glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

敬老パス

2024-12-06 20:53:14 | 雑感
 今日のニュースで札幌だったでしょうか、敬老パスについての話し合いが行われるのを聞いた。若者は老人の交通費までなぜ、自分たちが負担しなければならないのかと憤慨していた。でも、と私は思うのです。外出するのにはそれが行楽であれ、病院通いであれ体力がいるのです。友人とグループで歩いている老人たちは私は見かける。外出すると言うことは、食事をしたりちょっぴり買いものしたり、ある意味では経済を支えているように思える。それに健康に留意するとおもう。元気なら老人が増えればi医療費負担も軽減されると私は思っている。
 杖をついて一人で病院に行く人もいる。バス使用の際、現金を支払うのはとても大変です。発言していた若者は多分私たちの孫の世代だと思う。祖父母世代が病気になった時、父母世代はそれをサポートしなくてはならない。

 私個人は検診と考えて月1回近くの個人医院に診察に行っています。大分前のことですが、大きな病院で、足にできた瘤を手術で取り除いたことがあるました。病院にはかなり多くのボランティアがいて、ひとりで来院した老人に声をかけてサポートしてしていました。

 見た目では老人だけが得をしているように見えるけれど、一人歩きできることで、若い年代に迷惑をかけず暮らせることも多いように私は感じています。

 情けは人の為ならず!この言葉を誤用する人もいるけれど、巡り巡って自分に返ってくることもあることを考えて欲しいです!
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