立憲民主党の奥野総一郎衆院議員の迷言が波紋を広げている。
奥野議員は、憲法記念日の3日に開かれた、憲法改正に反対する集会で「ロシアよりも許せないのが、今の与党であります。このどさくさまぎれに、ウクライナの問題をダシにして、改憲に突き進もうというその姿勢を、私は許すわけにはいかない。まさにどさくさまぎれに改憲を試みよう・国民をだまそうとしている」と発言したとされている。
その後、奥野議員は生出演したTV番組で発言を撤回したとされているが、将に「なにをか云わんや」の思いである。
9日にもウクライナに対して宣戦布告する可能性が高いとされるロシアの愚挙と一国の改憲論議を同列視する国際感覚・政治感覚は、どこから生まれるのだろうか。
奥野議員と云えば、東大法学部卒の学歴を有し衆院憲法審査会では野党筆頭幹事を務める「我々とは出来の違う法学の権威者」であろうが、「憲法を順守すべき国会議員が改憲発議することはできない」等、小学生レベルの迷言でおなじみであるが、アジテータとしても未熟であるように思える。
はっきりしているのは、奥野議員が憲法改正論議の経緯について無知であろうことである。1947(昭和22)年に新憲法が発布された3年後の1950(昭和25)年、政府がGHQの要請を受けて警察予備隊を創設した際に改憲議論は始まっている。さらに、2年後の1952年に警察力の補完とされていた警察予備隊を連合軍を補完するための保安隊に改編された際には、「憲法の戦力不保持」を採るか「憲法を改正して再軍備を採るか」で世論が沸き立ったことは当時小学生であった自分でも記憶しているほど国論を2分する大論争に発展した。当時は自由党対社会党という保革伯仲の時代であり、収拾に苦慮した吉田内閣が採った「保安隊は戦力に当らない」との苦肉答弁が、今日まで受け継がれている。
このことを考えれば、新憲法の年齢≒改憲論議の経過年であり、現行憲法の意義と限界を考えず、改憲に目を閉じ・耳を塞いでいたのは奥野議員自身に他ならない。今、ウクライナ情勢によって国民が緊張感を持ったという側面はあるにせよ、個別自衛権では狂国に対処できないとともに、領土内を戦場とせざるを得ない専守防衛では一般市民の損害(死者)が大きいことに危機感を持った国民に、対応策を議論・提示することは政治家の使命であり、条文論議よりも国民投票法の取り扱いが先という退嬰的な先送りでは済まされないように思う。
奥野議員が『我々には平和憲法があるので武力侵攻は起こりません。万が一そのような事態になっても「南無平和憲法墨守」とのお題目を唱えれば、敵の弾は当たりません』とでも演説すれば、鰯の頭の例えからも信じる人はいるかもしれないが。如何に。
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