナルに移動して、バス案内所・乗車券売場でバスの時刻表を1枚貰い、これから行くゆるキャン聖地スポットへの経由路線を確認しました。案内所のお姉さんもゆるキャンの事はよく知っていて、「ファンの皆さんはみんな堂ヶ島へ行かれますねえ」と話していました。
私がこれから行くのが土肥金山、堂ヶ島、石廊崎だと伝えると、「土肥金山と堂ヶ島は同じ路線で4番乗り場(上図)から行けますけど、石廊崎へは下田からしか行けませんので」と言い、路線図を出してきて大体の行き方を教えてくれました。
4番乗り場に行ってバスの時刻表を見ました。私が乗るのは、主要バス停のみに停まる快速便で、東海バスのサイトでは「西海岸線」快速として案内されています。系統番号はW39で、終点は松崎、その次の便は、9時30分発でした。時計を見ると9時17分でしたので、あと13分か、と考えました。
横のパネルの路線図を見ました。右上の修善寺駅から左下の松崎まで延びる赤い路線が、私が乗る系統番号W39のそれでした。バス停の数が多いですが、そのうちの20ヶ所にしか停まりません。快速便ですが、距離も長いので、次の目的地の土肥金山までは50分かかります。
こちらは案内所の待合室の壁の大きな伊豆半島全域の路線概念図です。色が付いている路線が修善寺発の路線で、白いのが他ターミナルからの路線です。
これで見ると、ゆるキャンの聖地のうち天城峠、堂ヶ島、伊東方面へはここ修善寺から行けることが分かります。伊豆半島のゆるキャン聖地巡礼はこれまで二度行きましたが、一回目はマイカー、二回目はレンタカーでした。三回目の今回は公共交通機関利用となったわけですが、鉄道やバスでも殆どの聖地へ行けるのですから、楽と言えば楽だなあ、と気付きました。
こちらは伊豆半島エリアの東海バスの系統番号一覧です。伊豆半島全域を網羅しているだけあって、沢山の系統番号が並びます。しかし、私が乗るW39が見当たらなかったので、再度案内所のお姉さんに聞くと、「ああ、W39は快速便ですので別なんですよ、あの一覧表は全てのバス停に停まる便の一覧表ですのでねえ」と教えてくれました。
9時26分、私が乗るW39の松崎行き快速便がバスターミナル4番乗り場に入ってきました。快速便というから大型の観光バスみたいなのを予想していたのですが、普通に路線バスの車両でした。
乗り込みました。私の他に10人ほどが乗りましたが、ほぼ全員が私と同じ「全線フリーきっぷ」を運転手さんに提示していたので、やっぱり「全線フリーきっぷ」はけっこう利用されてるんだ、皆さんも快速便を利用して堂ヶ島とか松崎などの各地の主要観光地へ向かうのだろうな、と思いました。
9時30分に発車し、修善寺駅の西側の街区を抜けて狩野川に架かる修善寺橋を渡りました。南の右手には修善寺城跡の山が横たわってあおあおとした新緑に包まれていました。 (続く)