過日、絵画クラブの送別会を行った。
クラブに入会して10年、その間に何人かの退会者があったが、送別会で送ることができたのは2回目である。
今回の退会者は矍鑠に過ごされてはいるものの運転免許返納などで来会することが不自由になったためであったが、これまでの退会者の多くは重篤な病を得た方、それも数回の欠席の後の問い合わせに対して家族の方から「亡くなりました」との連絡を受けたケースが多い。
昔、佐渡送りとなった囚人は水替え人足として暗く換気の悪い坑道での排水作業に従事したために、刑期を終えて島を出ることは絶望的で25歳を赤飯で祝ったとされるが、我々のクラブも「生きて退会する」まして「送別会で送られる名誉?」は稀有のようで、赤飯に値するものである。
さて、自分はどのように退会するのだろうかを考えると「とんと、実感を持てない」。徐々に痴呆が進行した場合には、軽度のうちは「まだ大丈夫」と活動に参加し続けるだろうし、更に進行すれば「クラブに加入している」ことすら忘れて、退会手続きなどしないだろう。重篤な病を得た時には右往左往で、退会手続きなど思い出す余裕もないだろう。そうなれば、退会の意思表示などは妻に負うことになるだろうが、妻とても諸事に多忙となるであろうから、会長さんからの安否問い合わせに「みまかりました」でお終いという光景が目に浮かぶ。
企業・団体・自営業などからの引退に関しては、不慮・不測の場合を除いて自分の意思で行動・処理するという通念が社会責任として求められるが、本人の意思もあやふやな老人の趣味活動では前述の様な「自然退会」が一般的で、まさに「老兵は消えゆくのみ」と静かに去ることになるのだろうか。
これまで、送別会で送られたことも多いが、人生最後の送別会である通夜・葬式の前に、今一度、送別会の栄に浴したいものである。
他人事でなく読ませていただきました。
昨年免許返納して以来、遠出ができなくなりました。杖をついて歩いていますが、信号機の青が渡りきらない前に赤になりますので、困ったものです。
退会するべきものはすでに完了し、あとはお迎えを待つだけです。自分がどんな終り方をするのか、興味津々の日々です。
自分も複雑な気持ちで、先輩を送りました。
終活が推奨されていますが、なかなかに自分の幕引きの決意ができないままに、終活を先送りして生を終えることになるのではと危惧しています。
これが執着・煩悩なのでしょうか。