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日本に住む外国人に「日本語話せないでしょ線引き」していませんか?

2019-08-27 07:35:39 | ブログ

日本に住む外国人に「日本語話せないでしょ線引き」していませんか? 「話せない前提対応」ってけっこう悲しいフリーライターの雨宮紫苑さんは、22歳でドイツに移住し、現在27歳。ドイツで「外国人」として住みはじめたからこそ、「外国人扱い」の悲しみも重々感じている。今回は在留外国人が過去最大規模となり、2020年には東京五輪も迎える昨今、悪気がなくともついついしてしまう「言葉の線引き」について伝えてもらおう。
帰国する度に増える外国人
ドイツに移住して早5年。なんやかんや毎年日本に一時帰国しているわけだが、そのたびに外国人の増加に目を見張る。

日本の若者が「生きるのが辛い」という理由

わたしが学生のとき、日常生活で「外国人」を見かけることはあまりなかった。せいぜい大学内の留学生とか、東京駅を颯爽と歩くビジネスパーソンとか、横須賀に住むアメリカ人海兵さんとか、それくらいだ。しかし最近では、居酒屋やコンビニで外国人店員が働いているのも「ふつう」。羽田空港の免税店や大型ショッピングモールでは、外国人店員が日本人、そして訪日観光客の接客をしている。有名な観光地に行けば、聞こえるのはさまざまな異国の言葉。

いやぁ、変わったものだ。

法務省の統計によると、2018年末の在留外国人数は256万人を超え、前年末より17万人以上(7.5%)増加、過去最高を記録した。2007年では約834万人だった訪日外客数も、10年後の2017年には約2869万人にまで増え、2018年には3000万人を超えた(日本政府観光局)。こういう数字を見ると、「そりゃ外国人が増えたと感じるわけだわ」と納得する。

しかしそれでも、いまだ根強い「日本人と外国人」の線引きがあるように感じるのは、わたしだけだろうか。「観光地」でない場所で他国から来ている人たちを見かけることも多くなった Photo by iStock

「ガイジンだからしょうがない」?
観光地でマナー違反する外国人がいると、どこからともなく「あぁガイジンだね」という声が聞こえる。スーパーのレジでも、「こっちのレジはガイジンさんで遅そうだからあっちに行こう」なんて言葉を耳にすることがある。

「外人だからしょうがない」「外人だからわかりあえない」。当然のように「日本人とそうじゃない人」とで区別し、悪意もなく一線を引く人が多い。

ドイツ人の夫と日本の服屋に行くと、男性服の店なのに、店員は日本人であるわたしにしか話しかけてこない。夫が英語でゆっくり「もうひとつ大きいサイズを」と言っただけでも、ビビってこちらに助けを求めてくる。

横須賀の飲食店何軒かでバイトしていたときは、もっとひどかった。アメリカ人と思われる客への対応は、どこもとにかく雑。店長がさらりと「やつらどうせ日本語わかんねぇし、クレームもつけてこないから」と言ったのをいまだに覚えている。「外国人客だからどうせわからない」と、自分が海外に行ったときに思われたらどう思うだろう(写真は本文とは関係ありません)Photo by iStock

電車でも、(体格のちがいもあるのだろうが)外国人らしき人の横は空席率が高い。見た目が日本人とはちがうというだけで警戒したり、しぜんと距離をおく人を、本当によく見かける。

かと思いきや、外国人が「コンニチワ」と日本語で言っただけで、「日本語じょうずですねー」「すごーい」と言う人も少なくない。日本語を母語としない人が日本語を話すと、大人としてではなく、まるで3歳児を褒めるかのようなリアクションをする人をたくさん見てきた。こういった言動にはたいてい、悪意がないのはわかっている。しかしなんだろう、「外国人」という存在への距離感に、モヤモヤする。

ドイツ語で話しかけても英語で返された苦い思い出
そう思うようになったのは、単純に、自分が現在外国人として海外で暮らしているからだ。

ドイツ語がまだ全然話せないとき、ドイツ語で必死に話しかけても英語で返されるということを何度も経験した。わたしに対しては冷たいのに、ドイツ人が一緒だと愛想よく迅速に手続きする担当者だっていた。

わたしはドイツが好きで移住してきたのに。ドイツ語を話したいのに。仲間にいれてほしいのに。

そう思ってはいてもわたしは外国人。外国人として扱われて当然で、しかたのないこと。そう納得しようとしても、なんだか悔しくて、悲しくて、もどかしい気持ちにいったい何度なったことか。

ドイツ語をある程度学んでからも、外国人扱いをされたことは少なくない。レストラン(とくに観光地)に行けばしぜんと英語メニューを渡されることもあるし、大学では「あのアジア人の子」と呼ばれたこともある。外国で差別をされた経験があるからこそ、伝えたいことも出てくる Photo by iStock

英語メニューを渡すことや、わたしを「アジア人」と呼ぶこと自体が「差別」だと言うつもりはない。わたしが外国人だから、とゆっくり話してくれたり、丁寧に説明してくれたりする人もいるから、一概に「外国人扱い」が悪いとはいわない。

それでも、どうしても違和感があったのだ。「わたし」という人間を見る前に、「外国人」と認識されることに。たしかにわたしは外国人だけど、ひとりの人間なのに、とも思う。

「君の意見を聞きたいんだ」の喜び
ドイツに来てすぐのとき、話を振られるたびにとなりにいるドイツ人の恋人に助けを求めていた時期があった。ちゃんと理解していなくてズレた答えを返したらどうしよう、どう伝えたらいいかわからなくて怖い。

たいていの人はそんなわたしを受け入れ、恋人の通訳を介して会話してくれていたが、ある人に言われたのだ。「君の意見が聞きたいんだ。ゆっくりでいいから、直接話してほしい。理解するようにこっちが努力するから」と、しっかりわたしの目を見て。

その人は、言葉の壁はあるけど、それでもわたしを「ひとりの人間」として尊重してくれた。そんなちっぽけな言葉が、外国人であるわたしには、とても、とてもうれしかったのだ。

そうだ、わたしは外国人だけど、自分の意見をもつ大人の人間。ネイティブに比べたらできないことが多いけど、だからって遠慮する必要はないし、「外国人だから」と雑に扱われていいわけじゃない。

誰だって「外国人」として生まれていない
そしてこれは、日本に住む外国人にだっていえることだ。多くの人の何気ない「こいつは外人だから」という態度や考えは、相手にきっと伝わっているし、傷つけたり怒らせたり、うんざりさせたりしていると思う。

外国人は「外国人」という生物として生まれるのではなく、人間がもつ数ある属性のひとつにしかすぎないし、国境を越えればだれしもがそのグループに分類される。

外国人だからモノを知らないバカだとか、マナー違反を平気でするだとか、3歳児扱いしていいとか、そういうことではない。そりゃもちろんマナー違反のバカだっているだろうけど、それはどの国で生まれ育とうが同じだ。

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