玉城 デニー知事の「ゼレンスキー発言」が有った。
発言は、5月25日に県庁で開かれた基地問題に関する有識者会合の挨拶冒頭に行われたもので、発言直後に「冗談です」と打ち消したが、駐日ウクライナ特命全権大使から不快感を表明される等、大方の眉を顰めさせる結果となってしまった。更に、沖縄県が会議終了後に冒頭の雑談部分について報道を控えるよう各社に通知していた事が発覚したこともあって、県議会与党幹部からも「基地問題を話す会議の場で出る言葉か。今回はかばいようがない」と批判されている。
TV番組冒頭の「つかみ」として話題の人物に扮して登場することはビートたけし氏の十八番であるが、「彼のキャラクターを以って初めて成立するお約束」と認知・受け入れられているもので、政治家が、それも極めて重要なテーマで開かれる会合に相応しいものではない。
玉城デニー(本名:玉城康裕)氏のプロフィールには「元タレント」と記載されていることから、自分をコメディアン出身であるゼレンスキー大統領になぞらえるという底意があっての発言かとも思えるが、そもそもタレントとしての認知度が「月とスッポン」で、さらに、一部県民の意思を県民の総意と強弁する玉城氏と、真の総意に裏付けられた国民の自発を鼓舞して祖国防衛に挺身するゼレンスキー氏の存在を比べれば、「提灯と釣り鐘」以上に「0と∞」と表現することが適切に思える。
残念なことではあるが、日本と日本人にとってウクライナ事変は液晶画面の向こうで起きている出来事で、戦闘の長期化に伴って紙面に占める割合や活字の大きさは徐々に小さくなっている。
かってのベトナム戦争においても、局外者というよりもベトナム特需で潤っている日本で共産主義者を中核とした「べ平連」の活動が活発で、その主張は「ベトナムの地はベトナム人の手に」であったように思っているが、ベトナム戦争が終結して勝者北ベトナムからの報復・弾圧に晒された親米分子がボートピープルとなって難民化する人道問題に発展すると、「べ平連」は「我がこと成れり」と沈黙してしまった。
デニー知事の軽口、天然ガスと小麦の高騰に議論が集中している国会、貝殻島周辺でのコンブ漁解禁注視、等々を見ると、既に日本では、ウクライナ国民受難に対する紐帯よりも、台湾・尖閣のウクライナ化を論じるよりも、我が身の贅沢な糊口を守ることが唯一の目標になったように思える。
自由主義の本質を維持する真のウクライナ支援は、着なくなった衣類を大使館に送ることではなく、防護マスクを送ることでもなく、法律を改正して一発の銃弾を送ることであるように思う。
ウクライナの希求する先端兵器は持っていないのは残念であるが。
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