昨日の日曜日午前中は買い物に出かける。午後は一人で過ごしました。こんな日は嬉しいです。ずっとパソコンに向かってエスペラントを学習しながら過ごしました。学習というのは何時間続けてもきりがつきません。まるで自分の命の残り時間と競争しているような気がします
。
休憩に見た録画が、‘エヴァ・シュロスの長い旅’でした。エヴァはアンネフランクと広場を挟んだ向かい側のアパートに住んでいたそうです。オーストリアがヒットラーに占領された時にアムステルダムに逃げて来た時、アンネは地域の新入りとなったエヴァに自分から声をかけてきたそうです。
アンネとは顔見知りだが、自分はお転婆で、アンネは物静かな性格だったのでしたくし付き合ったわけだはなかっとも話していました。
、アウシュヴィッツから母と共に生還。アンネの父がアンネの日記を持って彼女たちを訪れ、その後、自分の母とアンネの父が結婚したので、奇しくもアンネと義姉妹になったということでした。現在、87歳になるでしょうか。ロンドンに住みアウシュヴィッツ生き残りとして1986年から語りべとして活動を続け、3女とアウシュヴィッツを訪ねたところでこのドキュメンタリーは終わっていました。
2008年エスペラント世界大会がロッテルダムで行われた時全日遠足に行かず、私は仲間3人でアンネの家に行きました。アンネの家を出ると広場があり、木が数本あってベンチがありました。その向こうに見えたアパートに彼女が住んでいたのです。
翌、2009年はポーランドのビアイストックで行われた大会に参加した際にはポーランドエスペラント会が主催した遠足に参加し、なんとかアウシュヴィッツに行くことができました。ローマンにほとんど何もないビルケナウの方が強制収容所の悲惨さが分かると言われ、ユダヤ人たちが運ばれてきた線路に沿って姉と二人歩いてみましたが、余りにも距離があり塀まではたどり着けず引き返しました。
3段ベットやトイレのさまも悲惨でしたが、何とトイレ無い棟はガス室送りになる人達が収容されていたのでそうです。それも全裸にされて!
エヴァは殺された人たちの持ち物から金目の物を探し出す仕事をさせられたそうです。
エヴァの兄と父もアウシュヴィッツで亡くなりました。収容された人々についての記録はドイツが逃げる前にほとんど処分したのでほんの少し(5%?)しか残っていないそうです。でも彼女は医療記録に二人の名を見つけ、せめてもの生きた証がみつかったと云っていました。
多くの人はアンネの隠れ家の話に興味を持つが、アウシュビッツで生きた(死んだ?)人にはあまり興味を持たない。せめて兄が生きた証としたくてその名を伝えたいと、自分の体験を語った時に必ず兄について語るそうです。
とても辛いドキュメンタリーでした。でも私達が決して忘れてはならない歴史でもあるのです。
話は変わりますが、アメリカの金融家ジョージ・ソロス氏の父、名まえは忘れてしまいましたが有名なエスぺランティストの苗字もシュロスでした。シュロスはユダヤ人には多い苗字なのでしょうか。それとも?
。
休憩に見た録画が、‘エヴァ・シュロスの長い旅’でした。エヴァはアンネフランクと広場を挟んだ向かい側のアパートに住んでいたそうです。オーストリアがヒットラーに占領された時にアムステルダムに逃げて来た時、アンネは地域の新入りとなったエヴァに自分から声をかけてきたそうです。
アンネとは顔見知りだが、自分はお転婆で、アンネは物静かな性格だったのでしたくし付き合ったわけだはなかっとも話していました。
、アウシュヴィッツから母と共に生還。アンネの父がアンネの日記を持って彼女たちを訪れ、その後、自分の母とアンネの父が結婚したので、奇しくもアンネと義姉妹になったということでした。現在、87歳になるでしょうか。ロンドンに住みアウシュヴィッツ生き残りとして1986年から語りべとして活動を続け、3女とアウシュヴィッツを訪ねたところでこのドキュメンタリーは終わっていました。
2008年エスペラント世界大会がロッテルダムで行われた時全日遠足に行かず、私は仲間3人でアンネの家に行きました。アンネの家を出ると広場があり、木が数本あってベンチがありました。その向こうに見えたアパートに彼女が住んでいたのです。
翌、2009年はポーランドのビアイストックで行われた大会に参加した際にはポーランドエスペラント会が主催した遠足に参加し、なんとかアウシュヴィッツに行くことができました。ローマンにほとんど何もないビルケナウの方が強制収容所の悲惨さが分かると言われ、ユダヤ人たちが運ばれてきた線路に沿って姉と二人歩いてみましたが、余りにも距離があり塀まではたどり着けず引き返しました。
3段ベットやトイレのさまも悲惨でしたが、何とトイレ無い棟はガス室送りになる人達が収容されていたのでそうです。それも全裸にされて!
エヴァは殺された人たちの持ち物から金目の物を探し出す仕事をさせられたそうです。
エヴァの兄と父もアウシュヴィッツで亡くなりました。収容された人々についての記録はドイツが逃げる前にほとんど処分したのでほんの少し(5%?)しか残っていないそうです。でも彼女は医療記録に二人の名を見つけ、せめてもの生きた証がみつかったと云っていました。
多くの人はアンネの隠れ家の話に興味を持つが、アウシュビッツで生きた(死んだ?)人にはあまり興味を持たない。せめて兄が生きた証としたくてその名を伝えたいと、自分の体験を語った時に必ず兄について語るそうです。
とても辛いドキュメンタリーでした。でも私達が決して忘れてはならない歴史でもあるのです。
話は変わりますが、アメリカの金融家ジョージ・ソロス氏の父、名まえは忘れてしまいましたが有名なエスぺランティストの苗字もシュロスでした。シュロスはユダヤ人には多い苗字なのでしょうか。それとも?
機会があるたびにまわっていたら強制収容所を4か所訪問してしまいました。何度訪ねても、何度記録を見ても回数が多すぎると云うことはないと思います。
高校生の時、「夜と霧」という本を読んだことが大きく影響しているように思います。若い人に知ってほしいですね。
(5か月も経ってからの投稿でお許しください。貴女の記事に気が付かなかったのです)
ジョージ・ソロスはこれは英語読みをそのまま日本語にしているけど、確かハンガリー人だったと思い、又父親と名前が違うのもどんな理由かと検索しました。
https://eo.wikipedia.org/wiki/George_Soros
ハンガリー語では発音はショロシュです。
glimiさんは日本語読みとハンガリー読みの二つを混同した様ですね。
因にgoogle translate 使った事ありますか?
色んな言語を色んな言語へ翻訳出来ます。ショロシュの意味も調べられます。
夫はかなりな年齢でした。3女は近くにいるので様子を見にくるそうで、母娘の和解の旅にしたいと話していました。
が見つかりましたが、エスペラントも日本語もありません。
86才とは言え、元気そうな写真がありました。
彼女にとってそうして語り歩く事は使命なのでしょう。私達も忘れないためには、時々こうした話題が必要ですね。