もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

IR法と博打に思う

2018年07月21日 | 歴史

 統合型リゾート施設(IR)実施法が成立した。

 種々の審査・許認可を経て2020年には、日本にもカジノが開業するものと見られている。また、厚労省から男性の平均寿命が81.09歳(女性87.26歳)とも発表されたことから、自分が日本版カジノの灯を見ることは微妙な現状に置かれていることも実感した。女性の最古の職業が売春であったとはよく語られる都市伝説であるが、人類の最古の嗜好は「博打」であり、古代から、その日手にすることができた少ない獲物や木の実を何とか増やそうとする試みをしていたのではないだろうかと考えるものである。当然のことながら採取や狩猟にも巧拙があるために、古代から富の不均衡(貧富)は生じたであろうし、弱者が平均以上の分配を得るためには必然的に博打の手段に辿り着くと思われる。この様に考えれば、社会の富の配分から置き去りにされた自分が、ギャンブル好きであることは必然であるのかもしれない。ギャンブルに於ける”あるある”では、貧者が勝てるのは最初の博打場で一瞬博打の神様が微笑むビギナーズラックだけであり、以後は持てる者や胴元に完敗の連続となる。小泉純一郎氏は「郵政選挙で圧勝できたのは運だけである」と述べているそうであるが、「強きを助け弱きを挫く」運の神様が手を差し伸べるのは強者にのみである。自分には運が無いからこそ社会的弱者に甘んじているのであり、一発逆転を狙う博打にも運が無いだろうことは重々承知しているが、万に一つの僥倖を信じて今日も生きている。

 IR法に関連して、ギャンブル依存症にも対策が採られているらしいがマッチポンプの気がしないでもない。持てるものは優雅に勝ち、その日の糧に喘ぐ貧者はなけなしの生活費を貢ぐ。貧乏人はカジノには近寄ってはならない、缶コーヒー1本程度の賭けに興ずるべきであると自戒しつつニュースを見ている。


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