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前略 初夏様…‼︎

2016-05-11 | 諸行無常…let it be





この版画をプレゼントしてくれた、留学生が帰国しました。

名前とアドレスもらったのを、どっかに、おいちゃって…m(__)m

大捜索中です‼︎

もう間も無く、お礼のメールしま~す。

すみません‼︎

(^_^;)




GWも、終わり、さあ、いよいよ夏です。

熊本の余震は、いっこうに治る様子もなく、つい数ヶ月前までの、穏やかな日常が、1日も早く訪れることを、ただ、願うばかりです。



九州は、これから、夏に向かいます。

そして、東京でも。

吹く風は、南から湿り気を運び、木々の葉っぱは、それを全身で浴びながら、より濃い緑になっていきます。

風に向かって、大きく深呼吸をします。

湿り気を帯びた風の匂い、木々の濃い緑の臭いが、僕を遠い日の、懐かしいあの場所へ、僕を導きます。

それが、僕の夏のイントロです。


これから、数ヶ月置きに、帰省することとなりそうです。

もちろん僕は、とんぼ返りです。

姉と交代で、父のいる施設への顔出しと、空き家となっている実家の、換気をするためです。

今までは、何かあれば、ご近所にお願いしてたのですが、みんな高齢者となり、そう無理なお願いも、できなくなりました。

ここにもまた、社会高齢化の、目に見える、日常がありました。

一方で、以前と比べて、格段に飛行機チケットが安くなった、便利社会の、お陰もあります。

宮崎も本当に近くなりました。

道路状況にもよりますが、熊本経由を、考えています。

僕の実家は熊本寄りなので、熊本空港からの方が近いからです。

恐らく、そう遠くない近未来、ドローンが進化して、タクシーは、空を飛ぶようになるでしょう。



これからの時代は、間違いなく地方分散です。

ネット言う文明が、情報&伝達を無料化したことで、格段に時間と距離を縮めました。

どんな山奥で暮らそうと、NYも、Londonも、東京も、Calcuttaも、Nairobiも、Cape Townも、São Pauloも、Moskvaとも、同時進行で情報交換できる、そんな時代がやってきました。

そして、暮らしの幅も、大きく広がりました。

僕は、それを最大限利用した生活は、出来ないものかと、考えます。

越冬を考えると、北の国からは、現実的に、不可能だけど、越冬可能な、"南の国から"ならば、ドラマの世界ではなく、生き方の1つとしても、現実味を帯びてきました。

一昔前の、ヒッピーとか、自然回帰的な、そんなものではありません。

文明を取り入れた、温故知新です。



生きてきただけ、多くの別れをも経験することで、"生きるとは⁇"を考えるようになります。

普段の自分と、意識交換することが多くなります。

そして、自分を見つめ、自分だけの、心の聖地への巡礼に、思いを寄せるようになります。

みんな、それぞれに、心の聖地があります。

僕は、たまたま、九州の田舎者だから、僕の聖地がそこにあるように、新宿のど真ん中の生まれの人は、そこが聖地です。

老いの、最も大きな苦は、若い日の自分を、はっきりと、覚えていることです。

そして、今の自分と、どう向き合うのかを、考えるようになります。

自分の人生に与えられた時間を、どう潔く、受け入れ、自分のために、どう意義あるものとできるだろう。

人生、明るく、楽しく、気持ちよく…とは、そう言う事だと思います。


国や政治の脅し文句など信用しないで、これから高齢者に向かう人は、その立ち位置に、立つべきです。


尊敬や、憧れとする、人物は、人それぞれだから、強制はしませんが^_^;…

僕は、立花隆さんや、荒木経惟さんの人生観や生き方を、最も尊敬し、憧れています。

彼等は、作家であり、芸術家です。

しかし、凡人の僕に、生きるヒントを与えてくれました。

正しい高齢者の、正しい生き様の、模範例として、このお二人を、ぜひ、チェックして頂きたいです。

何より、勇気と力が湧いてきます。




老後問題を、格差社会だ、限られた人だけが…と、馬鹿の一つ覚えで、物理的な側面だけで、老後の不安を決めつける風潮に、疑問も持たず、ただステレオタイプに乗っかる高齢者は、すぐボケるタイプです。

これだけは、間違いないです。

以前、老人介護を2年やって、僕が目撃した、終末論は"心の格差を、どうして誰も、語ろうとはしないのか"でした。



生きるために、死んだふり。

死ぬために、生きてるふり。

いったい誰が啓蒙するのか、ほとんどの高齢者が、そう
洗脳されているように見えました。

もったいないなぁと、思いました。


これからは、ますます、高齢者の様々な事例が取り沙汰されるようになるでしょう。

すると、必然的に、生きる権利や、死ぬ権利についても、深く語られるようになるでしょう。


確かに、この国では、高齢社会は、初めての経験であり、アジアでは、高齢者問題、一番乗りです。

だから、現実味を帯びなければ、政治も行政も、手探りでしかないことも事実だと思います。

しかしながら、国家単位で言えば、この手探りが、数十年後の、日本の莫大な収入源になることも事実です。


日本の高齢社会が、やがて、徐々に解消し、正常な人口ピラミッドに戻ろうとする頃、アジア諸国では、深刻な高齢者問題と直面する時代を迎えています。


中国では、億単位の高齢者の介護問題を迎えているはずです。

数十年後、日本は、手探りで得た、知識と技術で、アジア諸国の、高齢者ビジネスを独占し、大儲けしていることでしょう。

国家なんてそんなものです。

自然災害でも、人工的な災害でも同じです。

災害の規模が大きければ、大きいだけ、"風が吹けば桶屋が儲かる"、国家単位では、そんな、仕組みが、ちゃんと出来上がっていることは、忘れてはいけません。

だから、僕らは、国の未来を憂うより、自分の、たった一度の楽しい人生だけを、考えれば良いのです。

自分の心が、幸せだと、他人の心も、幸せにできます。

自分の心に優しい時は、みんなにも、優しい人になれます。

だからまず、自分が、いつも、ハッピーでいることです。



僕らが直面するのは、今からと、これから、です。

ちょうど、乱気流に突入する飛行機みたいなものです。

高齢社会日本は、しばらくは、社会が、紆余曲折しそうです。

すでに、日本の至る場所では、高齢社会が始まって、社会の歪みや隙間が、日常的な社会問題として、多く取り沙汰されるようになりました。

本来ならば、こんな時代にこそ期待するのが、社会に大きな影響力を持つ、有名な文化人やアーティストです。

ところが、彼等もまた、高齢化して、空洞化の状態です。

手探りは、始まっています。

しばらくは、ヤバい時代です。