遠隔地に住む孫娘(小1)から、勤労感謝の日のプレゼントが届いた。
完全リタイヤから15年近くも経過しているために戸惑いはあるものの、誇らしげな漢字の署名に目を細めている。
思えば、給料が口座振込となって以来、家族から勤労と給与について感謝された覚えが殆どない。加えて、この時期は海上自衛隊演習の後始末に忙殺されることもあって、休日出勤となることも多かった。
勤労感謝の日であるが、帝国憲法下にあっては「新嘗祭」で、天皇陛下が臣民とともに皇祖に対して五穀の収穫を報告して感謝を奉げる日であったと聞いている。改めて、新嘗祭が勤労感謝の日になった経緯を調べると、憲法改正に伴って旧憲法下に制定された新嘗祭を始めとする皇室由来の祝日がGHQによって廃止され、昭和23年成立の「国民の祝日に関する法律(祝日法)」で新嘗祭に該当する11月23日を勤労感謝の日と制定したと理解している。
祝日法によると、勤労感謝の日の意義は「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とされているので、例え専業主婦であっても亭主の勤労にのみ感謝する日ではない。その意味から云えば、亭主が感謝されないことは当然で愚妻は法律の趣旨・精神に極めて忠実であったことになる。
感謝とは、対象があって初めて成立する語句と思うが、祝日法が「国民互いに感謝しあう」と規定したのは、11月23日を残すためにキリスト教社会の「感謝祭」を思わせることでGHQを納得させる苦肉の策であったのだろうが、字面から祝日の意義を読み取れないネーミングは、戦後の混乱期とは言え独立を機に改正しなければならなかったもののひとつであるように思う。
新嘗祭の他にも帝国憲法化の皇統・皇室に由来する祝日が名を変えて受け継がれている例も多い。紀元節は建国記念の日に、春・秋皇霊祭は春・分の日に、明治節が文化の日に、と挙げられる。明治節を残すために新憲法公布日を11月3日にしたという穿った見方は別にしても、現行の祝日は「それなりに名は体を表している」が、新嘗祭⇒勤労感謝の日だけは、木に竹を継いだ感が否めない。「お互いに感謝しあう」と聞けば、浪曲師の東家浦太郎(?)が得意とした「壺坂霊験記」の冒頭♬妻は夫をいたわりつつ 夫は妻に慕いつつ♬的に聞こえて、鼻白む思いがする。
Wikipediaによると、新嘗祭の歴史は古く、「日本書記」には既に飛鳥時代には行ったと記述されている。
壺坂霊験記冒頭は現在にもフィットし、斯くなければならない心構えではあろうが、11月23日を残すならば「食の日」とか「五穀感謝の日」として、既に廃れたとはいえ5月1日のメーデーを勤労感謝の日に指定するのはどうだろうか。
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