人生とは、痩せるための我慢。
何を痩せるのか⁇
人生とは、何を痩せることなのか。
ここに全ての悟りがあることを、悟りました(-_-)zzz
痩せるまで…、このタイトルで、参ります!
٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
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マスク顔が、まるで、それが文化のように、すっかり定着した東京。
春夏秋冬、マスク顔が、通りを歩いていきます。
今時は、欧米で、そんな景色は、恐らくタブーでしようね。
しかし、東京では、夏に向かって、風も湿り気を帯びてきたのに、それでも、通りには、マスク顔が、無数にいます。
マスクには、顔を隠せる自由というのがある。
昔から、それは、有名人がやってきたこと。
それを今、一般市民がやっている。
いったい何のために…。
その心理を、想像してしまいます。
そこに自分は、いないものとして、どうか私に気づかないでが、ほとんどの心境なのだろう。
有名人ではないのだから、まず、誰も、あなたとは、気づかないはず。
自意識過剰ではないのか。
でも、実はそうでもない。
なのに、なぜ顔を隠したいのか、そな理由。
煩わしい世間から、しばらく自分を解放したい、細やかな願望の実現なのだろう。
マスクには、自分に引きこもれる。
そんな便利さが、そうさせているように、僕には見えました。
なざなら、僕にも、そんな時があるから。
しかし、やってはみるのですが、花粉の時期でもない限り、息苦しくて続かないから、ただ、やってないだけ。
僕の世代では、白昼のマスク顔は、道を外れた行いをする場合のみとの認識があります。
だから、特に公共の場では、気になって仕方がありません。
…
顔の見えないSNSからの自己主張。
まさにこれも同じ心理だと思います。
マスク心理と、同じ心理がSNSにも働くのだと思います。
では、SNSは、どうやったって、社会への抵抗にも、意見にも、ならないってこと。
つまり、出元が、ないから、根拠を見つけられないってことです。
その証拠の現れとして、今は、完璧なまでの、ニセ動画による、ニセ事件やら、ニセ報道が横行し、それが、日常化してきたから、ネットニュースは、一つだけでは、その真意は、決して判断できなくなりました。
便利さが、顔のない人々を、より増幅させてしまいました。
人々は、より、些細なことにも、疑心暗鬼になりました。
大衆の意見とか、大衆の声とか、これから、ますます、届けることが、難しくなりそうな気配がします。
何が、痩せてしまったのでしょう。