そのⅥ 七夕
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る
額田王に袖を振っているのは大海人皇子です。二人はかって夫婦でした。
子ももうけています。が、その時には額田王は兄の中大兄皇子(天智天皇)の
夫人でした。
大海人皇子(天武天皇)は返歌を詠んでいます。
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも
弘嗣が太刀を翳したのも、仲麻呂が盗み見したのも、阿部への求愛だったに
違いありません。
やがて皇太子になり、天皇にも成ろうという阿部に恋も結婚も無縁のもので
した。女性が未婚のまま皇太子に、そして天皇になったら、夫も子も持てなか
ったのです。
薬狩りの翌天平九年(737)、未曾有の災禍が平城を襲った。
太宰府を訪れた新羅使者が持ち込んだと思える赤疱瘡が大流行したのです。
平城で暮らす衆生を始め、公家達も次々に犯されて行きました。
4月、参議藤原房前(57・参議)が薨去。
7月、藤原麻呂(43・参議)と藤原武智麻呂(58・右大臣)が薨去。
8月、藤原宇合(44・参議)が薨去。
なんと、権勢を欲しいままにしていた、藤原四兄弟の全てが死んだのです。
赤疱瘡は宮城の中までは侵入して来ませんでした。
東宮御所の回廊で、愛菜が皇太子に縋り付いて哀訴しています。
「お願いで御座います。母が赤疱瘡に犯されました」
「この東宮に居れば安全です。嵐の中にあなたを放り出す分けにはいきませ
ぬ」
歩き出す皇太子を追って更に縋る愛菜、その顔は涙でグシャグシャになって
います。
由利が駆けつけて愛菜を抱きしめます。
「愛菜、梓の大将が東征中ですが、兄の内弓殿が館にいるでは有りませんか」
鳴き崩れる愛菜を抱き起こし、耳元で囁く由利。
「殿下はあなたが可愛いから、その身を案じているのですよ」
立ち止まる皇太子、愛菜と、抱きしめている由利を見詰めた。
「高家には、母上の施薬院から人を走らせました。眞備に命じて、李密翳(ラ
ームヤール)も向かわせて治療に当たらせます。彼の物は赤疱瘡に精通してい
るそうです。皇居に疫病が入って来ないのは、李密翳の処置が正しいからで
す」
皇太子はその場で正座して、平城の街の方を望んで合掌しました。
「私たちが出来るのは、ただこうして祈って仏に縋るだけです」
皇太子を中心として、一団の采女と女孺が合掌し、瞑想して経を唱えた。
方々から僧侶達の読経の唱名が聞こえて来た。
この時、平城では、宮城でも市街でも、あらゆる寺院から疫病退散と死者を
弔う読経が漂っていた。
梓の夫人は高志の薫子といい、行基の姪に当たりました。高梓の高家は高志
から分かれた家でしたから、梓自身も行基と遠縁に当たっています。
薫子は幼い時に痲疹を患い、顔に目立つ程のあばたが有ったため、梓との結
婚式に現れたのは妹の文子だった。
梓は幼い日々をこの姉妹と過ごした為、妹文子の夢も知っていた。文子は伯
父行基の元で出家する事を強く望んでいた。
更に、梓は姿容だけでなく心の美しい姉薫子を愛していたので、文子との婚
儀を白紙にして薫子と夫婦となった。
その薫子が病室で赤疱瘡で臥せっていた。
「内弓、そこからは入っては成りませぬ」
内弓は、病室に続く廊下に座っていたが。母の弱々しくも強い言葉で膝を膝
を進める事が出来なかった。
「この家には、わたくしの他にも沢山の病人が居ります」
侍女が粥と薬湯を持って薫子の傍らに侍り、助けて半身を起こさせて、匙で
粥をすすらせた。
薫子は皆吐きだしてしまった。
次ぎに薬湯を飲ませようとする侍女を薫子が制止した。
薫子が内弓を見詰めた。
「母上、どうかわたくしと共に興福寺の施薬院か生駒仙坊に行って下さい」
「内弓、わたくしにそんな力は残って居ません」
内弓は目を疑った、美しかった母の顔が、痘痕と疱瘡の区別がつかない程膿
疱で酷くなっていた。
「生駒仙坊の叔母、春光尼(文子)を頼りなさい。お薬や食べ物を貰って来なさ
い」
「母上・・・」
無理に微笑む薫子。
「わたくしは、あなたが帰るまで死にませぬ」
薫子は心の中で生きたいと望んでいた。夫梓の凱旋を、女孺となった愛菜に
一目で良いから会いたいと切望していた。
「だから早く行きなさい」
「はい、母上」
内弓は涙を拭いながら立ち上がった。
馬を三条大路に走らせると、まるで地獄さながらの様相だった。
方々の寺院から読経が轟き、あちらこちらから荼毘の炎が上がっていた。
この時代、土葬が政令で定められていたが、赤疱瘡の蔓延を防ぐために死人
を火葬にしているのだ。
日本で最初の火葬は奇しくも行基の師・道昭であった。西暦七百年、七十二
才で亡くなった道昭の遺志で荼毘に付された。行基も義淵もそれを見ていた。
三条大路の道端に病沢山の人が倒れ、多数の死人が転がっていた。
その地獄絵図の中で、行基教団の僧侶達が、十人程が一隊となって走り回っ
ていた。
「生で物を食べては成らぬぞ! 薬は生駒仙坊と施薬院の物の他は服用しては
いけません」
僧侶達は口々に叫んでいた。
二人の僧侶が薬と韮や葱を満載した荷車を引いていた。
「韮と葱で粥を作って病人に食べさせよ! 薬湯も水で飲ませては成らぬ!」
人々が次々とその荷車に走り寄って、食物と薬を受け取って、また走り去っ
た。
もう一つの荷車は二人が引き、一人が押していた。
その荷車は筵で覆われていたが、その筵が大きく膨らんでいた。
馬を走らせながら、内弓はその筵の荷車を凝視した。筵から人の手足が飛び
出していたからだ。
数人の僧侶が一人の女性を抱えて、内弓の行方を遮った。
「お願いが御座ります。この人はまだ生きています。どうか生駒仙坊まで運ん
で下さい」
「丁度行くところです。承知致しました」
内弓の返事を待たぬ内に、僧侶達は内弓の背中に女を括り付けていた。
それを確認した内弓は馬に一鞭入れ、生駒仙坊へと急いだ。
背中の女は呟くように囁き続けていた。
なれると、ようやく内弓に分かった。
「あなた、やっと迎えに来て呉れたのね、アアーッ嬉しい」
女は内弓を、多分死んだ夫と間違えているのだ。
女が内弓を背後から抱きしめた。その剥き出しの腕から疱の膿が破れて吹き
出していた。背中にも膿が入り込んでいた。ヌルヌルとして気持ちが悪かっ
た。
生駒仙坊に内弓が駆け込むと、数人の僧侶が走り寄って背中の女を下ろし
た。
女が背中から下ろされた内弓は、落馬同然にして地べたに倒れ込んだ。
建屋から荷物を背負った春光尼が出て来て内弓を見下ろした。
「わたしはこれからあなたの館に参ります」
春光尼に馬が引かれてきた。
「今頃は医の心得の有る三人の僧侶がついている頃です」
内弓が自分の馬に乗ろうとすると、
「あなたは後から来なさい。赤疱瘡は膿から感染します。早く湯殿に行って、
全身を拭い、薬湯を飲んでから、衣服を新しい物に着替えてから来るのです」
「分かりました。母と家人を頼みます」
春光尼はもう馬上の人となって走り去っていた。
湯殿では老沙弥が待っていて内弓の身体に熱湯をかけ、丹念に拭って呉れ
た。
「傷は無いじゃろうな、病巣は傷を好む」
「はい、何処にも傷は負っておりませぬ。有り難う御座います。赤疱瘡はいっ
たい何時になったら収まるのでしよう」
「誰にも分かりはせぬ。神でも仏でも分からぬ事は有るものじゃ」
老沙弥は内弓に薬湯を渡した。
「極めて苦いが、良く効くぞ、全て飲み干すのだ」
言われた通りに飲み干す内弓、余りの苦さに咳き込んだ。
老沙弥が一かさねの衣服を持ってきて内弓に手渡した。
急いで袖を通す内弓、着替えた時には、あの老沙弥は姿を消していた。
内弓は会った事が無かったが、彼のお人こそが行基禅師であった。
内弓が館に駆けつけた時には既に母は息を引き取っていた。
数日後、梓が東夷から凱旋した。
赤疱瘡は藤原氏に取って恐ろしい災禍でありました。
藤原氏を除きたいと思っていた、時の政庁の首座、橘諸兄にとって千載一遇
の機会が訪れたのですが。思惑は悉く外れてしまいました。
藤原氏の二世達は、仲麻呂と豊成の元で益々結束を固め、更なる権力を集
め、兵力も強固なものに成りました。
藤原氏では式家の弘嗣だけは仲麻呂達と袂を分かちました。
赤疱瘡の猛威が収まった平城は、嵐の過ぎた秋空のように穏やかで、澄み渡
っていました。
東宮の瓢箪池で、阿部はこの年の吉野行脚を思い出していました。
國栖(くにす)らが 春菜摘むらむ 司馬(しま)の野の
しばし君を 思ふこのころ
阿部は、赤疱瘡の災害が更なる災禍の先触れのような気がして成らないので
す。心の休まる時はありません。
阿倍の心配を他所に、良きことが続きました。
姉の井上内親王の白壁王への降嫁が決まったようです。
年末には、玄昉の祈祷と李密翳の煎薬が効き目を現し、皇太夫人(藤原宮古)
が鬱病を克服して聖武天皇と親子の対面を果たしました。
年が明けて、天平十年一月十三日、阿部は晴れて皇太子と成りました。
この年の七月七日、天皇は大蔵の省に出御して相撲を御覧になった。
相撲節会の優勝者は、弘嗣お抱えの巨漢力士が仲麻呂お抱えの長身力士を突
き飛ばして圧勝した。
天皇はその場で力士を褒め、絁を五疋給えた。
力士は弘嗣の方を見ると、躊躇無くその絁を謹んで皇太子に捧げた。
絁などの粗く粗末な絹を皇太子が付ける筈も無かったが、阿部はこの贈り物
を大層お喜びになった。
夕方、西池宮に場所を移して七夕を祭る事と成った。
「人は皆それぞれのこころを持ち、好む所はおなじではない」
と、御殿の前の梅の木を指さして仰った。
「朕は、去年の春からこの梅の木を観察して、良き詩を作りたいと願ったが、
未だに出来なかった。そこで今夜は、梅や桜や七夕に因んだ詩を皆で愉しみた
いと思う」
聖武天皇はそこに集う公達を一人一人見回して、早く詠えと促している。
眞備が膝を進めて申し上げた。
「臣(やっこ)眞備が申し上げます。先年身罷った山上憶良と赤疱瘡に倒れた人
々を偲んで一首」
春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ
諸兄が天皇の御前に膝を進めて一首詠んだ。
天の川 いと川波は 立たねども さもらひかたし 近きこの瀬を
更に、公家たちが膝を進め、それぞれに詠った。
秋の野に 咲きたる花を 指折り、かき数ふれば、七種の花
天の川 浮津の波音、騒くなり 我が待つ君し 舟出すらしも
この場の誰もが万葉屈指の歌人山上憶良を偲んだ。
「眞備、なにやら湿っぽくなって、やるせない。趣向を変えよ」
「はい、臣は美しい七夕の詩を知っております」
「なにじゃ?」
「二星(じせい)に御座りまする」
「良きかな。これへ篳篥と笙を持て」
篳篥が聖武に、笙が光明子に渡された。
この時、皇太子と井上内親王がそっと席をたって、奥に消えた。
「朕が、即興で曲をつけよう」
篳篥と笙を構える天皇と皇后。
「おそれながら、一つ足りませぬ」
「竜笛であろう」
「はい、この場に竜笛の名手を呼んでも構いませぬか」
「許す」
「お許しが出たぞ、鼓吹司高内弓」
呼び上げると直ぐに、竜笛を持った若者が姿を現した。
「中衛府の大将高梓の長子で御座います」
「そうか、内弓とやら近う寄れ」
内弓は天皇の少し前で傅いた。
「それでは朕の声が聞こえぬ。もっと寄れ」
内弓は眞備を振り返って伺いを立てている。
眞備が大きく頷いた。
正面に向き直ると、皇后が優しく微笑んでいた。
内弓が膝を進めると、三人で曲想を打ち合わせ始めた。
舞台下手に立った眞備が皆に呼びかけた。
「だれか、この老人を助けてくれる方はおらぬか」
弘嗣と仲麻呂が立ち上がって眞備の左右に立ち、睨み合った。
三人は舞台に正座をして、天皇達の楽の音を待った。
采女の由利は、何故か篝火の向こうを見詰め続けていた。佐伯五郎が護衛の
為に居る筈だったからだ。
皇后の笙が厳かに、帳の降りた西池宮に降り注いだ。
胡蝶の出で立ちの二人の舞姫が舞台に現れた。胡蝶の羽根の代わりに長い領
巾を肩にかけていた。
彦星の皇太子が上手から、織姫の井上が下手から舞ながら中央に向かい、七
夕の逢瀬を果たそうとしていた。
篳篥が地上に鳴り渡り、竜笛が天と地の間を彷徨うが如く啼いていた。
眞備が低い声で朗唱した。
二星、たまたま逢えり、未だ別諸依依の怨みを叙べざるに
弘嗣と仲麻呂が、高く澄み渡る声で二の句を継いだ。
五夜まさに明けんとす、頻りに涼風颯々の声に驚く
阿部彦星と井上織姫が、天の川で再会を果たし、優雅な舞で喜びをあらわし
ていた。
この時、この場所だけで、阿倍皇太子にも、井上斎宮にも、眞備、弘嗣、五
郎にも、管弦を奏する両陛下にも華厳の世界が実現していた。
2017年3月19日 GoROU
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る
額田王に袖を振っているのは大海人皇子です。二人はかって夫婦でした。
子ももうけています。が、その時には額田王は兄の中大兄皇子(天智天皇)の
夫人でした。
大海人皇子(天武天皇)は返歌を詠んでいます。
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも
弘嗣が太刀を翳したのも、仲麻呂が盗み見したのも、阿部への求愛だったに
違いありません。
やがて皇太子になり、天皇にも成ろうという阿部に恋も結婚も無縁のもので
した。女性が未婚のまま皇太子に、そして天皇になったら、夫も子も持てなか
ったのです。
薬狩りの翌天平九年(737)、未曾有の災禍が平城を襲った。
太宰府を訪れた新羅使者が持ち込んだと思える赤疱瘡が大流行したのです。
平城で暮らす衆生を始め、公家達も次々に犯されて行きました。
4月、参議藤原房前(57・参議)が薨去。
7月、藤原麻呂(43・参議)と藤原武智麻呂(58・右大臣)が薨去。
8月、藤原宇合(44・参議)が薨去。
なんと、権勢を欲しいままにしていた、藤原四兄弟の全てが死んだのです。
赤疱瘡は宮城の中までは侵入して来ませんでした。
東宮御所の回廊で、愛菜が皇太子に縋り付いて哀訴しています。
「お願いで御座います。母が赤疱瘡に犯されました」
「この東宮に居れば安全です。嵐の中にあなたを放り出す分けにはいきませ
ぬ」
歩き出す皇太子を追って更に縋る愛菜、その顔は涙でグシャグシャになって
います。
由利が駆けつけて愛菜を抱きしめます。
「愛菜、梓の大将が東征中ですが、兄の内弓殿が館にいるでは有りませんか」
鳴き崩れる愛菜を抱き起こし、耳元で囁く由利。
「殿下はあなたが可愛いから、その身を案じているのですよ」
立ち止まる皇太子、愛菜と、抱きしめている由利を見詰めた。
「高家には、母上の施薬院から人を走らせました。眞備に命じて、李密翳(ラ
ームヤール)も向かわせて治療に当たらせます。彼の物は赤疱瘡に精通してい
るそうです。皇居に疫病が入って来ないのは、李密翳の処置が正しいからで
す」
皇太子はその場で正座して、平城の街の方を望んで合掌しました。
「私たちが出来るのは、ただこうして祈って仏に縋るだけです」
皇太子を中心として、一団の采女と女孺が合掌し、瞑想して経を唱えた。
方々から僧侶達の読経の唱名が聞こえて来た。
この時、平城では、宮城でも市街でも、あらゆる寺院から疫病退散と死者を
弔う読経が漂っていた。
梓の夫人は高志の薫子といい、行基の姪に当たりました。高梓の高家は高志
から分かれた家でしたから、梓自身も行基と遠縁に当たっています。
薫子は幼い時に痲疹を患い、顔に目立つ程のあばたが有ったため、梓との結
婚式に現れたのは妹の文子だった。
梓は幼い日々をこの姉妹と過ごした為、妹文子の夢も知っていた。文子は伯
父行基の元で出家する事を強く望んでいた。
更に、梓は姿容だけでなく心の美しい姉薫子を愛していたので、文子との婚
儀を白紙にして薫子と夫婦となった。
その薫子が病室で赤疱瘡で臥せっていた。
「内弓、そこからは入っては成りませぬ」
内弓は、病室に続く廊下に座っていたが。母の弱々しくも強い言葉で膝を膝
を進める事が出来なかった。
「この家には、わたくしの他にも沢山の病人が居ります」
侍女が粥と薬湯を持って薫子の傍らに侍り、助けて半身を起こさせて、匙で
粥をすすらせた。
薫子は皆吐きだしてしまった。
次ぎに薬湯を飲ませようとする侍女を薫子が制止した。
薫子が内弓を見詰めた。
「母上、どうかわたくしと共に興福寺の施薬院か生駒仙坊に行って下さい」
「内弓、わたくしにそんな力は残って居ません」
内弓は目を疑った、美しかった母の顔が、痘痕と疱瘡の区別がつかない程膿
疱で酷くなっていた。
「生駒仙坊の叔母、春光尼(文子)を頼りなさい。お薬や食べ物を貰って来なさ
い」
「母上・・・」
無理に微笑む薫子。
「わたくしは、あなたが帰るまで死にませぬ」
薫子は心の中で生きたいと望んでいた。夫梓の凱旋を、女孺となった愛菜に
一目で良いから会いたいと切望していた。
「だから早く行きなさい」
「はい、母上」
内弓は涙を拭いながら立ち上がった。
馬を三条大路に走らせると、まるで地獄さながらの様相だった。
方々の寺院から読経が轟き、あちらこちらから荼毘の炎が上がっていた。
この時代、土葬が政令で定められていたが、赤疱瘡の蔓延を防ぐために死人
を火葬にしているのだ。
日本で最初の火葬は奇しくも行基の師・道昭であった。西暦七百年、七十二
才で亡くなった道昭の遺志で荼毘に付された。行基も義淵もそれを見ていた。
三条大路の道端に病沢山の人が倒れ、多数の死人が転がっていた。
その地獄絵図の中で、行基教団の僧侶達が、十人程が一隊となって走り回っ
ていた。
「生で物を食べては成らぬぞ! 薬は生駒仙坊と施薬院の物の他は服用しては
いけません」
僧侶達は口々に叫んでいた。
二人の僧侶が薬と韮や葱を満載した荷車を引いていた。
「韮と葱で粥を作って病人に食べさせよ! 薬湯も水で飲ませては成らぬ!」
人々が次々とその荷車に走り寄って、食物と薬を受け取って、また走り去っ
た。
もう一つの荷車は二人が引き、一人が押していた。
その荷車は筵で覆われていたが、その筵が大きく膨らんでいた。
馬を走らせながら、内弓はその筵の荷車を凝視した。筵から人の手足が飛び
出していたからだ。
数人の僧侶が一人の女性を抱えて、内弓の行方を遮った。
「お願いが御座ります。この人はまだ生きています。どうか生駒仙坊まで運ん
で下さい」
「丁度行くところです。承知致しました」
内弓の返事を待たぬ内に、僧侶達は内弓の背中に女を括り付けていた。
それを確認した内弓は馬に一鞭入れ、生駒仙坊へと急いだ。
背中の女は呟くように囁き続けていた。
なれると、ようやく内弓に分かった。
「あなた、やっと迎えに来て呉れたのね、アアーッ嬉しい」
女は内弓を、多分死んだ夫と間違えているのだ。
女が内弓を背後から抱きしめた。その剥き出しの腕から疱の膿が破れて吹き
出していた。背中にも膿が入り込んでいた。ヌルヌルとして気持ちが悪かっ
た。
生駒仙坊に内弓が駆け込むと、数人の僧侶が走り寄って背中の女を下ろし
た。
女が背中から下ろされた内弓は、落馬同然にして地べたに倒れ込んだ。
建屋から荷物を背負った春光尼が出て来て内弓を見下ろした。
「わたしはこれからあなたの館に参ります」
春光尼に馬が引かれてきた。
「今頃は医の心得の有る三人の僧侶がついている頃です」
内弓が自分の馬に乗ろうとすると、
「あなたは後から来なさい。赤疱瘡は膿から感染します。早く湯殿に行って、
全身を拭い、薬湯を飲んでから、衣服を新しい物に着替えてから来るのです」
「分かりました。母と家人を頼みます」
春光尼はもう馬上の人となって走り去っていた。
湯殿では老沙弥が待っていて内弓の身体に熱湯をかけ、丹念に拭って呉れ
た。
「傷は無いじゃろうな、病巣は傷を好む」
「はい、何処にも傷は負っておりませぬ。有り難う御座います。赤疱瘡はいっ
たい何時になったら収まるのでしよう」
「誰にも分かりはせぬ。神でも仏でも分からぬ事は有るものじゃ」
老沙弥は内弓に薬湯を渡した。
「極めて苦いが、良く効くぞ、全て飲み干すのだ」
言われた通りに飲み干す内弓、余りの苦さに咳き込んだ。
老沙弥が一かさねの衣服を持ってきて内弓に手渡した。
急いで袖を通す内弓、着替えた時には、あの老沙弥は姿を消していた。
内弓は会った事が無かったが、彼のお人こそが行基禅師であった。
内弓が館に駆けつけた時には既に母は息を引き取っていた。
数日後、梓が東夷から凱旋した。
赤疱瘡は藤原氏に取って恐ろしい災禍でありました。
藤原氏を除きたいと思っていた、時の政庁の首座、橘諸兄にとって千載一遇
の機会が訪れたのですが。思惑は悉く外れてしまいました。
藤原氏の二世達は、仲麻呂と豊成の元で益々結束を固め、更なる権力を集
め、兵力も強固なものに成りました。
藤原氏では式家の弘嗣だけは仲麻呂達と袂を分かちました。
赤疱瘡の猛威が収まった平城は、嵐の過ぎた秋空のように穏やかで、澄み渡
っていました。
東宮の瓢箪池で、阿部はこの年の吉野行脚を思い出していました。
國栖(くにす)らが 春菜摘むらむ 司馬(しま)の野の
しばし君を 思ふこのころ
阿部は、赤疱瘡の災害が更なる災禍の先触れのような気がして成らないので
す。心の休まる時はありません。
阿倍の心配を他所に、良きことが続きました。
姉の井上内親王の白壁王への降嫁が決まったようです。
年末には、玄昉の祈祷と李密翳の煎薬が効き目を現し、皇太夫人(藤原宮古)
が鬱病を克服して聖武天皇と親子の対面を果たしました。
年が明けて、天平十年一月十三日、阿部は晴れて皇太子と成りました。
この年の七月七日、天皇は大蔵の省に出御して相撲を御覧になった。
相撲節会の優勝者は、弘嗣お抱えの巨漢力士が仲麻呂お抱えの長身力士を突
き飛ばして圧勝した。
天皇はその場で力士を褒め、絁を五疋給えた。
力士は弘嗣の方を見ると、躊躇無くその絁を謹んで皇太子に捧げた。
絁などの粗く粗末な絹を皇太子が付ける筈も無かったが、阿部はこの贈り物
を大層お喜びになった。
夕方、西池宮に場所を移して七夕を祭る事と成った。
「人は皆それぞれのこころを持ち、好む所はおなじではない」
と、御殿の前の梅の木を指さして仰った。
「朕は、去年の春からこの梅の木を観察して、良き詩を作りたいと願ったが、
未だに出来なかった。そこで今夜は、梅や桜や七夕に因んだ詩を皆で愉しみた
いと思う」
聖武天皇はそこに集う公達を一人一人見回して、早く詠えと促している。
眞備が膝を進めて申し上げた。
「臣(やっこ)眞備が申し上げます。先年身罷った山上憶良と赤疱瘡に倒れた人
々を偲んで一首」
春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ
諸兄が天皇の御前に膝を進めて一首詠んだ。
天の川 いと川波は 立たねども さもらひかたし 近きこの瀬を
更に、公家たちが膝を進め、それぞれに詠った。
秋の野に 咲きたる花を 指折り、かき数ふれば、七種の花
天の川 浮津の波音、騒くなり 我が待つ君し 舟出すらしも
この場の誰もが万葉屈指の歌人山上憶良を偲んだ。
「眞備、なにやら湿っぽくなって、やるせない。趣向を変えよ」
「はい、臣は美しい七夕の詩を知っております」
「なにじゃ?」
「二星(じせい)に御座りまする」
「良きかな。これへ篳篥と笙を持て」
篳篥が聖武に、笙が光明子に渡された。
この時、皇太子と井上内親王がそっと席をたって、奥に消えた。
「朕が、即興で曲をつけよう」
篳篥と笙を構える天皇と皇后。
「おそれながら、一つ足りませぬ」
「竜笛であろう」
「はい、この場に竜笛の名手を呼んでも構いませぬか」
「許す」
「お許しが出たぞ、鼓吹司高内弓」
呼び上げると直ぐに、竜笛を持った若者が姿を現した。
「中衛府の大将高梓の長子で御座います」
「そうか、内弓とやら近う寄れ」
内弓は天皇の少し前で傅いた。
「それでは朕の声が聞こえぬ。もっと寄れ」
内弓は眞備を振り返って伺いを立てている。
眞備が大きく頷いた。
正面に向き直ると、皇后が優しく微笑んでいた。
内弓が膝を進めると、三人で曲想を打ち合わせ始めた。
舞台下手に立った眞備が皆に呼びかけた。
「だれか、この老人を助けてくれる方はおらぬか」
弘嗣と仲麻呂が立ち上がって眞備の左右に立ち、睨み合った。
三人は舞台に正座をして、天皇達の楽の音を待った。
采女の由利は、何故か篝火の向こうを見詰め続けていた。佐伯五郎が護衛の
為に居る筈だったからだ。
皇后の笙が厳かに、帳の降りた西池宮に降り注いだ。
胡蝶の出で立ちの二人の舞姫が舞台に現れた。胡蝶の羽根の代わりに長い領
巾を肩にかけていた。
彦星の皇太子が上手から、織姫の井上が下手から舞ながら中央に向かい、七
夕の逢瀬を果たそうとしていた。
篳篥が地上に鳴り渡り、竜笛が天と地の間を彷徨うが如く啼いていた。
眞備が低い声で朗唱した。
二星、たまたま逢えり、未だ別諸依依の怨みを叙べざるに
弘嗣と仲麻呂が、高く澄み渡る声で二の句を継いだ。
五夜まさに明けんとす、頻りに涼風颯々の声に驚く
阿部彦星と井上織姫が、天の川で再会を果たし、優雅な舞で喜びをあらわし
ていた。
この時、この場所だけで、阿倍皇太子にも、井上斎宮にも、眞備、弘嗣、五
郎にも、管弦を奏する両陛下にも華厳の世界が実現していた。
2017年3月19日 GoROU