「絶対音感」という言葉について一般の方が持つ イメージ・・・
「=音に対して絶対的な感覚がある」=だから良い演奏ができる、とか
歌がうまい、と思っている方が多いらしい
これはザックリ言うと間違い、というか勘違いです。
よく使われている「絶対音感」という言葉は、実は〇〇ヘルツに調律したピアノで、
ある音を弾いた時の音と一致した音が、楽器の助けなしでわかる、
というような意味です。演奏者全員がこれに限りなく近い感覚を持ち、
すべての楽器を気持ちを合わせて調弦し、演奏することができれば、
絶対音感に近い感覚の持ち主にとっては心地よい、というほどの意味ですね。
実際には、ピアノそのものが自然の音の連鎖を、便宜上いくつかに割って
1オクターブを決めて作ったものですから、厳密には自然界のゼッタイではありません。
奏者自体の感じ方も、楽器の調整も、その時その場の条件で微妙に変わるのと、
一つの音を出しても、それは「点」ではなくて、いくらか上下の余地があること、
(「ピッチが高い」とか「低い」とか)さらにそれを聴きとれるかどうかも
個人によって差があること・・・こういう諸条件の上に実際の生演奏が
成り立っているので、「絶対に正しい」音での演奏、というものは
存在するのかどうかわかりません。 一番大事なことは音と音との距離感、
とでも言いましょうか、その場でのみんなの条件の最高を突き合わせて、
調和を作り出すことでなので、もしかしたら、限りなく自然界の絶対音に近い
感覚の持ち主にとっては、すべては苦痛かもしれません。
付け加えるならば、その「音感」と、演奏や歌がうまいかどうか、
感動させるかどうか、もまったく別次元のことです。
先日、ご自分の贔屓のウィスキーについて熱弁をふるうあまり
「これとこれ以外はまったくダメだ!〇〇のウィスキーなんて
飲めたもんじゃない」なんて暴言を吐いた方がいらっしゃいましたが、
同じように、生きている人間の味覚にも「絶対味覚感」なんてありません。
何よりも、一つ一つが気合いを込めて、長い歴史と試行錯誤の果てに作り出された
ウィスキーなどという物に対して「これは良い、これはダメ」と断言できる不遜さを
思わず憎んでしまいます。 そんなの生きている人間一人一人の好みにすぎないのに
「絶対」なんて言い切る人がいたら、まずはすべてを疑ってもいいし、
気にしなくてもいいと思います。 お酒も音も人間も、ナマの現場で大事なことは
「距離感」。これがわからない人、自分の感覚と違いすぎる人とは、
「距離を置いて」お付き合いすればよろしいのでは?