室町時代と問われた場合
足利幕府と応仁の乱しか
頭に浮かばない。
本を読むきっかけは高三の折り
父親に薦められた「竜馬がゆく」だった
事もあり、江戸幕末から維新に
その後の明治にかけてが少ない読書量
の大半を締める。
本篇は賊将に収められる
150ページの中篇となる。
八代将軍足利義政
かわらもの(賎民)出身の作庭師善阿弥
義政の妻日野富子
管領(かんれい)方と呼ばれる
細川、山名、斯波の守護大名
善阿弥を除く
これらの謀略、権術、政争、世嗣
の中での義政の苦悩を表現する。
将軍家だけの力で幕府を成立させた
ものではない室町幕府は
管領方という後見役をおき、各地の
大名の平衡感覚をとらざるを得ず
独自の強権をもって統治することが
できない。
それに、足利の伝統ともいえる
敵方に寛容であったことも義政の立場
を名君にはほど遠く、享楽に身を費す
人物に想像させたのかも知れない。
そして10年に及ぶ内乱で
京の街は、ほとんどが灰燼と化す。
英雄、革命は出てこず
黒か白かで判断し殺戮が跳梁跋扈し
略奪と烈火が人心を狂気に駆り立てる。
そして、結末がないように
戦火は止む。
義政は黒と白との間にあるものを
(融和といっていいかもしれない)
を望んでいたと思う。
これは、作中にも
義政が言うくだりがある。
後の東山山荘「銀閣寺」を建立した
のは、義政が本当に遺したかったもの
だと感じた作品だった。
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