日々の恐怖 8月2日 クリニック(1)
ある晩秋、私は初めての子供を出産しました。
ところが不運にも病院に適当な空きベッドがないらしく、分娩室から直接、隣町の私立クリニックに搬送する、と言うのです。
もちろん差額などの自己負担はありません。
出産後でぼんやりして何も考えられなかった私は、力なく同意して救急車に揺られてそのクリニックに到着しました。
そのクリニックには初めて訪れたのですが、とても静かな場所でした。
土地はかなりのんびりした田舎の小さな町で、クリニックのすぐ裏手には山がありました。
山にはたくさんの栗の木が生い茂り、クリニックの庭にもたくさんの栗が生えていたのです。
私は1階の小さな個室をあてがわれました。
ベッドに横たわったまま窓の外を眺めると、そこからもたくさんの栗の木が見えました。
他にすることもないので、ぼうっとその栗の木々を眺めていると、ふと視界の隅で動くものがありました。
それはまるまると太った、赤茶色のリスでした。
私はふっと笑顔になり、こんな静かな所に搬送してもらえて、案外良かったのかもしれない、と思いました。
その静かなクリニックは、正規の値段で入ったら他の病院よりかなり高額であったと思います。
実際、私が出産をしたクリニックと比べても結構なお値段でした。
毎回の美味しい温かい食事に間食付きで、設備も新しく清潔で、全ての職員さんがとてもおおらかで親切でした。
遠方だったので実家の両親は来ず、夫だけが毎日私と赤ん坊に会いに来ました。
その夫がある時、
「 あれ、窓の外に人がいるよ。」
と言います。
「 リスでしょう?
きっと、栗の木のうちのどれかに住んでいるのよ。
私も見たよ。」
と私が言うと、
「 いや、もっと大きい子供みたいに見えたけどなぁ・・・。」
夫はそういって首を傾げます。
その時、私たちは全く気に留めませんでした。
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