定期的に集まっている高校クラス会のマドンナから、所属する合唱会の定期演奏会に誘われた。
自分は難聴で、それも30代後半から常時耳の中でディーゼルエンジンやガスタービンエンジンが回っているために聴力は低下しており、特に一般人の可聴域とされる20~2万Hzのうち2000~5000Hzにおいては極めて低下している。自衛隊在職時の聴力検査でも聴力不足と診断されていたものの治療法も無いために放置していたが、加齢による聴力低下も加わってしまった。
耳鳴りの原因については「多分これだろう」というものはあるものの、仄聞するところでは難聴の原因を特定することはできないとされているらしい。
現在、自衛艦の機関室にはヘッドセット型のイヤーマフが常備されて機関員には騒音下での装着が義務付けられているが、かってはトイレットペーパを丸めて耳の穴に詰めての自己防御しかなかった。加えて、緊急時など一時的に機関室に飛び込む機関士などにはその余裕もなく、無防備で過ごすのが一般的であった。
自分が思い当たるのも、このような状況下での出来事に由来しているので職業病や公務災害に近いものと思っているが、軍医殿からも因果関係を認めることはできないだろうと一蹴されて今日に至っている。
そのために、耳鳴りに勝る大音量が常であるミュージシャンのコンサートには何とか付いて行けるものの、ピアニッシモ表現が多いシンフォニーについては耳に聞こえてこない部分が多いし、か細いピッコロの独奏になると全く認識できない。
このような状態ではと、冒頭のお誘いを泣く泣く・かつ丁重にお断りしてマドンナとの邂逅もあきらめざるを得なかったが、実は、難聴以上にメロディーからイメージを膨らませるという能力・情操が全くないことの方が大きい。
音楽は、社会生活の中で他人とのコミュニケーションを維持するための必須事項ではないものの幾ばくかの知識は必要であるために雑学として持ってはいるものの、これは「音楽」ではなく「音学」に過ぎないと思っている。かっても書いたことであるが、宴席で音楽を熱く語る艦長に、「音楽なんぞ所詮、原始人のコミュニケーションツールに過ぎない」と云い放って「お前には音楽が判っとらん」と酷評されたことがある。
後天的な難聴を予防することに加え、「生活に潤いを与えてくれる」とされる音楽に対しては、演奏の天賦の才は無理としても聴くことができる情操は養っておくことが必要であると、今更に反省している。
耳鼻科で耳にボツボツと空気のようなものを送り込まれるという治療をして、その瞬間は多少良くなるものの、すぐに元の木阿弥で、夜はYouTubeで飛行機の爆音を骨伝導ヘッドフォンで聴きながら眠りについています。
私の対処法のひとつに、ハンディ掃除機の吹き出し部分を耳に当てると、少しの間楽になります。
また、入浴時にシャワーを耳にかけると、良くなることが多いので、水が耳の中に入らないように注意しながら試してみてください。
YouTubeで耳鳴り治療用の音も数々出ているのでお試しを。
変わらぬご訪問と貴重な対処法を有難うございます。
耳鳴り期間も50年近くなりますと、既に生活の一部とあきらめておりましたが、お教えて頂いた治療・改善の方法を試してみようと思います。