もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

コロナ禍で様変わり

2022年05月17日 | コロナ

 絵画グループ展が終了した。

 大方の個展やクラブの展示会では、受付に芳名帳を置いて来場者に姓名等の記帳をお願いする。コロナ禍以前の例では、記帳を拒む人が3割程度を占めていたように思うし、主催者も個人情報尊重の趣旨から無理強いすることはなかったが、今回の展示会では、会場を管理する市役所の使用許可条件に「クラスター対処のために入場者の身元確認と検温」が義務付けられていたため、記帳しない場合は入場を断ることとしていた。しかしながら、入場希望者の一部に電話番号のみ記入するケースはあったが入場を拒まなければならないケースはなく、主催者・入場者に感染者が出た場合の濃厚接触者を特定・追跡・連絡ができるだけの情報は確保できたと思っている。
 このことは、ワクチン接種の混乱で明らかになった、過剰な個人情報保護は社会の円滑な運営を阻害する以上に個人の利益すら損なう危険性があることを、朧気ではあるが国民の大多数が知ったことと無縁ではないように思える。閑話休題
 このような卑近な例以外でもコロナ禍は、直接的には防疫体制の不備、水際防御構築における縦割り行政の弊害、あまりにも慎重すぎる薬事行政の是非、マイナンバー活用の不備、マスク製造すら資源を集中できない法律、費用対効果中心に推進した広域医療体制の是非、等々数々の教訓を残してきた。また、間接的にも、物流・サプライチエーンが寸断されて経済活動がマヒする事態も起きた。

 ウクライナ事変では、憲法の緊急条項不備、あまりにも市民の被害が大きい専守防衛の限界、集団安全保障の必要性、非核3原則墨守の意義、等も浮き彫りとなった。
 コロナ禍の反省事項を含めて、現状における不備の全ては、国家百年を考えることを放棄し眼前の見せかけの平和に酔い、1円でも多く得たい拝金主義に陥った戦後教育世代が負うべきものと考える。
 こんなにも屋台骨の傾いた日本を、後世が有難がって受け継ぐとは思えない。
 坂本龍馬は、「日本を今一度、洗濯いたし申し候」と書いているが、現状を見ると令和維新は必要であるように思える。洗濯・改革を「火事場泥棒」と片付ける守旧派に顧慮することなく、改革を進めて欲しいものである。
 今こそ、守旧派の巨魁ショルツ首相に見切りをつけたドイツ国民を見習うべきと考えるが。


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