もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

自衛力最低限の程度と効果

2022年10月08日 | 防衛

 産経新聞で、岡田克也立民幹事長のインタビューを呼んだ。

 従前の立民の主張と特段に変わった点は無く、ウクライナ事変も立民の姿勢・主張には些かの変化も与えていないように思える。
 本日は、岡田氏も繰り返しておられる立民の主張「安保関連法の違憲部分の削除」に関して思うことを書いてみたい。
 立民の云う「違憲部分」とは、いったい何を指しているのだろうか。一般的には集団的自衛権に関する部分とされているが、自分は安保関連法の底流・骨幹は「日本がG7の一員として相応の責任を果たすために集団的自衛権体制に移行せざるを得ない」とするものであると考えているので、それらの削除・変更は安保関連法そのものを否定する主張であると思う。
 安倍政権以前に金科玉条とされていたのは専守防衛で、その意味するところは、武力の整備・保持は必要最低限、武力侵攻に対する武力行使・反撃も必要最低限であったと思う。しかしながら、定性的な必要最低限と云う概念も曖昧・千差万別で、千差万別の理念を定量的化する段階に至ると百論が噴出して、百論の妥協点(日本国民の好む”落としどころ”)の結果として整備された装備は、当然のことながら総花式に「少数ずつ整備」に陥って中途半端なものになってしまったと思っている。
 現在、尖閣水域に対する中国の武力侵攻が突発的に行われた場合における先島島嶼からの民間人の避退・輸送が話題となっている。当然のことながら、自衛隊が保有する輸送艦と輸送機では限りがあるとともに、それらは兵員・軍需品の輸送が優先されることもあって全島民の本土退避は不可能である。また、民間の船舶・航空機は運航者の安全確保が絶望的であることから、任務に応じる企業・人員はそう多くないと思っている。
 島嶼に取り残された人員の被害が明らかとなった場合の矛先はどこに向けられるだろうか。災害派遣で最小限の装備しか与えていない筈の自衛隊員に不眠・不休の最大限の活動を要求することから考えれば、必要最低限の装備しか与えなかった国民が自責と負うことなく、全て自衛隊の責任とするのは目に見えるように思う。

 国力から自衛隊が要求する全てに十分な装備を与えられないことは理解できるが、十分な装備を持たない軍では十分な成果が得られないことを国民は理解しなければならないと思う。不足した能力の代償が例え市民の犠牲であっても許容することを覚悟した専守防衛であれば致し方が無いと思うが、金も出さず・友邦との相互保障(支援)も不要とする立民の専守防衛論は、世界の勢力均衡が激変した現在では極めて危険であるように思える。
 第二次大戦時、フランスで孤立した40万の英軍を本土に撤収輸送したダンケルク戦(ダイナモ作戦)では、民間商船・漁船・ヨットまでも政府の要請に応じて危険を冒して協力したとされているが、先島島民撤退作戦が発動された場合にあって日本国民は如何様に行動するのだろうか。


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