民平的幸せ体感記3【40代編】

かつて世界一周一人旅をした「みんぺ~」のユルくてどうでもいいブログ。ちょっとハッピーな気持ちになれるとかなれないとか。

幸せな旅立ち

2018年09月28日 | 日記
親父のコトは尊敬していた。

仕事である障害児教育のコトや人生について、息子なりに理解しているつもりだった。

沢山話も聞いてきたし、聞きたいコトは聞いてきたつもりだった。

沢山の人に慕われ、支えられているとも思っていた。

しかし、誤算だった。

甘かった。

弔問に来た多くの教え子、同僚、友人の方々が、涙と共に口にする親父の姿。

それは、ボクの認識を遥かに越えていた。

ボクが思っていた以上に、親父は、偉大な研究者であり、教育者であり、実践者であり、そして何より大きな父親だった。

息子としては穏やかな印象しかなかったけれど、世の中の矛盾や社会的弱者のためにはアツく、妥協を許さない、そんな面もあったコトを知った。

大分県出身の親父は、生まれ故郷でもなんでもない青森県という地を愛し、その地で人生のほとんどを生き、多くの人に愛された。

最後の挨拶をするため、老若男女、何百人もの方が来て下さった。

直接来られない方は、様々な形で想いを届けて下さった。

本当にありがたい。

親父との思い出を、泣きながら語って下さる方。

ボクは泣きながら聞いた。

優しい笑顔と共に、ボクたち家族に労いの言葉を送って下さる方。

ボクは泣きながら感謝した。

そんな親父のために集まった方たちは、とにかく母にも優しかった。

気丈に振る舞いつつも、時々流す母の涙を見ると、その都度、ボクも泣いた。

すごく複雑な涙が流れた。

親父のためにお別れ会実行委員として企画して下さった方。

号泣しながら親父に弔辞を述べて下さった方。

本当に多くの方が、最期の時を共に過ごして下さった。

笑顔と涙で見送って下さった。

親父はなんて幸せ者なんだろうか。

誠実に生きるとこんな風に惜しまれながら旅立てるのか、と羨ましくも思う。
両親の意向あり、無宗教な自由葬であり、呼び名もお別れ会だった。お線香もお経もなければ位牌もない。でも代わりに沢山の花を送られ、歌声やギター演奏が鳴り響いた。位牌の代わりには、一度目の大病後、身体が不自由で意識朦朧な状態で必死に書いた母への感謝のラブレターが飾られていた。カッコ良すぎだよ、親父。

孫としては一番最早く親父に出会い、一番長く親父と過ごしたボクの娘そらネェ。沢山の涙と共に想いを手紙に託して、じいじに捧げた。

涙で読めなくなったそらネェに代わり途中からボクが読んだんだけど、ボクまで声が詰まり始めるというコントみたいな展開を何とか乗り切った。

そらネェの手紙の中にもあったけど、悲しい涙の中に嬉しい涙も混ざった、そんなステキで幸せなお別れ会だった。

親父を愛して下さった多くの方に感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

お別れ会翌日、ボクは母を少しでも助けたい一心で、昼食も取らずに、香典などをパソコンに打ち込む作業をしていた。

帰りは、青森空港4時半発なので、ギリギリ間に合うまでやろう。

母に負担をかけないため、空港行きのバスで帰ろう。

そんなボクを、天国の親父は必死に呼んでいたのかもしれない。

おーい!みんぺー!

このままじゃ礼服忘れどころじゃないトラブルが発生するぞ。

どうにもならなくなるぞ。

みんぺー!気付け!!!

ダメだ。

聞こえない。

しかし、そんな想いが伝わったのか、パソコンに向かっているボクに、嫁さんが出発時間を確認してきた。

一応確認したら…衝撃の事実発覚。

青森空港4時半出発ではなく、名古屋空港4時半着だった(゜o゜;

なんと一時間半後には飛行機が離陸してしまう!!!

ウソでしょ(笑)

そこからの慌てっぷりと言ったら…

もう笑うしかない。

結局、忙しい母に空港まで送ってもらうコトに。

作業が中途半端になってしまったこと、母にゆっくり寄り添ってあげられなかったこと、弟にそんな母のフォローを任せて、また長野県に戻ること。

今までとは少し違う想いに包まれ、よく分からない涙が流れた。

ごめんなさい。

かなり強引な行動だったけど、亡くなる前日、生きてる親父に30分だけ会えた。

お別れ会に向けて、長男なりに一族をまとめた。

母のフォローはした。

なるべく母の隣に立つようにした。

お酒が入った席では、明るく楽しく振る舞った。

今の自分に出来るコトはしたつもり。

色んな方に前向きな言葉を頂き、気持ちは前向きだ。

親父は心の中にずっといる。

たぶん、そうやって多くの人は「大切な人の死」という悲しみを乗り越えていくんだろう。

でもやっぱり悲しい。

次からは親父のいない青森県に帰省するコトになる。

存在としてはもういない。

この現実を思うと涙が流れてくる。

寂しいものは寂しいし、悲しいものは悲しい。

本当の意味で親父の死を受け入れるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

流れる涙は流しておこう。

焦らず丁寧に生きたいと思う。

平成最後の年、70歳まで立派にカッコ良く生き抜いた最高の父だった。
愛する妻、おっちょこちょいな長男をはじめとした四兄弟、その家族たち、その他、沢山の愛すべき人に見送られ、親父は天国に旅立った。

好きで好きで堪らなかったお母さんは四兄弟で支えるから大丈夫。
お父さん、ありがとう。

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