コメント
アンノウン
(
ブラウザ
)
2006-11-19 16:15:48
話題の夕張市などでは議会のボランティア化の発想もあるようですネ。
オンブズマンみたいなものになるのでしょうか。
きょうは高飛車に!(笑)
(
モリエール
)
2006-11-22 00:03:33
議員数が減っても支障がないように見えるのは、現に一定数の議員さんが居る、からだと思います。
「議会制」民主主義は、恒久平和主義・国民主権主義・基本的人権尊重主義・地方自治と並んで憲法5原則の一つ。議会(選挙)を通じて政治を変えることができるというシステムがあってこそ、政治から暴走・独裁を排除する力が働いています。「議員はできるだけ少ないほど良い」という効率主義は、民主主義にとってはある種の毒草だと思います。
学者(研究者)の方って、意外と無知な方が多いですからねぇ。理論と論理とをはき違える方、論争に勝てば「正しさが証明された」と錯覚される方、
「ご指摘、ごもっとも」と言われて褒められたと思う方・・・・。学者さんのおっしゃることの価値、学者さんがゴマンといらっしゃる大学の世界がどんな世界か、を考えれば自明ですよね。
ふむ ふむ ふむ
(
いけぶち
)
2006-11-22 01:14:12
次の二つの文章のどちらなんでしょうか?
議員数が減っても支障がないように見えるのは、
1.現に(その人が減っても支障がない)一定数の議員さんが居るからだ
2.現に(減ったとしても支障があるほどは減らず)一定数の議員さんが居るからだ
私は1のことを言っているのかなぁと思いました。
もしそうなら、ブラックユーモアですよね。
理論上・・・理論的には・・・
(
モリエール
)
2006-11-23 11:21:44
ここに紹介された「議決権をもつ議員を減らしたたからといって理論上、議会の機能が低下するとは言えない」という学者さんの言葉から、「ウサギはカメを追い越せない」という有名なアキレスの原理
を思いました。
議員が卓越した特別の能力と人間性をもつことは望むべくことですが、政治は現実の問題に対処する領域、「思い=望み」でシステムを語っても余り意味はありません。議会それ自体が調整、監視(牽制)といった機能を併せもつ存在なのですから・・・。
たとえば、36人で成り立っている構成を4人に縮小した場合、4/36の機能さえ果たせないと考えます。36人いればこそ4/36の機能が果たせても、4/36になればおそらくは何一つその機能を果たせますまい。4/36ではなく、0/36になるにちがいありません。
したがって、「議員数が減っても支障がないのは、現に一定数の議員がいるから」は、ブラックユーモアではありません。ユーモアがなくて申し訳ありませんが・・・(笑)。
理論上・・・とか、理論的には・・・という議論は、殆どの場合「無為無策」「相応しい提案を示せない」ことの釈明に過ぎない前置きだと思います。
私は寧ろこう考えます。議員数が半分の18になれば「いけぶちさんはゼロになる」、議員数が5割増え54人になれば「いけぶちさんは4~5人になる」と。「それ、どんな理論的根拠で?」と? そうですねぇねぇ、理論的ではありませんけど、ここン十年の議席の推移を見て、「いけぶちさん」あるいは「いけぶちさん的なひと」がどのように誕生し増えてきたかを見て考えたこと・・・としか言えませんねぇ。
希少動物
(
いけぶち
)
2006-11-23 22:52:50
モリエールさんのお話は難しいところもありますが、わかったのは、現状では私は希少品種に属していることかな?
現実、今のような議会制度のままであれば、議員定数は減りこそすれ増えることはまずないでしょうから、いかにして希少品種の個体数を増やすかということですね~
Unknown
(
yy
)
2007-05-16 01:25:34
議員は多すぎると思います。しかも不勉強な議員が多すぎます。議員定数を減らして、もっと競争意識を持ってもらうことが必要ではないでしょうか。特に議会中に居眠りをしている議員は最低です。
当たり外れ
(
いけぶち
)
2007-05-16 08:38:03
5月14日の研修での元鳥取県知事片山さんのお話では
(私なりに要約すると)、
首長の当たり外れはすぐに行政運営に影響するので、外れたときはどうしようもない
が、
一方、議会ではある一定の割合で必ず外れの議員は当選するのはそれは仕方がないが、少ない自治体でも10人程度の議員はいるので、当たりの議員をどれだけたくさん当選させるかが大事だ
とのことでした。
議員定数を減らす=(たとえば)居眠り議員が落選する
となればいいですが、やはりある一定割合の居眠り議員が当選するでしょうね。
とすれば、少なくとも当たりの議員を落とさないようにすることが大切なのだと思います。頑張りましょう
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オンブズマンみたいなものになるのでしょうか。
「議会制」民主主義は、恒久平和主義・国民主権主義・基本的人権尊重主義・地方自治と並んで憲法5原則の一つ。議会(選挙)を通じて政治を変えることができるというシステムがあってこそ、政治から暴走・独裁を排除する力が働いています。「議員はできるだけ少ないほど良い」という効率主義は、民主主義にとってはある種の毒草だと思います。
学者(研究者)の方って、意外と無知な方が多いですからねぇ。理論と論理とをはき違える方、論争に勝てば「正しさが証明された」と錯覚される方、
「ご指摘、ごもっとも」と言われて褒められたと思う方・・・・。学者さんのおっしゃることの価値、学者さんがゴマンといらっしゃる大学の世界がどんな世界か、を考えれば自明ですよね。
議員数が減っても支障がないように見えるのは、
1.現に(その人が減っても支障がない)一定数の議員さんが居るからだ
2.現に(減ったとしても支障があるほどは減らず)一定数の議員さんが居るからだ
私は1のことを言っているのかなぁと思いました。
もしそうなら、ブラックユーモアですよね。
を思いました。
議員が卓越した特別の能力と人間性をもつことは望むべくことですが、政治は現実の問題に対処する領域、「思い=望み」でシステムを語っても余り意味はありません。議会それ自体が調整、監視(牽制)といった機能を併せもつ存在なのですから・・・。
たとえば、36人で成り立っている構成を4人に縮小した場合、4/36の機能さえ果たせないと考えます。36人いればこそ4/36の機能が果たせても、4/36になればおそらくは何一つその機能を果たせますまい。4/36ではなく、0/36になるにちがいありません。
したがって、「議員数が減っても支障がないのは、現に一定数の議員がいるから」は、ブラックユーモアではありません。ユーモアがなくて申し訳ありませんが・・・(笑)。
理論上・・・とか、理論的には・・・という議論は、殆どの場合「無為無策」「相応しい提案を示せない」ことの釈明に過ぎない前置きだと思います。
私は寧ろこう考えます。議員数が半分の18になれば「いけぶちさんはゼロになる」、議員数が5割増え54人になれば「いけぶちさんは4~5人になる」と。「それ、どんな理論的根拠で?」と? そうですねぇねぇ、理論的ではありませんけど、ここン十年の議席の推移を見て、「いけぶちさん」あるいは「いけぶちさん的なひと」がどのように誕生し増えてきたかを見て考えたこと・・・としか言えませんねぇ。
現実、今のような議会制度のままであれば、議員定数は減りこそすれ増えることはまずないでしょうから、いかにして希少品種の個体数を増やすかということですね~
(私なりに要約すると)、
首長の当たり外れはすぐに行政運営に影響するので、外れたときはどうしようもない
が、
一方、議会ではある一定の割合で必ず外れの議員は当選するのはそれは仕方がないが、少ない自治体でも10人程度の議員はいるので、当たりの議員をどれだけたくさん当選させるかが大事だ
とのことでした。
議員定数を減らす=(たとえば)居眠り議員が落選する
となればいいですが、やはりある一定割合の居眠り議員が当選するでしょうね。
とすれば、少なくとも当たりの議員を落とさないようにすることが大切なのだと思います。頑張りましょう
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。