そのⅩⅥ ときは今
光秀は京都御馬揃えの前年には、丹波、丹後国を平定し34万石を領する大大
名に成っていた。
光秀の戦振りと言うのは調略を主とする物で、城を囲んで果敢に攻めたり、
平原で決戦するなどというのは、どちらかというと苦手としていた。現に何度
か敗戦の憂き目に遭った。
それでも信長は光秀を使い続けた。光秀の粘り強い戦振りを高く評価してい
たからだ。
信長が信頼していた軍団長は秀吉と光秀の二人であった。
天正10年(1582年)、信長の天下布武は大詰めを迎えていた。
秀吉は毛利攻めに粗目途を立てていたが、あえて信長に援軍を哀訴してき
た。猿と呼ばれた秀吉一流の処世術である。
5月、徳川家康饗応役だった光秀は任務を解かれ、羽柴秀吉の毛利征伐の支
援を命ぜられた。
「日向、毛利征伐の荷担にあたり、丹波・丹後の所領は没収致す。余も直ぐに
参るゆえ、猿と心を合わせて余の到着を待て、一気に毛利を屠り、その勢いで
お前は九州を攻めよ。九州は攻め取り次第である。二百万石も夢ではないぞ」
その月の末、愛宕山五坊の一つである威徳院で、明智光秀、連歌師・里村紹
巴、威徳院住職・行祐らによって百韻が詠まれた。後に愛宕百韻として知ら
れ、光秀研究の要とも言われる連歌の会であった。
発句は光秀。
「ときは今 あまが下なる 五月かな」
行祐が二の句で受けた。
「水上まさる庭の夏山」
さらに、里村紹巴が三の句へと継いだ。
「花落つる池の流れをせきとめて」
光秀が時と詠んだのか、土岐と詠んだのか、未だに謎である。
土岐と詠んだなら、土岐源氏の光秀が平氏の信長を討って、朝廷から征夷大
将軍を拝命される。という意味に成る。
二の句と三の句で、二人共苦境を推し量って光秀を励ましている様にも受け
取れます。
挙句で、光秀の長子光慶がこう詠んだ。
「国々は 猶のどかなるころ(国々がのどかに治まる太平の世をもたらしてく
ださい)」
此の頃には光秀の決意は固まっていたのか、晴れやかな笑顔で一同を見回し
た。
6月2日早朝、光秀軍団は播磨に向けて出陣する。
その途上の亀山城内で全軍に下知が下された。
「我らは、毛利討伐で無く、堺の徳川家康を討てとの上様よりの急使が来た。
敵は堺に有り」
明智の武将達の意気は余り上がらない、家康討伐の真意が図りかねたのだ。
だが、一部の重臣達には光秀の本心が明かされていた。
赤揃いの騎馬隊三百にも、隊長火によって知らされていた。本能寺の信長を討つ
事を。
皆、武田家の仇を討つと息巻いていた。
そこへ、火が合流した。
今日の火は、甲冑姿では無く、青苧の縮れ織りで編まれた真紅の忍び衣装
に、結い上げた髪を、紅い鉢金をキリリと巻き、胸には漆塗りの金箔で編まれ
た鎖帷子が、煌めいていた。
三姉妹はこの日は、忍び衣装で挑むと決めていた。
「なんじゃ、葬列のようではないか。者ども我に続け! ウオーッ!」
速駆ける火、一党は隊長に続き、鬨の声を上げた。
「ウオーッ!」
殿を進んでいた赤揃いの騎馬隊が、瞬く間に全軍の先頭に躍り出ていた。
その頃には、騎馬隊の意気が明智軍の将兵に行き渡り、行軍は弾みを増し
た。
申の刻( 午後3時)を回った時、丹波屋に信長が寄越した籠が着いた。
芳一を本能寺に迎える為だ。
盲目の琵琶法師の盛名は信長の知るところと成り、今宵琵琶語りの宴が本能
寺境内で開かれる事と成った。
ヨシとヨシコが芳一の両脇を支え、林が引き継いで籠に導いた。
母と娘は籠が見えなく成るまで佇み続けた。
「お母様、酔芙蓉の花があの様に色づいてまいりましたわ」
娘の視線の先を見る母、確かに朝よりもその花びらは赤みが差増していた。
希望なのか哀しみなのか分からなかった。
茶室に入って正座するヨシ。
ヨシコも母の前に正座をした。
「お茶を点てましょうか? お母様」
「いいえ、あなたにお話が有ります。誰にも聞かれないように茶室にしたので
す」
「そんなに怖い顔をして。なぁにお母様」
「ヨシ、あなたは光晴様をどうお思い?」
「愛おしく思うております」
「あなたがどんなに慕っても、一緒にはなれませぬぞ」
「辨えております。わたくしはいっかいの夫人でも構いません」
「正室はおろか夫人にも成れませぬ」
「お母様何故で御座います?」
ヨシコの顔は衝撃で青ざめ、眼には涙が給って、今にも零れてきそうだ。
「嘘! ごしようだから嘘と仰って下さい。余りにも惨う御座います」
大きく顔を左右に振るヨシ。
それを見て、ヨシコは膝を崩して泣き崩れてしまった。
ヨシも又項垂れ、零れてくる涙を懸命に堪えた。
母は、娘の思うがままに泣かせた後、優しく声を掛けた。
「顔をお上げなさい」
顔を上げるヨシコ、涙でくしゃくしゃに成っていた。
「涙を拭きなさい。そして母の話に耳を傾けるのです」
懐紙で涙を拭い、もう何を聞いても驚かぬ覚悟の眼差しを母に向けた。
「先ほどお見送りした、あの法師殿は、・・・」
言いかけて声を詰まらせるヨシ。
「あの琵琶法師殿は、・・・あなたの上の兄、わたくしの長男です」
「ええっ! 嘘! でしょう?」
驚かぬ決意が不意になった。
「産みの母がなんで我が子を見誤りましょう」
「あのお方が、眼が見えないのはわたくしに、その眼を下さったからで御座い
ましょうか?」
「或いは? 優しい思いやりの有る子でしたから」
「ああっ、何故今に成って言うのですか? いっそ、口を閉ざして呉れれば良
いのに」
「あなたと共に、哀しみを分かち合う為です。あの二人は、修羅場と成る本能
寺に行ったのです」
ヨシは二人の無事を祈り手を合わせて神仏に縋った。
ヨシコは狂ったのか? 藻掻き苦しんで、狭い茶室を転げ回った。
青苧の衣が解けて花が散り、長い帯が大蛇の如く、か細い腰を締め上げた。
「あなたは、光晴が生きて戻ったら、正室にも夫人にも成れぬが、明智家を影
に日向に支えるも良し。芳一が無事で戻ったら、法師の眼となって生きるも良
し」
ヨシコが、大蛇の鎌首を掴んで、よろよろと立ち上がり、涙の涸れ果てた眼
で、恨めしそうに母を見詰めた。
「お母様は、どう為さるのです?」
「わたくしの心は固まっております。芳一の眼となって、諸国を行脚する所
存」
「ああ、ああ、わたくしはどうすれば良いのでしよう? 兄とは言え愛おしき
方のお側で生きるか? わたくしに眼を下さった優しいお兄様の眼となって、
万分の一でもご恩をかえすのか?」
ヨシコは、哀しみの余り、大蛇に飲み込まれて、気を失ったて倒れ込んだ。
2017年2月26日 Gorou
光秀は京都御馬揃えの前年には、丹波、丹後国を平定し34万石を領する大大
名に成っていた。
光秀の戦振りと言うのは調略を主とする物で、城を囲んで果敢に攻めたり、
平原で決戦するなどというのは、どちらかというと苦手としていた。現に何度
か敗戦の憂き目に遭った。
それでも信長は光秀を使い続けた。光秀の粘り強い戦振りを高く評価してい
たからだ。
信長が信頼していた軍団長は秀吉と光秀の二人であった。
天正10年(1582年)、信長の天下布武は大詰めを迎えていた。
秀吉は毛利攻めに粗目途を立てていたが、あえて信長に援軍を哀訴してき
た。猿と呼ばれた秀吉一流の処世術である。
5月、徳川家康饗応役だった光秀は任務を解かれ、羽柴秀吉の毛利征伐の支
援を命ぜられた。
「日向、毛利征伐の荷担にあたり、丹波・丹後の所領は没収致す。余も直ぐに
参るゆえ、猿と心を合わせて余の到着を待て、一気に毛利を屠り、その勢いで
お前は九州を攻めよ。九州は攻め取り次第である。二百万石も夢ではないぞ」
その月の末、愛宕山五坊の一つである威徳院で、明智光秀、連歌師・里村紹
巴、威徳院住職・行祐らによって百韻が詠まれた。後に愛宕百韻として知ら
れ、光秀研究の要とも言われる連歌の会であった。
発句は光秀。
「ときは今 あまが下なる 五月かな」
行祐が二の句で受けた。
「水上まさる庭の夏山」
さらに、里村紹巴が三の句へと継いだ。
「花落つる池の流れをせきとめて」
光秀が時と詠んだのか、土岐と詠んだのか、未だに謎である。
土岐と詠んだなら、土岐源氏の光秀が平氏の信長を討って、朝廷から征夷大
将軍を拝命される。という意味に成る。
二の句と三の句で、二人共苦境を推し量って光秀を励ましている様にも受け
取れます。
挙句で、光秀の長子光慶がこう詠んだ。
「国々は 猶のどかなるころ(国々がのどかに治まる太平の世をもたらしてく
ださい)」
此の頃には光秀の決意は固まっていたのか、晴れやかな笑顔で一同を見回し
た。
6月2日早朝、光秀軍団は播磨に向けて出陣する。
その途上の亀山城内で全軍に下知が下された。
「我らは、毛利討伐で無く、堺の徳川家康を討てとの上様よりの急使が来た。
敵は堺に有り」
明智の武将達の意気は余り上がらない、家康討伐の真意が図りかねたのだ。
だが、一部の重臣達には光秀の本心が明かされていた。
赤揃いの騎馬隊三百にも、隊長火によって知らされていた。本能寺の信長を討つ
事を。
皆、武田家の仇を討つと息巻いていた。
そこへ、火が合流した。
今日の火は、甲冑姿では無く、青苧の縮れ織りで編まれた真紅の忍び衣装
に、結い上げた髪を、紅い鉢金をキリリと巻き、胸には漆塗りの金箔で編まれ
た鎖帷子が、煌めいていた。
三姉妹はこの日は、忍び衣装で挑むと決めていた。
「なんじゃ、葬列のようではないか。者ども我に続け! ウオーッ!」
速駆ける火、一党は隊長に続き、鬨の声を上げた。
「ウオーッ!」
殿を進んでいた赤揃いの騎馬隊が、瞬く間に全軍の先頭に躍り出ていた。
その頃には、騎馬隊の意気が明智軍の将兵に行き渡り、行軍は弾みを増し
た。
申の刻( 午後3時)を回った時、丹波屋に信長が寄越した籠が着いた。
芳一を本能寺に迎える為だ。
盲目の琵琶法師の盛名は信長の知るところと成り、今宵琵琶語りの宴が本能
寺境内で開かれる事と成った。
ヨシとヨシコが芳一の両脇を支え、林が引き継いで籠に導いた。
母と娘は籠が見えなく成るまで佇み続けた。
「お母様、酔芙蓉の花があの様に色づいてまいりましたわ」
娘の視線の先を見る母、確かに朝よりもその花びらは赤みが差増していた。
希望なのか哀しみなのか分からなかった。
茶室に入って正座するヨシ。
ヨシコも母の前に正座をした。
「お茶を点てましょうか? お母様」
「いいえ、あなたにお話が有ります。誰にも聞かれないように茶室にしたので
す」
「そんなに怖い顔をして。なぁにお母様」
「ヨシ、あなたは光晴様をどうお思い?」
「愛おしく思うております」
「あなたがどんなに慕っても、一緒にはなれませぬぞ」
「辨えております。わたくしはいっかいの夫人でも構いません」
「正室はおろか夫人にも成れませぬ」
「お母様何故で御座います?」
ヨシコの顔は衝撃で青ざめ、眼には涙が給って、今にも零れてきそうだ。
「嘘! ごしようだから嘘と仰って下さい。余りにも惨う御座います」
大きく顔を左右に振るヨシ。
それを見て、ヨシコは膝を崩して泣き崩れてしまった。
ヨシも又項垂れ、零れてくる涙を懸命に堪えた。
母は、娘の思うがままに泣かせた後、優しく声を掛けた。
「顔をお上げなさい」
顔を上げるヨシコ、涙でくしゃくしゃに成っていた。
「涙を拭きなさい。そして母の話に耳を傾けるのです」
懐紙で涙を拭い、もう何を聞いても驚かぬ覚悟の眼差しを母に向けた。
「先ほどお見送りした、あの法師殿は、・・・」
言いかけて声を詰まらせるヨシ。
「あの琵琶法師殿は、・・・あなたの上の兄、わたくしの長男です」
「ええっ! 嘘! でしょう?」
驚かぬ決意が不意になった。
「産みの母がなんで我が子を見誤りましょう」
「あのお方が、眼が見えないのはわたくしに、その眼を下さったからで御座い
ましょうか?」
「或いは? 優しい思いやりの有る子でしたから」
「ああっ、何故今に成って言うのですか? いっそ、口を閉ざして呉れれば良
いのに」
「あなたと共に、哀しみを分かち合う為です。あの二人は、修羅場と成る本能
寺に行ったのです」
ヨシは二人の無事を祈り手を合わせて神仏に縋った。
ヨシコは狂ったのか? 藻掻き苦しんで、狭い茶室を転げ回った。
青苧の衣が解けて花が散り、長い帯が大蛇の如く、か細い腰を締め上げた。
「あなたは、光晴が生きて戻ったら、正室にも夫人にも成れぬが、明智家を影
に日向に支えるも良し。芳一が無事で戻ったら、法師の眼となって生きるも良
し」
ヨシコが、大蛇の鎌首を掴んで、よろよろと立ち上がり、涙の涸れ果てた眼
で、恨めしそうに母を見詰めた。
「お母様は、どう為さるのです?」
「わたくしの心は固まっております。芳一の眼となって、諸国を行脚する所
存」
「ああ、ああ、わたくしはどうすれば良いのでしよう? 兄とは言え愛おしき
方のお側で生きるか? わたくしに眼を下さった優しいお兄様の眼となって、
万分の一でもご恩をかえすのか?」
ヨシコは、哀しみの余り、大蛇に飲み込まれて、気を失ったて倒れ込んだ。
2017年2月26日 Gorou
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