ハリソンさん、エリザベスさんが、
寝台使用でも、出産用椅子使用でも、
自分の左右でも前後でも、
どこであろうとスロップ先生が至近距離には居てほしくない、
on the contrary, 出産の初めから出産後までの全ての事に関わってほしくないと思っている。
― と、いう事を、似た意味の単語が
1文章に2つ以上入る危険を冒してでも言いたかったようです。
それから、ハリソンさんの考えるトゥビーの単純さとは、
そうしないと逆にエチケット違反にあたる。
そうしないと命に関わる緊急事態の真っ只中にある。
― と、いう以外は、
決まった相手のある女性は、
それ以外の男性を側には寄せ付けないだろうと思っている。
― と、いう類のものでした。
それで、ウォルターさんが、
「 お前、ウォドマン夫人からあんだけの目に遭わされといて、
まだそんな事言ってんのか?! 」
「 俺もあの時はホントにドえらい目に遭わされたよ! 」
― って感じで、トゥビーへと女性の表と裏を説明しようとする
展開になるんですが…。
一方フレディ君の考えるトゥビーの単純さの場合は、
もう説明がいらないくらいの物なんですが、
「 トリストラム・シャンディ 」 の熱狂的ファンという設定の筈なのに、
第8巻の26~32章を流して読んでいるような気がするのですが、
…どうなんでしょうか?
えーと、ちなみに、
戦傷を受けたトリムさんを看病したベギン派修道女について、
フレディ君が話題にしている部分は、
「 カノ紳version.2 」 の中の、「 ただの一度も 」 です。
フレディ君、トゥビーさんの場合と同じパターンで、
ベギンさんに看病されて、足をさすってもらった時のトリムさんの
反応を想像しているのですが ― 。
ある意味、フツー過ぎるよね…。
この子さぁー、「令嬢テレジア」 読ませてやれればいいのにね…。 ← 尼将軍様(談)
今日の続きは明日。