一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『明日を拓く現代史』

2014-05-05 | 乱読日記

内閣官房審議官で安倍首相のスピーチライターと呼ばれる谷口智彦氏が慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授のときにおこなった講義を元にした本。

「歴史学」にとらわれずに、今日の国際関係を近過去に遡ってその因果の流れを再構築しながら「これからどうなっていくのか」の問いの参考にするという意識で、ジャーナリスティックな筆致で歴史を描くという著者の意図は、単にとっつきやすいというだけでなく、歴史の因果の「流れ」を俯瞰して理解するのに成功している。

全体を通して解きたいと思った問いを改めて列挙すると。

  • 米国がつくった世界システムとは何か
  • なぜ日本はそのシステムでうまく成長できたのか
  • ここでいう「システム」とは初めからすんなりできたものなのか
  • 挑戦者として現れたかに見える中国は、この先どうなるのか
  • 日本は果たして、これからも立派に生きていけるのか

特に、第一次大戦後英国の覇権を米国が奪いに行く過程と、その中での第二次世界大戦を描いた部分は非常に印象的。  

・・・このように、日本にとってあと戻りができなくなる41年こそは、欧州大戦勃発後二年にして米英で戦後構想の立案が勢いを増した時期に当たっていた。日本人は、勝つつもりで戦後計画を立案してさえいた相手に戦いを仕掛けたのだという事実を、当時満足に知らなかった。70年以上を経たいまも、十分知っているとはいえない。    

・・・この認識格差と、それをもたらした情報力の差こそが、思えば日本の計算を狂わせ、無謀な戦いへ進ませたものといえる。「もしも」と問いたいことがいくらもあった時期だ。  

・・・認識格差、情報ギャップが埋まらなかった原因は、おそらく第一次世界大戦を当事者としてどれほど切実に体験した(欧米各国)か、あるいはしなかったか(日本)の差に由来する。

このへんの認識格差、大局観の欠如については、日本の国内事情を中心にした視点から描いた加藤陽子氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』でも触れられているが、現在への教訓ともすべき部分である。
(ところでダボス会議で安倍首相が日中関係について第一次世界大戦前の英独関係を引き合いに出して物議をかもした発言をスピーチライターとして著者が書いたとしたら、その理由はなんだったのだろうという疑問がわく。日中関係に関する真意がどこにあったにせよ、初の総力戦となり多大な犠牲を出した上に、英国にとっては覇権を米国にとってかわられるきっかけとなった第一次世界大戦を引き合いに出して刺激する必要はどこにあったのだろうか。)


最後の日本の未来を語る部分、特に明治維新や終戦直後を引き合いに出して「向日性と楽観性」「若さ」の重要性を説き、「当時と今は違う、というのは言い訳にならない」という部分は、「歴史書」としてはそこの示唆で終わるのは仕方ないかもしれないが、もう少し大胆に「今」に切り込んでもよかったと思うのは贅沢というものだろうか。


 

 

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