もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

縄文の精神性と土偶を考える

2021年12月13日 | 科学

 「おじいちゃん」の絵が送られてきたことに触発された、素人の文化論である。

 似顔絵?は、2・3年前のそれに比べて確実なヒト型に変化し添え物さえも描かれており、世の常として、格段の進歩と喜んでいるが、果してどうだろうかと考えさせられる面がある。
 現在世界最古の絵画は、スペインのカスティージョ洞窟に描かれた手形と赤い丸模様であるが、絶滅したネアンデルタール人が遺したものとされる。ホモ・サピエンスでは、インドネシアのリアン・テドング洞窟で発見された4万5500年前のイボ猪とされているが、写実的で大きさも実物大であるらしい。有名なアルタミラ洞窟壁画は、旧石器時代(約18,000年~10,000年前)末期に描かれたとされており、野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物が高い写実で描かれている。
 絵画や彫刻の世界を眺めると、ピカソが1907年秋に描いた「アビニヨンの娘たち」以前はその多く(全て?)が写実であり、呪術祭具に僅かな誇張や省略が見られる程度である。これから考えられるのは、人類(ホモ・サピエンス)は、長い写実の時代を経て抽象表現に辿り着いたように思える。
 一方、土偶は世界的に見ても稀有な存在であるらしく、特に極端なまでにデフォルメされている日本の土偶は特別なものであるらしい。
 中学校社会科で4000年~2000前を縄文時代と教えられた記憶があるが、現在では一般的に1万6000~2000年前の時期を指すとされている。写実⇒抽象を辿るという世界の例や考古学的出土品を眺める限り、縄文人は写実を経ることなく一挙に抽象表現の世界に飛び込んだように思える。更には、土偶が樺太から沖縄に出土していることや情報(文化)の伝播速度を考えれば、デフォルメが局地の技能集団やピカソに依る物でなく、全国の縄文人が抽象表現を共有できる感性を持っていたようにも思える。
 そんな土偶が姿を消したのは弥生期とされるが、稲作の伝来(海外文化の移入)とは無縁ではないだろう。高い稲作文明による富を保証する渡来人(弥生人)との交流・混血が進み、後進的であっても情念豊かな縄文文化を否定することが進歩的とされて、何時しか抽象表現を理解・共有できる縄文人の精神・文明が失われた結果ではないだろうか。

 「おじいちゃん」の絵に戻ると、目で見る形よりも理解した「粗野なおじいちゃん」を描いていた孫が、いつしか形を描き、そうしなければ周りの理解が得られないことを知ったことが果たして進歩であろうかと考えざるを得ない。既に縄文人のミトコンドリアは残り少ないとされているので、演歌・浪花節価値観が消えゆくのは仕方のないことかもしれない。


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