公立の泰明小学校での標準服(以下、制服)改正が話題を呼んでいる。
採用された制服が有名ブランド(アルマーニ)で、総額では従来の平均的な制服の2倍強にあたる1式8万円に及ぶことから賛否が取り沙汰されている。制服は、個人の組織への帰属意識を高め、組織が要求する機能(難燃性や運動性)を共有することにより作業の安全性や効率を高めるためにあるとともに、警察や軍隊のように制服で存在を明らかにすることにより国民に安心感を与えるという視覚効果も重要な意味を持つと思う。それ故に制服は一般的に組織から貸与又は供与することが一般的である。翻って公立小学校の制服については、経済格差や少子化が顕著となり裕福な家庭の児童の服装が華美となった1970年代以降、前記の要因を度外視して教育の場に大人の見栄とエゴに起因する服装格差を持ち込ませないことを主眼に導入されたものと思う。しかしながら、今回の泰明小学校の意図するところは、銀座という立地環境に相応しく(銀座ブランド化)して児童の帰属意識を高めることだと、導入を決めた校長が述べている。これは私立や義務教育以降の学校の理念と同じであり、教育の機会均等(貧者の子女でも臆することなく学校へ行ける。)を第1義とする義務教育の理念とはかけ離れているものと思う。銀座という地域に住む父兄のすべてが、給食費の未納などは別世界の出来事と思う富裕層であったとしても行き過ぎ、と思うのは制服はないものの皆の服装が貧しかった時代に育った世代の時代錯誤の所感だろうか。
服装、特に男子の服装はチ〇コが隠せれば十分と常々から考えており、華美・高価・奇抜な服装には嫌悪感すら感じる老人の繰り言として、服装による他者への優越感を小学生時から持たせるかもしれない今回の事象は、軟弱な成人の育成にしか繋がらないと思うのだが。
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