戦後沖縄の実像を正確に写しとるためには、最低限虫の目と鳥の目を兼備した複眼レンズが必要である。それは、大状況の概説を生き生きとした物語に転位させ、逆に、些細な日常を世界と日本の投影として描くということを意味する。
重要なのは、沖縄が置かれた“大枠”の状況を語ることではない。そうした歴史的制約をむしろプラスに転化し、その変転する状況のなかで、したたかに生き抜いてきた人間たちひとりひとりの問題を語ることである。
「戦争」「基地」というキーワードだけで沖縄を語るステレオタイプな本や、侵略者としてのヤマトの立場からの贖罪や逆に手放しの礼賛という著者の思いを投影しただけの本とは一線を画すものを書こう、という著者の意図は、 インタビューを芋づる的に繰り返して隠れた事実や人間関係をあぶりだす著者得意の手法によって見事に結実しているといえます。
(人と人のつながりや発見を過剰に自画自賛するところが若干目に付きますが)
元は雑誌の長期連載だけあって、とりあげられているテーマも多面的なところも本書の魅力です。
一番印象に残ったのが、沖縄における奄美出身者への差別の歴史。
戦後奄美群島も米軍占領下にあったものの、山がちな奄美諸島は基地に適さないうえに日本は「外国」であったために、奄美の人々は沖縄に出稼ぎに行っていました。
ところが、1952年の奄美復帰により日本人になった奄美人にはUSCAR(米国民政府)により琉球政府において外人登録が義務付けられ、それと同時に奄美人の公職からの追放、土地所有権の剥奪、公務員資格の剥奪などが行なわれます。
琉球政府の行政副主席兼立法院議長、琉球銀行総裁、琉球開発金融公社総裁、琉球電電公社総裁などの要職にあった人々もすべて解任されたそうです。
そしてその背後にはUSCARへの沖縄人の陳情があり、その根底には琉球人に対する差別意識があったそうです。
その結果沖縄の奄美出身者は満足な職につけず、出身を隠していた人が多かったそうです。
ヤマトと沖縄の関係の縮図が足元で行なわれていたことには、やりきれない思いもしますが、人間の営みの陰と陽はいずこにもあるということなのでしょう。
それ以外にも戦後の沖縄の政財界の歴史に登場する人々の列伝や人物評(現、仲井真県知事も含む)も興味深く読めました。
その他小ネタも盛りだくさんです。
昭和53年に当時衆議院議員だった石原慎太郎が尖閣諸島を購入しようと当時の所有者と交渉したことがある。
ジョン・カビラは沖縄尚王朝の名門川平家の末裔で、曽祖父は琉球王家の通訳として江戸、明治にかけて数度上京したこともある。(本書には明治5年に尚泰王の名代として伊江王子に遂行したとありますが『小説 琉球処分』のその場面には登場してなかったような)
などなど。
今年は沖縄返還40周年ですが、これを機会に読んでみるにはいい本だと思います。